POPOL VUH

  ドイツのプログレッシヴ・ロック・グループ「POPOL VUH」。 フロリアン・フリッケによるユニットとして 60 年代末から活動。 最初期のムーグ・シンセサイザーを用いたサウンドからアコースティック・サウンドへ変化するも独自の神秘瞑想的な作風は維持される。 映画監督ウェルナー・ヘルツォークとの活動が名高い。 2001 年 12 月フリッケ逝去。

 Affenstunde
 
Florian Fricke Moog synthsizer
Holger Trülzsch percussion
Frank Fiedler synthsizer-mixdown

  70 年発表の第一作「Affenstunde」。 内容は、ムーグ・シンセサイザーを用いた電子音楽。 いわゆる旋律や拍子は存在せず、電子音特有の均一な色合いの音が漂うのみであり、脱音楽指向の現代音楽の一つである。 聴覚の受信機能のテスト・パターンのような音、といえばいいかもしれない。 ぼんやりと波状に広がる背景音と、その前に現れては次々に通り過ぎる発信音。 腫れ上がったようなノイズを、タブラやカリンバのようなパーカッションが切り裂き、煮詰める。 シーケンスといえるほどのパターン的なものはなく、短く仄かな波の動きが感じられるのみ。 提示される音像はきわめて抽象的だが、これこそ人間精神不在の自然の叙景という大胆な試みとも考えられる。 いずれにせよ、きわめて神秘的なイメージを与えるものだ。 A 面最終曲開始前に、パーカッションが鳴りさざめく、クライマックスのようなものが訪れる。 そして、最終曲の中盤に、ようやく発信音によるメロディらしきものが出現し、パーカッションとともにエキゾチックな音楽を形作る。 しかし、音楽になる前の音の再発見こそが、ここでの主題ではなかろうか。 原初のカオスはぐっと静かである。LIBERTY レーベル。邦題は「原始帰母」。

  「Ich Mache Einen Spiegel(鏡を作る私)」(3:32)
  「Dream Part 4(ドリーム・パート・4)」(5:12)
  「Dream Part 5(ドリーム・パート・5)」(4:41)
  「Dream Part 49(ドリーム・パート・49)」(7:37)
  「Affenstunde(原始帰母)」(18:35)
  
(LBS 83 460 I / KICP 2804)

 In Den Gärten Pharaos
 
Florian Fricke Moog synthsizer, organ, Fender-piano
Holger Trülzsch African & Turkish percussion
Frank Fiedler Moog synthsizer-mixdown

  71 年発表の第二作「In Den Gärten Pharaos」。 内容は、ムーグ・シンセサイザーとオルガン、パーカッションによる瞑想的なエレクトリック・ミュージック。 前作と大きく異なり、音量変化による強弱や明確なメロディ・ライン、原始的なハーモニーなどシーケンス、展開など意思表示というべきものがある。 ノイズと楽曲も区別されており、さまざまな要素が整理され、演奏として構築されたと見るべきだろう。 エレクトリック・ピアノによる明らかな即興「演奏」もある。 地球上の自然音のシミュレーションから、異世界の宗教音楽のようなエキセントリックな音楽へと変化したといってもいいだろう。 電子楽器の演奏には無伴奏歌唱であるグレゴリオ聖歌に通じるものを感じます。 荘厳。PILZ レーベル。邦題は「ファラオの庭にて」。

  「In Den Gärten Pharaos」(17:37)
  「Vuh」(19:48)重厚な序盤が胸を打つ。
  
(20 21276-9 / KICP 2728)

 Hosianna Mantra
 
Popol Vuh(Florian Fricke) piano, cembalo
Conny Veit electric & 12 string guitar
Robert Eliscu oboe
Djong Yun soprano vocals
Klaus Wiese tambarine
guest:
Fritz Sonnleitner violin

  72 年発表の第三作「Hosianna Mantra」。 内容は、アコースティック・ピアノ、チェンバロ、エレキギターらによる彼岸的なミサ曲。 アコースティック楽器とエレキギター、ソプラノ・ヴォイスらを動員して、神秘的で雅なイメージを演出する。 ムーグ・シンセサイザーは使用していないそうだ。 ペンタトニック・スケール中心のブルージーなフレージングながらもエコーやエフェクトでエレクトリック・キーボード的な効果をあげるギター・プレイと、宗教色の濃いアコースティック・アンサンブル(波打つようなアコースティック・ピアノがリードする)が、不思議とバランスよくとけあい、スペキュレーティヴかつ慈愛の響きに満ちた音楽となっている。 オーボエやヴァイオリンも美しく、天上の理想郷の麗しさに加えて、現世におけるおだやかな牧歌調もある。 全体としては、サイケデリックにして瞑想的な深みと癒しのある音だ。 この作品までの三作の音楽の変転は、フリッケの進取の気性を如実に現している。 フランスの WAPASSOU の作風を、より宗教的で音楽的に緻密にした感じともいえる。 PILZ レーベル。

  「Hosianna - Mantra
    「Ah!」(4:49)
    「Kyrie」(5:27)
    「Hosianna - Mantra」(10:22)
  「Das 5. Buch Mose
    「Abschied」(3:18)
    「Segnung」(6:12)
    「Andacht」(0:46)
    「Nicht Hoch Im Himmel」(6:23)
    「Andacht」(0:44)

(20 29143-1 / CD 2029143-2)

 Seligpreisung
 
Florian Fricke piano, vocals, cembalo
Daniel Fichelscher guitar, drums, conga
Conny Veit electric & 12 string guitar
Klaus Wiese tambarine
Robert Eliscu oboe

  73 年発表の第四作「Seligpreisung」。 AMON DUULUよりダニエル・フィッヒェルシャーが参加。 主題こそ新約聖書の「山上の垂訓」に求めながらも、厳粛、静謐といった宗教的なイメージにとどまらない、前作のメディテーショナルなムードにサイケデリックなロック色が交じり合った個性的な作風となっている。 このロック的な面の原動力となっているのが、フィッヒェルシャーのアドホックなようで野性味もあるドラムスとけたたましくうねるエレキギターである。 サイケデリックなサウンドが不思議なほど瞑想的なムードにマッチしている。 また、ギターのプレイについては、二人の奏者の芸風の違いが明確になっていておもしろい。 無論、ロックだけが突出することはなく、ギターとドラムスがドライヴ感たっぷりに迫る一方で、オーボエの調べが典雅にたゆたい、アコースティック・ギターから素朴な音がぽつぽつと紡ぎ出される。 かように多彩な雰囲気が、独特の無常感でもってトータルにまとめられている。 全ディスコフィー中では過渡的な内容という位置付けになるのかもしれないが、簡にしてしみ透るような音の魅力は格別である。 これでヨン・ユンのソプラノが加わっていたならば、さらに輝きを放つ作品となっただろう。 邦題は、「聖なる賛美(山上の垂訓)」。 ボーナス・トラックとして、ヨン・ユン名義のシングル「Be In Love」が収められている。 KOSMISCHE MUSIK レーベル。

  「Selig Sind Die, Die Da Hungern. Selig Sind Die, Die Da Dursten Nach Gerechtigkeit. Ja Sie Sollen Satt Werden」(5:59)「飢え渇いている者は幸いなり」序盤は教会旋法そのものな、薄暗い響き。すぐにコンガも入ったやや呪術的なロックンロールに変転する。

  「Tanz Der Chassidim」(3:12)「ハシドの踊り」アコースティック・ギターのストロークとピアノが刻む豊かな和音の響き。エレキギターのアドリヴが緩やかに絡み合う。浮き、漂うような踊りである。

  「Selig Sind, Die Da Hier Weinen. Ja, Sie Sollen Sputer Lachen」(5:07)「悲しむ者は幸いなり」 オーボエの妙なる音色と重厚なピアノ、かき鳴らされるギターによる美しい作品。最後の救済のイメージ。

  「Selig Sind, Die Da Willig Arm Sind. Ja, Heir Ist Das Himmerlreich」(3:10)「貧しさを受け入れる者は幸いなり」厳かでミステリアスな序章、二つのギターが加わる辺りから、すべるようにロックなノリへと変化する。

  「Selig Sind, Die Da Leid Kragen. Ja, Sie Sollen Getrostet Werden」(3:39)「悲しみを運ぶ者は幸いなり」 チェンバロの大胆な響きが天への扉を開く。荘厳。表情を巧みに変化させるアレンジがみごと。

  「Selig Sind Die Sanftmutigen. Ja, Sie Werden Einst Die Erde Erben」(2:30)「柔和な者は幸いなり」 素朴にして気品もあるフォーク・ソング。舞うようなオーボエが美しい。

  「Selig Sind, Die Da Reinen Herzens Sind. Ja, Sie Sollen Gott Schauen」(2:33)「心清き者は幸いなり」 ピアノ、オーボエによるクラシカルなアンサンブル。

  「Ja, Sie Sollen Gottes Kinder Heissen. Agunus Dei, Agnus Dei」(2:39)「はい、彼等は神の子ととなえられるであろう」ピアノ、オーボエによる素朴なテーマの演奏から、リズムの加わった民族音楽調のアンサンブルへ。原始のイメージ。

  「Du Sollst Lieben (Be In Love)」(5:00)ボーナス・トラック。弦楽伴奏による慈愛に満ちたソプラノの歌もの。

(KM 58.009 / ARC 7185, MTD 06004)

 Einsjäger & Siebenjäger
 
Florian Fricke piano, spinett
Daniel Fichelscher electric & acoustic guitar, percussion
Djong Yun vocals

  75 年発表の第五作「Einsjäger & Siebenjäger」。 内容は、ギターを軸に、ロック的なリズムとメロディを強調した初めての作品。 エレクトリック/アコースティック・ギター、ピアノ、ドラムス、ソプラノ・ヴォイスという構成で、サイケ・フォーク、牧歌調フォーク、リズミカルなナンバーなど、これまで追求してきたアンビエント・ミュージックにはなかった躍動感とメロディアスな親しみやすさのある演奏を試みている。 ピアノは、抑えた演奏にクラシカルな重みがあり、深みのある表現力を感じさせる。 アコースティック・ギターの透明感ある響きと適宜オーヴァー・ダビングも用いたエレキ・ギターの郷愁あるメロディ・ラインなど、マイク・オールドフィールドやアンソニー・フィリップスをさらに優しくまろやかにしたようなイメージである。 シニシズムはなく、どこまでも暖かい。 また、エレキ・ギターによるサイケデリックな音の質感が VELVET UNDERGROUNDAMON DULL に近づくところもあるが、それらと比べるとこちらにはぐっと育ちがよくイノセントな響きがある。
   B 面の大曲は唯一ヴォーカル入りで、神秘的な静と饒舌なギターとドラムスによる動がバランスした傑作。 ドラムスの、いわゆるロック・ビートとは異なる緩やかなパーカッション的なプレイが、このアンサンブルに非常にあっている。 4 曲目にはフルートも用いられている。 5 曲目はなんともいえず微妙なテンポによる穏やか過ぎるサイケデリック・チューン。
   全体に過剰さや無駄に意味深なところ、大仰なところがなく明解かつ自然。 聴きやすくシンプルにして深みもある大傑作です。 邦題は「一人の狩猟者、そして七人の狩猟者」。

  「Kleiner Krieger(小さな戦い)」(1:08)
  「King Minos(ミノス王)」(4:28)
  「Morgengruss(朝の挨拶)」(2:58)
  「Wurfelspiel(投擲競技)」(3:12)
  「Guites Land(ガイテの土地)」(5:16)
  「Einsjäger & Siebenjäger(一人の狩猟者、そして七人の狩猟者)」(19:26)
  
(KICP 2735)

 Das Hohelied Salomos
 
Florian Fricke piano
Daniel Fichelscher guitar, percussion
Djong Yun vocals
guest:
Alois Gromer sitar
Shana Kumar tabla

  75 年発表の第六作「Das Hohelied Salomos」。 内容は、ギターとピアノ、ソプラノ・ヴォイスによる物憂く密やかな讃美歌フォーク・ロック。 前作よりもビート感が強まりサイケデリックな酩酊調も現れるが、それはこの「雅歌」の本質に迫る、すなわち超越したものへの帰依や生活規範の遵守よりも現世的な喜びを称えるというテーマへの意識があるためだろう。 ギターのプレイは、前作と同じく、シンプルにしてキレと味わいのあるみごとなものだ。 アコースティック・ギターの響きも美しい。 シタールやタブラなどインド風の薬味もいい感じで効いている。 インド風でインチキ臭さがまったくない、というのはじつは珍しい。 ここでは、異国的な響きが宗教的な厳かさではなく穏やかな開放感を生み出している。 フェード・イン/フェード・アウトが多いことなどから前作ほどはきっちりと構成されたイメージはなく、セッション録音の中から気に入ったところを取り出して、さらりと並べたような感じである。 しかし、それが音楽の感触を損なっているかというと、そうでもない。 いつのまにか始まって、ひたひたと音を満たし、いつしか去ってゆく。 そういう流れが心地よい。 アルバム全体が一陣のやわらかな風のようなのだ。
   4、8 曲目では、オーヴァータブされたヴォーカルが「Hosianna...」と繰り返す。 7 曲目のように 12 弦ギターをかき鳴らし、そこへエレキギターが重なってゆくと、アンソニー・フィリップスやスティーヴ・ハケットの世界にも近づく。 邦題は「雅歌」。

  「Steh Auf, Zieh Mich Dir Nach」(4:40)
  「Du Schönste Der Weiber」(4:32)
  「In Den Nächten Auf Den Gassen I」(1:36)
  「Du Sohn Davids I」(3:01)
  「In Den Nächten Auf Den Gassen II」(3:47)
  「Der Winter Ist Vorbei」(3:45)
  「Ja, Deine Liebe Ist Süsser Als Wein」(3:37)
  「Du Sohn Davids II」(4:45)
  「Du Tränke Mich Mit Deinen Küssen」(5:28)
  
(KICP 2742)

 Letzte Tage-Letzte Nachte
 
Florian Fricke piano
Daniel Fichelscher guitar, percussion, drums
Djong Yun vocals
Renate Knaup vocals
Al Gromer sitar
Ted De Jong tamboura

  76 年発表の第七作「Letzte Tage-Letzte Nachte」。 内容は、ギター、ドラムスによるロック色を強調した路線の完成形。 神秘性、瞑想性、スリル、ルーズなグルーヴなど、表現の幅とともに全体の彫りが深くなった。 中音域に集めた音の塊をぶつけてくるような演奏であり、その主役はギターである。 多重録音されて反響とともに幾重にも迫るギターが、古代/中世的雅と異教的神秘を表現がみごとに描いている。 ややラウドなサウンドの中に宗教的な厳かさや瞑想的なムードが漂う。 祈りのようなソプラノ、古寺に鳴り響く鐘のようなギター、そして独特のビート感がサイケデリックな酩酊感を生み出す。 シンバルやフロア・タム主体のパーカッションは、前作、前々作とさほど変わらない。それにもかかわらず、ロックな強さが強調されて聴こえるから不思議だ。 ミキシングの魔術なのかもしれない。 また、ユン・ヨンとヴォーカルを分け合うレナート・クナウプのドスの効いた声も新鮮である。 7 曲目は、驚いたことに 90 年代以降のロックを予知したかのような、デジタルな混沌をイメージさせる未来的なロック・ミュージック。 全体に、ロックにもっとも近づいたイメージの作品だ。 邦題は「最期の日、最期の夜」。

  「Der Grosee Krieger(偉大な戦士)」(3:12)
  「Oh Wie Nah Ist Der Weg Hinab(下り道は近く)」(4:36)
  「Oh Wie Weit Ist Der Weg Hinab(下り道は遠い)」(4:34)
  「In Deine Hände(汝の手)」(3:01)
  「Kyrie(キリエ)」(1:36)
  「Haram Dei Raram Dei Haram Deira(神秘なる呪文)」(1:28)
  「Dort Ist Der Weg(天国への道)」(4:29)
  「Letzte Tage-Letzte Nächte(最期の日、最期の夜)」(4:22)

  
(KICP 2741)


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