イタリアのプログレッシヴ・ロック・グループ「FORMULA TRE」。 68 年結成。 69 年発表のシングルの成功を経て、70 年アルバム・デビュー。 サウンドは初期のサイケ、ニュー・ロック路線から作品を重ねる毎にオリジナルなものへと深化してゆく。 四作目を最後に 73 年解散。 90 年に再結成、アルバム発表。
Tony Cicco | drums, percussion, voice |
Gabriele Lorenzi | keyboards, bass, voice |
Alberto Radius | guitars, bass, voice |
70 年発表の第一作「Dies Irae」。
内容は、万華鏡のようなジャケットから推察される通りのサイケデリックなハードロック。
轟々たるギター(クラシックの影響も強そうな上にアドリヴも得意なテクニシャン)とハモンド・オルガンが酸味の効いたサウンドでリードする荒々しくも雄々しい演奏である。
しかし、演奏の中心にエモーショナルでキャッチーなメロディがあるため、ヘヴィさによるカタルシスよりも、歌そのもののよさが訴えかけてくる。
ぎらぎらとしたヘヴィ・サイケ調の曲においても、豊かな歌心やノリノリのダンサブルなグルーヴがしっかり浮かび上がってくる。
英国もののニヒリスティックで捨て鉢な感じとは異なる、生への肯定的な執着のエネルギーがあるといってもいい。
イタリアン・ロックらしいロマンチシズムと洒脱なポップ・センスを象徴するのは、味のあるだみ声と女性的なファルセットを交えたヴォーカル・ハーモニーである。
そして、ギターやオルガンの音色を効果的に制御したり、静と動のコントラストを活かして展開するなどインストゥルメンタル・パートでも工夫が凝らされている。
その辺はいかにもニューロック的だ。
サイケデリックでアシッドだが、決してダラダラ垂れ流すような弛緩ダウナー型ではない。
コンパクトなポップ・チューンをベースに流行のヘヴィなサウンドを巧みにとけこませた、粋な作風である。
リード・ヴォーカルは、ドラマーのチッコ。ルックスもよく人気の中心だったと思われる。
楽曲は、バティスティ-モゴールによるオリジナル曲とカヴァー曲で構成されている。
タイトルは、葬送のミサ曲「怒りの日」より。
「Dies Irae」(7:34)ヘヴィーなリズムが暴れ、ファズ・ギターとオルガンが唸りを上げる、いきなりのクライマックス。
ギターは狂気に近い衝動を象徴し、オルガンは「教会」の厳かなイメージと炎のような激情のたぎりをシームレスに描き出す。
厳粛なる「Dies Irae(怒りの日)」の主題をエレクトリック・サウンドが取り巻く過激な作品だ。
ギターとオルガンが交互にリフで攻め立てフリー・フォームのソロで暴れる。
渦巻く混沌がテーマを得て一つの流れに収束してゆくさまが圧倒的だ。
パワー全開のパフォーマンスである。
「Non È Francesca」(3:33)哀願調の GS 風ビート・ロックに 5 年進んだハードロック・ギターとヘヴィなオルガンを盛り込んだ作品。
ジミー・ペイジがリードする YARD BIRDS のイタリア版。思わせぶりなイントロ含め 3 分が濃密。
「Perchè... Perchè Ti Amo」(6:01)ロマンティックなメロディとヘヴィで混沌としたサウンドを合体させた力作。
表現の中心はヴォーカルとギターである。
ためらいや衒いのないラヴ・ソング的なサビのメロディはイタリアン・ロックにしかあり得ないもの。
ラディウスのギターがリードする融通無碍にして大胆過激なバッキングもいい。感情の揺れをそのまま音に写し取ったかのように音楽が自在に動いている。
後半現れるパンチの効いたハイ・トーン・ヴォイスはチッコだろうか。
本アルバムの作風を代表する作品だ。
「Questo Folle Sentimento (Intro)」(1:01)B 面への橋渡し。LP 時代によく見られた手法だ。アッパーなリフで持ち上げて忍び寄るようなリフで追いかける。リスナーを釘付けにする理想的なイントロダクションだ。
「Questo Folle Sentimento」(2:16)
チッコの甘く小粋なヴォーカルとワイルドな演奏が一つになったビート・ロック。
呼吸のいいギターのオブリガート、オルガンの荒々しいバッキングなど演奏のまとまりもいい。
先行シングル。
「Walk Away Renee」(4:26)
英語のヴォーカルから判断して英米圏の曲のカヴァーと思われるが、テーマに対する激しいインストゥルメンタルの彩りが迫力満点。
「Se Non È Amore Cos'E'」(5:07)堂々たるミドル・テンポのイントロと演奏がカッコいい、LED ZEPPELIN のような英国 HR 本道を思わせる佳作。もっとも、英国モノにはない優しげなヴォーカル表現がいい感じだ。
「Sole Giallo Sole Nero」(7:10)ジャジーなハモンド・オルガンとシンプルでポップな歌メロによる爽やかロック。
後半にゆくに連れインストゥルメンタルが激しさを増し、ドラム・ソロまであってお腹いっぱいの 7 分間である。
ヴォーカルは、だみ声がラディウス、甘目の声がチッコだと思われる。
キャッチーな歌物+ヘヴィーなギター/オルガンというスタイルは、おそらく英米のニュー・ロックを出発点としてイタリアン・ポップスの伝統を活かした結実なのだろう。
サイケデリックなサウンドと「泣き」のメロディによる理想的なコンビネーションだ。
ヘヴィなトーンでニヒルに迫り、焦らしに焦らして決めのメロディを叩きつける、いわばコテコテな作風だが、若々しさが感じられてイヤミはない。
歌ものサイケの傑作。
(ZSLN 55010 / NUMERO UNO ND 74271)
Tony Cicco | drums, percussion, voice |
Gabriele Lorenzi | keyboards, bass, voice |
Alberto Radius | guitars, bass, voice |
71 年発表の第二作「Formula Tre」。
ヘヴィなサウンドに浮かび上がる歌の魅力という作風を第一作より継承し、よりアレンジに幅や深みをもうけた。
荒々しい即興風の演奏にも魅力はあるが、さらに楽曲全体を見据えた計算が加えられて聴き応えが増している。
演奏の安定感そのものも前作を凌ぐ。
スウィートなメロディとヘヴィーなギター、オルガンが大活躍するインストゥルメンタルのコンビネーションには今でも色褪せない魅力がある。
ラディウスの渋みのある独特なリード・ヴォーカルもいいアクセントになっている。
作曲は、すべてプロデューサーであるルチオ・バティスティ、作詞はモゴール。
ニューロック調の曲は、遥か昔どこかで耳にしたようなものも多く、懐かしい。
びっくりするようなドラムス連打から幕を開ける「Nessuno Nessuno」(11:00)。
ヴォーカルは、イタリアらしい濃厚なエモーションを孕んだもの。
チッコの声質の甘さが、このメロディと丁度いいバランスだ。
アコースティック・ギターとコーラスの入るサビでは、ヘヴィな演奏に不思議な透明感が現れる。
歪んだギターが導く後半は、お得意のヘヴィなインストゥルメンタル。
ドラムスがまたパワフルなロールを聴かせる。
タムを叩く音がやたらと大きい。
ギターがミュートしながら少しづつヘヴィなフレーズを弾き始めると、ハモンド・オルガンもそれに応えるように暴れ出す。
フォーク・タッチの歌メロ・テーマと長大な間奏部によるアートロック巨編。
ヘヴィなリズム、甘美なメロディ、ワイルドなギターとオルガンの応酬など、おなかいっぱいです。
緩急、剛柔の対比が明快でストーリー性があること、ミニマルな表現から生まれる効果を取り入れるなど、サイケデリック・ロックからいわゆるプログレッシヴ・ロックへの転換を果たしている。
「Tu Sei Bianca, Seri Rosa, Mi Perderò」(4:12)
ヘヴィなギターとベースのリフがドライヴするクールなロックンロール。
小粋な歌メロとハスキーなファルセット・ヴォイスによるスタイリッシュな歌唱に惚れる。
初期の DEEP PURPLE 風だがメロディはこちらが遥かにいい。
「Vendo Casa」(2:47)
ラディウスが歌う切ないバラード。
伴奏はフルートを思わせるトーンを絞ったオルガン。
クラシカルなギターのオブリガートが盛り上げるセンチメンタルな展開は PROCL HARUM などの王道路線である。
そうなると、エレクトリック・ピアノのオブリガートが新鮮だ。
郷愁と切なさ。
「Eppur Mi Son Scordato Di Te」(3:35)
CREAM、ジミ・ヘンドリクス直系のギターがリードするヘヴィ・ロック。
燃え上がるオルガンによるシンフォニックな演出、硬軟表情を巧みに変化させて甘めのヴォーカルを取り巻く芸達者なギター。
サビのキメはファルセットのハーモニーである。
曲調が VANILLA FUDGE がアレンジした「She's Not There」を思わせるということは、ビートに音響を持ち込んだニューロックの典型ということだろう。
THE DOORS 辺りの影響もありそうだが、やはり歌メロの芳しさに違いがある。
名曲。
「Un Papavero」(3:57)
ジェットマシンを効かせた空飛ぶようなギター・リフとリズミカルなピアノのストロークがリードするアメリカ西海岸風味の強いポップなロック・チューン。
ラディウスのどうしようもないダミ声と舌足らずのファルセット・コーラスがユーモラスに呼びかけあう。
ギターは奔放なアドリヴで暴れまわる。
この辺りのセンスはサイケの残滓だろうか。
シンプルだがポップさとざらざらしたタッチのミスマッチが意外にいい佳曲。
「Il Vento」(4:44)
歪みきってシタール風になったギターとオルガンが激情のヴォーカルを支える神秘的な作品。
沈んだ調子でささやくヴォーカルはテンポアップとともに高まり、やがてブチ切れ、思いの丈を噴出させる。
ピーター・ハミルの芸風に近い。
リード・ヴォーカルはロレンツィだろうか。
最後までねじれた調子のまま進んでゆく。
「Mi Chiamo Antonio...」(5:50)
ラディウスの歌唱による男臭く濃密なるバラード。
大見得を切って叩きつけるサビ、そして悠然と広がってゆくアンサンブル。
後半のブルーズ・ロック調への転換もカッコいい。
バッキングのうっすらと広がるストロークからヘヴィなオブリガート、時間の流れを捻じ曲げようとしているようなソロまで、ギターが前面に出ている。
抜群の存在感で全体を統御するのは、ラディウスのヴォーカルである。
名曲。
どの曲もヴォーカル・メロディがとてもいい。
そのヴォーカルにヘヴィな器楽が絡むというパターンが非常にうまく機能している。
1 曲目のような長大なインストゥルメンタルにおいても、惹きつけられるのはメロディである。
(ZSLN 55013 / NUMERO UNO ND 74272)
Tony Cicco | drums, percussion, voice |
Gabriele Lorenzi | Hammond organ, piano, Minimoog, electronics, bass, voice |
Alberto Radius | electric & acoustic guitars, bass, voice |
72 年発表の第三作「Sognando E Risognando(夢のまた夢)」。
コンパクトな楽章から成る組曲を研ぎ澄まされた音で奏でるイタリアン・プログレッシヴ・ロックの名作。
器楽アレンジの中心は多彩きわまるエレクトリック・キーボードであり、曲調はシンフォニックな広がりを見せる。
前二作がサイケデリックでヘヴィな音であったのに対し、本作ではさまざまな音をまとめあげ丹念なタッチで美的な世界が作られている。
キャッチーなテーマを軸にするところはこれまで通り。
オーヴァー・ダビングも用いているが、基本的にはトリオとしての音の配置の妙を発揮している。
ダイナミックかつほどよく抑制された演奏はポップスとしても高度なものであり、IL VOLO へとつながるところも見える。
イメージを喚起させるという点で優れた作品であり、コンセプト作としての目標はクリアしていると思う。
バティスティ/モゴールからの一人立ちを目指すかのように作曲の半分をグループが手がけている。
プロデュースは、ルチオ・バティスティ。
タイトル組曲「Sognando E Risognand(夢のまた夢)」は、四部構成の作品。
「Fermo al Semaforo」(2:53)
ボレロ風の神秘的な序曲。
歩調を整えるギターの和音にストリングスやメロトロン、ムーグ・シンセサイザーが幾重にも連なり、高鳴るギターの調べのかけ声とともにやがて勇壮な歩みになってゆく。
イメージは夢の世界への誘いか。
「Sognando」(2:15)
渦巻くシンセサイザー、攻撃的なオルガンとギター・リフによる緊張感あるへヴィ・チューン。
音は荒々しくヘヴィだが、挑発的なヴォカリーズや第二テーマへの展開などキャッチーさにカタルシスがある。
この辺りはキャリアの成せる技だろう。
「La stella con i buoi」(4:10)
第二曲のテーマを引き継いだロマンティックな歌もの。
アコースティックな弾き語り調の序盤から、タイトなリズムのドライヴするブギーに発展し、アカペラの幻想空間を経て、最後はギターがリードするシャープな演奏に到達する。
全編オルガンやギターのオブリガートがカッコいい。
イタリアン・ロックらしい激しい曲調の変化で、シビアな現世と夢の落差を描いている。
「Risognando」(1:19)素朴なシンバルのざわめきを背景にギターがきまぐれな歌をささやく。
バランスを失ったような奇妙な終曲だ。
コンパクトな楽曲に静動、緩急の変化をおり込んで綴った大作。
タイトル通り幻想的で不思議な後味を残す。
軽やかなコーラスとヘヴィーな演奏の対比や、短くもキレのあるキーボードのプレイなど聴きどころが多い。
これはまさにキャリアを活かした独創的な内容といえるだろう。
ビート・グループから脱皮してアヴァンギャルドな方向を志すという意図が見える。
バティスティ/モゴールの作品。
組曲「L'ultima Foglia(朽ちゆく、一片の葉)」は、三部構成の作品。演奏力を活かした即興風の展開が聴きモノ。
「L'albero」(5:15)
即興風ながらもシンプルでキレのいいプレイをたたみ込んで展開してゆく佳曲。
ドラムス乱れ打ちとノイズが舞う序章をギターのテーマでさらい、その後はギターとオルガンが相手の出方をうかがいつつ機を見て切り込み、唐突なクラシカル・アンサンブルも盛りこみながら、スリリングな演奏が続く。
パーカッシヴなオルガン・ソロや独特の泣きのギター・ソロがいい。
大爆発はせず、小爆発を繰り返してゆく。荒れ果てたイメージも。
インストゥルメンタル。
「Non militrovo」(4:21)
ジャジーなハードロック・インストゥルメンタル。
テクニカルでタイトなドラミングとともにジャジーでクールな演奏が助走を始める。
やけにワイルドでけたたましいオルガンに挑発されて、DEEP PURPLE ばりのスリリングな演奏へ。
応酬の果て、炸裂するオルガンのアドリヴ、応ずるはクールでスタイリッシュなギター・ソロ。
フロア・タムを多用したドラミングもいい感じだ。
クライマックスに駆け上がる、ライヴなカッコよさにあふれる作品です。
「Finale」(2:12)
重厚なキーボード・オーケストラによる終曲。
アコースティック・ギターのオブリガートでアクセントをつけるというセンスの良さ。
厳しいピアノの和音が流れを断ち切って、管弦楽風の調べとともに第一楽章も回顧しつつ、雄大なエンディングに向かう。
作曲ではなく、サウンド・センス、演奏力、瞬発力で勝負の作品。
即興でもこれだけいける。
グループのオリジナル曲。
「Storia Di Un UomoE Di Una Donna(男と女のお話)」(4:57)
緊張を解き放つような、イタリアン・ロックらしい牧歌調の作品。
切ない弾き語りをファルセットのコーラスでポップに彩り、ギターのオブリガートやピアノなどさりげなくもぜいたくに音を配した。
英米ものよりも素朴で熱い、第一作、第二作から連なる作風である。
B 面 1 曲目という位置で雰囲気にひねりを入れることに成功している。
バティスティ/モゴールの作品。
組曲「Aeternum(永遠)」は、再び四部構成の作品。EL&P への対抗心もたっぷりな傑作。
「Tema(テーマ)」(2:32)
快調そのものなオープニング・チューン。
リズミカルなテーマをどーんと投げつけ、一体感あふれるパンチの効いた演奏で目を覚まし、一回しみじみと歌で落として、再び痛快な演奏へ。
次第に高鳴るオルガンに胸躍る。
「Caccia(狩り)」(1:42)
キーボード・オーケレストレーションとドラムスをフィーチュアしたクラシカルで悠然たる小品。
管楽器調のシンセサイザーが高鳴りと弦楽調のメロトロンが迸る。ドラムスはティンパニを思わせる。
「Interlude(間奏曲)」(5:56)
ロレンツィのキーボードの技量を大きく示したインタールード。
インタールードというにはあまりに充実した演奏なので、タイトルは皮肉か遊びの可能性がある。
モダン・クラシックからエルトン・ジョンまで幅広いピアノ演奏、そしてギター・リフを軸にして進み、シンセサイザーをフィーチュアしたアヴァンギャルドな演奏へと発展する。
「Tema」の再現をブリッジに、再びエレクトリックでノイジーながらもクラシカルなアンサンブルへと帰ってゆく。
ピアノによる幕引きが鮮烈。
「Finale(終章)」(1:18)
スペイシーなキーボード重奏による厳粛かつ神秘的な終曲。
緩やかなクレッシェンドが終末感を強め、無常の思いを募らせる。
耳に残るキャッチーなテーマをアクセントに、どちらかといえば、即興風の演奏と分厚いキーボード・サウンドで神秘的な面を強調した作品だろう。
このシンフォニックな曲調は、彼らの一つの到達点に違いない。
グループのオリジナル曲。
演奏指向の高まりとオリジナリティの発揮が目指された傑作。
組曲構成を取りつつも即興性を重んじた演奏が散りばめられており、サイケデリック・ロックの発展系であることがよく分かる。
英国プログレの影響はあるのでしょうが、英国では聴くことのできない、熱い音です。
(ZSLN 55152 / KICP 2705)
Tony Cicco | drums, percussion, voice |
Gabriele Lorenzi | keyboards, bass, voice |
Alberto Radius | guitars, bass, voice |
74 年発表の第四作にしてラスト・アルバム「La Grande Casa(神秘なる館)」。
作風は一変、ラディウスの力強いアコースティック・ギターが全編を貫く歌ものアルバムとなる。
前作も調和感のあるサウンド・メイキングで劇的に物語を綴った名作だったが、本作はさらに華美な部分をそぎ落として音を磨き、一種崇高なロマンを湛えた作品になっている。
弾き語りが軸となる楽曲はメロディアスでレイドバックしているようで、細かいアレンジにも腕が揮われている。
楽曲の完成させるのに一役買っているのはエレクトリック・キーボードの的確なサポートである。
弾き語りの魅力とシャープなアンサンブルの魅力が、ともに十分に発揮された屈指の名盤。
ブリティッシュ・ロックにうるさい方にはお薦め。
ラディウスの急激な音楽的成長を二作目まではフロントを担ったチッコはどのような気持ちで見守ったのか。
オープニング「Rapsodia Di Radius(ラディウスのラプソディ)」(5:21)
華麗なるアコースティック・ギター・ワークと引き締まったアンサンブル、男性的なヴォーカルが構成する哀愁のアコースティック・ロックの傑作。
伴奏としての器楽アンサンブルの洗練度合いが飛躍的に高まった。
泣き出しそうなほど切ないギターがさまざまな表情を見せるモノクロにして変幻自在のオープニング、エレクトリック・キーボードとギターが羽ばたくシャープなアンサンブル、
そして、メイン・パートは哀愁ヴォーカルによる弾き語り。
2 分あまりでのこのめくるめく展開。
オルガンやシンセサイザーは前作にも通じるクラシカルなロマンを湛えてこの物語を導いてゆく。
ギターが駆け巡る終盤のタイトなアンサンブルもカッコいい。
2 曲目「La Ciliegia Non E Di Plast(人工自然)」(4:33)
ほのかなユーモアを湛えるリズミカルなフォーク・ロック。
イタリアン・ロックらしさあふれる牧歌的で田舎のお囃子風の作品である。
(あえていうなら、イタリアの「カントリー」なのだろう)
ミュートを巧みに使った粘っこいアコースティック・ギター・プレイ、そしてアコースティック・ベースのような低音もある。
これらに加えて、ピアノのストローク、肌理細かいシンバル・ワークらもにぎにぎしいリズム作りに一役買っている。
パーカッションらのユーモラスな音も散りばめられている。
ここでもエンディングはラディウスのギター・ソロである。
甘めのリード・ヴォーカルはチッコ、モノローグ風の低音部分はラディウスか。
奇妙なタイトルは何を意味するのでしょう。
3 曲目「Liberta Per Quest'uomo(男の自由)」(5:33)
アコースティック・ギターのアルペジオがさまざまなイメージを呼覚ましてゆく正調シンフォニック・チューン。
ギターのアルペジオが紡ぎ出す神秘的な序盤から、キーボードによるそそり立つような音響のベールが広がり、エレクトリック・ギターが鳴声を上げる薄暗い世界が見えてくる。
長調のテーマが提示され、視界に明るさが増すも再びアルペジオとともにピアノがひらひらと舞うミステリアスな世界へと迷い込んでしまう。
しかし、テーマは静かに地の底から湧き上がる、尽きせぬ祈りのように。
そして、ティンパニの轟きとともに「Liberta...」のリフレインは強まってゆく。
コーラスにポジティヴな響きを加えてゆくギターのオブリガート。
雄大な世界を臨む佳曲である。
4 曲目「La Grande Casa(神秘なる館)」(5:27)
メランコリックにささやく弾き語りがみるみるうちにアグレッシヴなバンド・アンサンブルへと変貌するテクニカル・ロック・チューン。
繰り返し部分でのギターのオブリガート、ムーグのオブリガートからピアノへの切り替わりなど、ヴォーカルを支えるというさりげなくも芯の通ったアレンジが冴える。
アジテーション風のヴォーカル・ハーモニーのイケイケどんどんな感じはイタリアン・ロックならでは。
セカンド・ヴァース以降のクラシカルなピアノ、オルガン、キーボードによる伴奏、直線的なテーマもカッコいい。
シンプルな構成ながら、音を積み重ねてテンポアップし、ストレートに登りつめてゆく痛快な作品だ。
SE による映像イメージの喚起も奏功す。
リード・ヴォーカルはロレンツィか。
5 曲目「Cara Giovanna(いとしのジョアンナ)」(4:58)
華やかなピアノが導く切なさ満点の弾き語りフォーク。
きらきらと弾けるアコースティック・ギターのアルペジオがさびしげなヴォーカルを取り巻き、ピアノの調べが彩る。
間奏はどこまでも暖かいキーボードの調べに支えられたアコースティック・ギター・ソロ。
素朴に音を連ねるプレイが胸に刺さる。
ベースも入っており、いつになく演奏にうねりがある。
ヴォーカル表現にはラテンの熱気が感じられるものの、曲調としてはブリティッシュ・ロック的な抑制とクールさが感じられる。
イヴァーノ・フォサッティばりの男臭くもデリケートな歌唱である。
6 曲目「Bambina Sbagliata(非常識な女)」(4:44)
あふれる切なさを胸にたたみ込む大人のアコースティック・ロック。
ここでも弾き語り調を基本に、ブレイクをはさんで、これでもかと盛り上げていく語り口である。
しかし、音そのものはストイックだ。
そして圧巻は、オープニングからのギター・オーケストレーションともいうべきアコースティック・ギター、エレキギターのアレンジと後半のほどよく抑えられたキーボード。
エンディングのベース(元々ベースレスのトリオであるにもかかわらず、最後にベースをフィーチュアするという洒落っ気ある計らい)を中心にしたタイトな演奏は、まるで IL VOLO へ続くという表明にすら聴こえる。
熱いばかりが能じゃないとばかりに小粋なくせに、立ち去る背中は抱きしめたくなるような哀しさでいっぱいなのだ。
バイバイ 70'。
ジャンル分けや歌物、インストという区別が空しくなる唯一無二の傑作。
洗練を極めて枯れる寸前で輝くような音楽性は、もはやポップスとして完成されてしまっているイメージである。
熱っぽくもクールで、力強くて繊細で、ロマンティックでアカデミックなのだ。
いわゆるプログレッシヴ・ロックかといわれると実に微妙なところである。
しかし、3 曲目のシンフォニックな展開や 4 曲目のハードな曲調には、単なるポップスといい切れない広がりと光沢がある。
前作のようなインストゥルメンタルや曲展開を期待すると裏切られるが、メロディのいい個性的な歌ものロックという点では出色だ。
これこそ本当のプログレである云々云々などと、些事にかかずらっている場合ではない。
ここには、「永遠に変わらない」と思わせる何かがあるような気がする。
それは、音楽と人との関わりを通して、自分や世界をしっかり見つめるための縁となるものだ。
1 曲目のギターを聴いて痺れない人はいないでしょう。
(DZSLN 55655 / KICP 2818)