イタリアのプログレッシヴ・ロック・グループ「ALUSA FALLAX」。 69 年結成。 二枚のシングルを経て、74 年に唯一作を録音。 79 年解散。 第二作のマテリアルはあるらしい。
Guido Gabet | electric & acoustic guitars, vocals |
Massimo Parretti | piano, organ, cembalo, ARP |
Guido Cirla | bass, vocals |
Duty Cirla | percussion, bells, recorder, lead vocals |
Mario "Ginado" Cirla | flute, tenor & alto sax, horn |
74 年発表のアルバム「Intorno Alla Mia Cattiva Educazione(私の奇妙な教育法について)」。
内容は、渋味あるダミ声カンツォーネをフルートとキーボードが中心となって守り立てる、クラシカルなシンフォニック・ロック。
小曲が並ぶが、クロスフェードまたはほぼ間隔なしで次に移るため、一つの大曲を聴いているような感じである。
キーボードは、ピアノ、ムーグ、ストリングスと多彩な機材で、さまざまな音色を場面毎に使い分けて演奏を牽引している。
エレクトリック・キーボードのサウンドがきわめてチープなので、これを許せるかどうかで聴き応えが違うだろう。
また、JETHRO TULL 風の饒舌なフルートがリードする場面も多い。
ギターはいわゆるアドリヴよりも、メロディックなプレイが主である。
演奏スタイルも多彩であり、ギター、キーボードまたはギター、フルートなどのユニゾンを活かした忙しないトゥッティから、ピアノとアコースティック・ギターによるクラシカルなアンサンブル、さらには、ジャジーなサックスをフィーチュアしたジャズロック風の演奏までもが飛び出す。
リズミカルな印象は、個性的なパーカッションのせいもあるだろう。
一方、歌メロはポップスといって十分通るキャッチーなもの。
コーラスやモノローグもあり、イタリアン・ロックらしいエモーショナルな歌ものとして聴くこともできる。
おそらくは、しみじみしたフォークソングとエレクトリック・キーボード主体のややすっ飛んだ器楽を混ぜ合わせたところが、野心的だったのだ。
作風はクラシック風のテーマを中心に、さまざまなアレンジで動き回るスタイルである。
重厚なシンフォニーから、ペーソスあるワルツ、アヴァンギャルドなアンサンブル、ハードロックまで音楽性は幅広く、その彩りさまざまな小曲達を一つ一つ聴いてゆくのには、まるで絵本をめくるような楽しさがある。
ポップ・グループとしての長いキャリアを生かして、さまざまな曲想の楽曲をそれぞれリリカルなメロディでまとめあげつつ、シンセサイザーに代表される新しい音とめまぐるしい展開を与えることによって、プログレッシヴな作品に仕上げている。
こちょこちょと並ぶ小粒な楽曲すべてが、細切れにならず自然に流れてゆくのは、何か全体を貫くテーマや曲同士が互いに関連をもっているからだろう。(奇妙なアルバム・タイトルからもそう想像できる)
(「Italian prog」のインタビューによるとアルバムは当初オペラ、もしくは演劇調のパフォーマンス用として制作されたらしい。ここには大変興味深いリーダーへのインタビューも掲載されている)
幾度かのリスニングを通して感じるのは、とにもかくにもクラシックを基調にした暖かみのあるサウンドである。
エレクトリックなキーボードは、NEW TROLLS の「Concerto Grosso」にも似たロマンチックなアンサンブルから、厳粛なアンサンブルまで、巧みに管弦楽をシミュレートして楽曲を支えている。
このクラシック・テイストのおかげで、前衛であることと聴きやすく親しみやすくあることが、うまく折り合っていると思う。
ややせわしなげな印象は次第に愛らしさに変わってゆく。
やはり傑作である。
「Soliloquio(モノローグ)」(2:58) 5 拍子の軽やかなテーマから始まる、フルート、シンセサイザーをフィーチュアした序曲。
フルートがフォーキーなテーマをさえずりキーボードとギターが機敏な動きを見せる。
4 分の 5 拍子と 4 分の 7 拍子への切換えも行われる。
バタバタ・リズムと電子音に端を発する独特のチープさはこの時代特有。
後年のスパニッシュ・プログレにも似た忙しなさが特徴だ。
インストゥルメンタル。
「Non Fatemi Caso(わたしを落とさないで)」(4:28)ややチープなストリングス・シンセサイザー、ピアノ、フルートらによる物憂くもメロディアスなクラシカル・チューン。
ド悪声ヴォーカルが胸毛を震わせて噛みつくように情熱的に、しかし切々と歌い上げ、財政難のオーケストラのようなストリングスが守り立てる。
ピアノ伴奏、ヴォーカルをオブリガートするキーボードなどクラシックとポップスに境界のないイタリアン・ポップスらしい作品だ。
「Intorno Alla Mia Cattiva Educazione(私が受けた愚かな教育について)」(4:13)
前曲のムードを吹っ飛ばすようにギター、フルートがクロスフェードで現れて忙しないリズムでバタバタと暴れるが、本編はチェンバロ、アコースティック・ギター、二本のフルートによるクラシ
カルなアンサンブルである。
ギターに導かれて二つのフルートがみごとな対位的デュオを成し、スネア・ドラムとベースも加わって管弦楽組曲風になる。
ピアノとフルートによるラベル、ドビュッシー系の即興らしきデュオもあり。
最後は、オープニングと同じ忙しないアンサンブルが破裂するように飛び出し、あぶくを吹き上げるようなシンセサイザーの電子音やホーン風のシンセサイザーなどの響きによってミステリアスなムードへと捩れてゆく。
インストゥルメンタル。
「Fuori Di Me, Dentro Di Me(私の外部と内部)」(3:03)
ホルン、ストリングス・シンセサイザーらによる哀愁の円舞曲。
メイン・パートは、アコースティック・ギター伴奏のフォーク・ソング。
フルートとオルガンが静かに付き随う。
第二曲とは別人のヴォーカルから始まり、サビでだみ声のヴォーカリストとチェンジする。(歌い方を変えているだけかも知れない。内面と外面を二人で歌い分けているということか)
サビのメリーゴーラウンドのような三拍子、ユーモラスなのに哀愁のあるホルンの響きが印象的。
「Riflessioni Al Tramonto(夕暮れの想い)」(3:04)
1 曲目の変奏だろうか、ギターのリードによるコンガの効いた演奏をアグレッシヴなフルートとピアノがリズミカルに支えるジャズロックとロマンティックな歌唱を合わせた作品。
リズムも同じ 5 拍子。
メイン歌唱パートは、メロディアスなハイトーンのハーモニーとだみ声ヴォーカルによる、近頃すっかり見かけなくなった希望と抱擁力のある若々しいロックである。
ギターのオブリガートが切ない。
リズム・セクションのキレやギター、キーボードらの的確なオブリガートなど演奏そのものはうまい。
(個人的には、70 年代後半のディスコやファンキーなラテン系フュージョンの隆盛以降、こういう味わいのロックは激減したと思う)
ストリングス、管楽器がしっかりと支え、最後はジャジーかつやや頓狂なサックスのリードでやんちゃに走る。
「Il Peso Delle Tradizioni(伝統の重み)」(1:40)
ノイジーなシンセサイザーとフルートによる素っ頓狂なデュオが前曲を断ち切り、乱調気味のギターとシンセサイザー、フルートらによる慌しい演奏が走り出す。
フルート、管楽器風の ARP シンセサイザー、ギターがせわしなく、息詰まるような演奏を繰り広げる。
芸達者だが下品なギターと比べるとフルートは格段に格調高く、オブリガートするキーボードは意識的に電子ノイズ風に迫っているようだ。
アヴァンギャルドなセンスが横溢するインストゥルメンタルであり、基本はシャフル・ビートのブギーである。
歌ものとのコントラストを成し、鋭いアクセントになっている。
「Carta Carbone(カーボン紙)」(3:36)
ハモンド・オルガン一閃、一気に男臭く、グルーヴあるエンニオ・モリコーネ調の歌ものへ。
ここでもコンガが効いている。
トーキング・フルートが鋭くオブリガートする。
ベースライン下降による説得力ある伴奏は、全体に JETHRO TULL、または OSANNA の第一作風か。
英国 R&B の薫陶を受けたオルガンによる間奏がじつにカッコいい。
後半は、アップテンポの教会オルガン、チェンバロ、フルートらによるバロック・アンサンブルへと変化する。
せわしないドラムスも許せてしまう、いかにもプログレらしい演奏だ。
キメのトゥッティはぐっとテンポを落とした 10 拍子。
最後は怪しげな轟音が渦巻く。ここまでが旧 A 面らしい。
抜群の終曲である。
「Perchè Ho Venduto Il Mio Sangue(私は家を売った)」(1:43)
A 面最後の轟音がリプライズ。
湧きあがるノイズが声色を使った怪しいモノローグを誘う。
空ろな表情に突如よぎる激情。
うめきのようなモノローグとノイズだけの作品。
語りの内容がまったく分からないので、正確には何とも申せません。
「Per Iniziare Una Vita(人生を始めるには)」(4:20)
フルート、ギター、チープなハーモニウム、ホルンらが、素朴かつクラシカルに彩る歌ものフォーク・ロック。
穏かな表情のヴォーカリストは別の人?
伴奏はギターとオルガンのセンチメンタルなフレーズ。
音楽的な説得力は、フルートのオブリガートに懸かっている。
間奏は、ツイン・フルート、ストリングス、アコースティック・ギターによる穏かなアンサンブル。
今更ながら、バロック音楽風味とフォーク・タッチのブレンドこそが、イタリアン・ロックの真髄である。
最後は、ピアノとフルートによるリズミカルなデュオのブリッジを経て、次の曲へ。
安定感のある佳曲である。
「È Oggi(今日)」(3:05)
サックス、オルガンをフィーチュアしたジャジーでワイルドなインストゥルメンタル。
前曲のテーマを引き継いで、サックスがリードする引きずるような荒々しいリフが叩きつけられる。
OSANNA に似てます。
ヘヴィなトゥッティの裏では、オルガンもアドリヴで暴れ回る。
フリージャズ的なセンスを誇示する荒々しい演奏だ。
サックスの一閃とともに中盤から一転、ティンパニの加わった勇ましくも謎めいた邪悪な演奏となり、ノイジーなシンセサイザーや乱調気味のギターとフルート、オルガン、ホルン、サックスらが挑発的に迫り、互いに呼応し、音が渦を巻き始める。
初期の KING CRIMSON のようにヘヴィな展開だ。
「È Cosí Poco Quel Che Conosco(知らないことばかり)」(2:54)
前曲の勢いのままに、激しいリズムでサックス、オルガンが猛り、演奏が沸騰する。
サックス、ギター主導の頭悪そうなプレイに荒々しいダミ声ヴォーカルが重なる猛烈な演奏だ。
ヴォーカルに応じるギター、オルガンのオブリガートは調子こそいいがどこまでも荒々しい。
肉感的なサックスとイージーなリフ、シャフル・ビートによるハードなジャズロック。
「Ciò Che Nasce Con Me(私が生みだすもの)」(4:12)
ピアノ、フルート、透き通るストリングスが伴奏するリリカルな歌もの。
こうなると悪声ヴォーカルもリカルド・コッチャンテに聴こえてくる。
スタカート気味のベース・ラインもいい感じだ。
ていねいなオブリガート、間奏、そして、中盤からのコーラスとのやりとりを経て、厳かなクライマックスを迎える。
この長閑にして暖かみあふれる、大仰な雰囲気は、何ものにも代え難い。
イタリアン・プログレのベスト曲集を作るときには、必ず入れたい曲です。
「Splendida Sensazione(晴れわたる心)」(5:45)
ベートーベン?からバルトーク?、ジャズまで転げまわるピアノとフルートのアドリヴをフィーチュアしたエピローグ風のインストゥルメンタル。
ピアノは低音の重量感を活かした激しい演奏である。
フルートはアルバムを回顧するように次々と移り変わるトゥッティの狂言回し。
終曲のせいか、朗々と鳴り響くムーグの音が EL&P の「Lucky Man」を思いださせる。
(FONIT LPQ 09082 / MMP229)