イタリアのプログレッシヴ・ロック・グループ「OSANNA」。 71 年 CITTA FRONTALE を母体に、ダニロ・ルスティチとエリオ・ダーナによりナポリにて結成。 同年ミラノ進出、アルバム・デビュー。 断続的ながらも 78 年まで活動を続け、五枚のオリジナル・アルバムを残す。 サウンドは、フォークやフリー・ジャズなど多様な音楽性を取り込んだヘヴィ・ロック。 リード・ヴォーカルはイタリアン・ロック界随一。2010 年来日。
Elio D'anna | flute, piccolo, tenor sax, baritone sax |
Lino Vairett | vocals, 12 string guitar, harmonica, hammond organ, synthesizer |
Danilo Rusici | guitar, 12 string guitar, pipe organ, electronics |
Lello Brandi | bass |
Massimo Guarino | drums |
71 年発表の第一作「L'uomo」。
内容は、管楽器などアコースティックな音を取り入れたサイケデリックなヘヴィ・ロック。
フルートをフィーチュアしたフォーク・ロックから、泥臭いサックスの入ったハードロック、さらにそこへジャズまで盛り込んだ、暴力的ながらもミクスチャー感覚あふれるサウンドである。
根底には、ブリティッシュ・ロックを意識したシャープなセンスがあるようだ。
しかし、あえてゴテゴテとした意匠をかぶり、エキセントリックな面を強調している。
ファズ・ギターとトーキング・フルートのハードな応酬が、いつのまにか 4 ビートのジャズ・コンボへと変化するような、何でもありの意外性の面白さが、本作の肝である。
唯一、声量あるヴォーカリストの本格的な歌唱が、戯画的な演奏にリアリティを与えているようだ。
ジャケットの邪教的なメーク(中世イベリア半島にムスリム政権を打ち立てたムーア人は音楽を演じる際に顔を塗りたくっていたという)を施した写真から、アングラ演劇風の秘密めいたステージ・アクトも容易に想像できる。
ヴォーカルは英語とイタリア語が混在している。
1 曲目「Introduzione」
エレクトリックなエフェクトを用いたヘヴィなサイケデリック・ロック。
牧歌的なアコースティック・ギターに、オルガンやフルートが加わり、やがて電子音ノイズの叫びへと塗りかえられる。
フルートは、JETHRO TULL も真っ青の野蛮きわまる奇声トーキング・スタイル。
ワイルドで過激ではあるが、オープニングの混沌を経た後は、自己紹介ソロ回しの役も兼ねる。
いきなりの衝撃。
2 曲目「L'uomo」
イタリアン・ロックらしいアコースティックなバラードが、絶叫型のサックス、ギターの過激で自暴自棄なアレンジとともに崩壊してゆく。
序奏では、クラシカルな響きすらあるのだが。
ヴォーカリストは、抑えた歌唱にも本来の声の良さとカンツォーネらしい逞しさを感じさせる本格派である。
弾き語り風の歌唱表現でも男性的で繊細という相反する境地を難なくこなしている。
サックス、フルートともにパワフルで熱気を感じるが、その力み方が異様。
明暗、緩急の展開はきわめて唐突であり、なんとも取りつくしまがない。
終盤のファルセットによる「Osanna...」コーラスは、きわめて 70 年代初期の NTV のドラマのイメージである。
ダーナのサックスは二管吹きのようだ。
牧歌調と狂気がない交ぜになる感じは初期 KING CRIMSON とも共通する。
3 曲目「Mirror Train」
2 曲目に続く、快調なサイケ・ブギー。
ストラトキャスターのざらつく金属音が非常にカッコいい。
ソウルっぽいスキャットのコーラスはなんとも時代がかっているが、今聴くとけっこう新鮮かもしれない。
イージー・ゴーイングにして汗臭いクラブの澱んだ空気を感じる。
アシッドなギターと気まぐれに舞い踊るジャズ・フルートをフィーチュアし、唐突な 4 ビート・ジャズへの変貌やエレクトリックなノイズによる錯乱調アドリヴなど、やりたい放題。
それでもヴォーカル含めジャジーな演奏がなかなかいい感じだ。
終盤のジミヘン風ギター独壇場までくると、かなり泥酔状態であることに気づく。
4 曲目「Non Sei Vissuto Mai」
乱調美の極致を目指す下品なヘヴィ・サイケデリック・ロック。
フルートをフィーチュアし、声量あるヴォーカルが堂々としたパフォーマンスを張り、無茶なツイン・ギターが暴れまわる。
3 曲目のエンディングのギター・アドリヴが、そのままオープニングとなり、この 4 曲目の最後に 2 曲目のテーマが復活するため、ようやく 2、3、4 曲目は組曲になっているらしいと判別できた。
内容は、クラシカルなテーマを中心にジャズ・コンボやハードロックへと変転するプログレらしい作品ということになるのかもしれないが、歌以外はあまりに荒っぽい。
ギタリストのセンスには唖然である。
音も悪いが弾き手の性格はさらに悪そうだ。
それに比べると、管楽器奏者は荒っぽくプレイしているが、フレージングは意外に正統的。
中盤のスペイシーなアドリヴ・パートでは、悪酔いした上に感電死しそうである。
太鼓のようなドラムスも録音の悪さのせいだけではなさそうだ。
2 曲目のアコースティック・ギターのテーマで幕を引く。
5 曲目「Vado Verso Una Meta」
ギター、フルートのリフで攻めるブルージーなハードロック。
こちら方面にはあまり明るくないが、英国モノのスタイルを継承した本格的なスタイルである。
声量を誇るヴォーカリストの歌唱がなんとなくクリス・ファーロウに聴こえてくる。
間奏部の奇妙なユニゾンやハーモニー、翳りのあるカントリー調の演奏といったヒネリもある。
メイン・パートの演奏はストレートでアタックの強い本格的なものであり、オーセンティックなハードロックである。
6 曲目「In Un Vecchio Cieco」
雰囲気あるフォーク・ソングが加熱の果てにフリー・ジャズ(やはり初期 KING CRIMSON か)風の混沌へと突進してしまう怪曲。
イントロはかなりノイジーで波乱含みだが、メイン・パートは枯れた風情に色気の漂うフォーク・タッチである。
上条恒彦といえばいいかもしれない。
このままゆけば、なかなか聴きやすかったはずだ。
しかし、中盤からは大混乱となる。
中世風の典雅と不気味さ、理不尽な凶暴さ、理性の箍をぶち切って噴出するエネルギー。
思い切った構成による面白い試みだが、前半はそのすばらしい出来のまま別の曲にした方がよかった。
イントロの乱調は、やはり来るべき波乱を告げていたのだ。
潮騒のような音が背景に響く。
7 曲目「L'Amore Vincera' Di Nuovo」
ロマンチックな「静/諦観」と激しい「動/官能」が対比するロック・バラードの傑作。
どんなにヘヴィな音でも、根本には弾き語りがあると納得させてくれる内容である。
この人たちは素面だとこんなにいい曲が書けるのだ。
つまり、ただの泥酔ロックではないのだ。
おだやかなテーマ・パートのヴォーカルは英語であり、それもほとんどネイティヴと区別がつかない。
このヴォーカリストは、ただならぬ逸材である。
フルートのさえずりはここでも際立っている。
笑い声に包まれる最後は、真面目に終わるのがテレ臭いのかもしれない。
名曲です。
8 曲目「Everybody's Gonna See You Die」
HUMBLE PIE や FREE のように、粘っこくもタイトで切れのいいロックンロール。
ワイルドなギター・リフ、レイ・チャールズのバンドのようなサックス、そしてブルース・ハープ。
リフ、アルペジオ、省略コードでのバッキングなど、リズムとノリを重視したギタリストの並々ならぬ力量がよく現れている。
ハイトーンのシャウトやレイド・バックしたムードなどは、ややアメリカ風かもしれない。
ヴォーカルは英語。
9 曲目「Lady Power」
英国ロックの影響色濃いハードロック。
とりあえず、LED ZEPPELIN、DEEP PURPLE、FREE など有名グループの持ちネタをきちんとカヴァーしている。
けたたましく無機的なギター・リフが、R&B を核としたビート、サイケデリック・ロック、ブルーズ・ロックを超えたハードロックの域へと入ったことを象徴する。
一つ前の曲から一気に 3 年くらい進んだといえばいいのだろうか。
サビをコーラスで決めるあたりはイタリアン・ロックのプライドか。
何にせよ、ここまでの 3 曲は、きわめて高品位のブリティッシュ・ハードロックである。
荒っぽい音にもかかわらず、音楽的なセンスは P.F.M に匹敵。
最後の輪廻は意外でした。
荒々しいファズ・ギター、けたたましいフルート、野性味あふれるサックスをフィーチュアした、エキセントリックなロック。
ダークなリフで一丸となって突進するヘヴィネスと、思考停止なサイケ色が入り交じったところが特徴だ。
下品なギターの音に、サイケデリック・ロックからハードロックへ移ろうかという時代の流れも、垣間見える。
それでも初めの組曲や 7 曲目には、邪悪なイメージを強調した独特の神秘的な空気が感じられるし、壊れ気味ながらも音楽的な大胆さをもつ 6 曲目などには、あふれんばかりの個性がある。
サイケ馬鹿ではなく、爆発的な才能が勢いあまってしまった、と考えるべきだろう。
特に最後の 3 曲は彼らのセンスを証明している。
また、明確かつ叙情的なアコースティック・ギターのプレイや、ワイルドな熱気の中でも伸びやかなヴォーカルとコーラスが映えるところなど、イタリアン・ロックの醍醐味もある。
素朴な弾き語りを原点に、思い切り誇張してゆがませてしまったのがこのサウンドなのかもしれない、という思いにもとらわれる。
ものすごい熱気が、時代を越えて吹き荒れる作品だ。
外人はコワいです。
(LPX 10 / FONIT CETRA CDM 2037)
Elio D'anna | flute, piccolo, tenor sax, baritone sax |
Lino Vairett | vocals, 12 string guitar, harmonica, hammond organ, synthesizer |
Danilo Rusici | guitar, 12 string guitar, pipe organ, electronics |
Lello Brandi | bass |
Massimo Guarino | drums |
Luis Enriquez Bacalov | Arrangement & Direction |
72 年発表の第二作「Milano Calibro 9 - Preludio, Tema, Variazioni E Canzona」。
同名映画のサウンド・トラックであり、その内容は、狂乱するフルート/サックス、アシッドなギター、ワイルドなリズム・セクションによるサイケデリックなハードロックとルイス・エンリケ・バカロフによる美麗極まる弦楽オーケストラを合体した、バロックな構築物である。
劇伴の常か楽曲が細切れであるため、圧倒的な質感、迫力というわけにはいかないが、濃厚過激な世界を十分に垣間見ることができる。
奇怪なギター・リフ、野太く荒れ狂うサックス、ノイジーでペラペラなキーボードが生み出すギトギトの演奏と、ヨーロピアン・エレガンスを体現する流麗華美なヴィヴァルディ調ストリングスの
テーマが錯綜する展開は、いわゆる「クラシックとロックの融合」などという生やさしい表現では到底物足りない。
失神しそうな乱調美の極致である。
相反する音が化学変化を起し、苛烈にして豪奢という、きわめてアンバランスな世界ができている。
存在感が強いのは、よくも悪くもギター、そしてフルートだろう。
特にギターは、リリカルで味のあるプレイや衝撃的な音を見せる一方で、安易なブルーズ・ロック/ハードロック調にも平然と堕ちこんでしまう。
この節操のなさは、さすがである。
また、変化の多い曲調を、多彩にして安定したプレイで支えているドラムスも見逃せない。
音も、イタリアン・ロックにしてはうまく録れている。
もっとも、個々のプレイよりも、アンサンブル全体の調子や勢いで聴かせるタイプの音なので、あまり初めから細部に拘泥する必要はないだろう。
まずは呆気に取られて、この勢いに押し切られるのが、正しい聴き方かもしれない。
2 曲目のように、シンセサイザーがかそけき管楽器のようにリードを取ってストリングスがぐっと盛り上げる場面や、英語のヴォーカルによる 3 曲目と終曲は、やや古めかしいくはあるが、THE MOODY BLUES など初期の英国プログレの手法をみごとに消化している。
4 曲目のヴォーカル・ハーモニーも、イタリアというよりは英米の音に近い。
また、ジャジーで隙間の多い即興風の演奏には、KING CRIMSON などの影響が感じられる。
したがって、後に、英国ロックの潮流とともにジャズロック志向へとつながってゆくのも、またむべなるかなである。
それにしても、これがサントラの映画って大丈夫なのか?
「Prelude」(4:10)ストリングスと下品なバンドが真っ向衝突する。
「Tema」(4:50)ギターによるマカロニ・ウェスタン風のテーマ。隙間風のように寂しげなシンセサイザーが特徴的だ。テープ逆回転という言葉も最近すっかり聴かなくなりました。
「Variatione 1」(2:15)KING CRIMSON 直系の 8 分の 6 拍子、どうしようもなく荒っぽいギターと泥酔したメル・コリンズのようなサックスで迫る。下品な KING CRIMSON。
「Variatione 2」(4:58)フルート、ヴァイブによる幻想を序章に、シンセサイザーが力強く歌い上げるかと思えば、パストラルな弾き語り(英語ヴォーカル)に変貌する。FAIRFIELD PARLOUR のような英国フォークロックを思わせる演奏である。終盤、ギターが大きくフィーチュアされると、SMALL FACES のような感じになる。
「Variatione 3」(1:38)トーキング・フルートをフィーチュアした悪夢的、錯乱気味の作品。激昂と沈静。
「Variatione 4」(1:31)バラバラに壊れたハードロック。歯車やばねが飛び出してしまった目覚まし時計を思わせる音。
「Variatione 5」(2:10)寄せては返すストリングスの波にシンバル、バスドラ連打で応じる。
「Variatione 6」(2:49)ヴィヴァルディ調のきらびやかなヴァイオリンのトリルに応じる暴力的なドラムス、そして炸裂する酸味たっぷりのギター。
タメのない無機的な調子は BLACK SABBATH のイメージである。
ギターの狂乱がウソのように消え去ると、演奏はやおらエレクトリック・サックスとギターによるジャジーなデュオへと変貌するも、終盤は狂った KING CRIMSON と化す。
「Variatione 7」(1:28)ブルージーなベース下降、ギターもコード伴奏するモダン・ジャズ風のリズムでファズ・サックスが思うさま吼えまくる。
後半、ギターによってイラつくようなリフが提示されると、一気にノイズの爆発、そして消滅。
「Canzona」(4:54)ピアノ伴奏、メロディアスなヴォーカルをフィーチュアした慈愛と安らぎのバラード。
ヴァイレッティのヴォーカルに酔う。
狂おしいサックスと弦楽奏が鮮やかにオーヴァーラップ。
イタリアン・ロックの極致の一つである。
終わりよければすべてよし、にしようとしているが、効果はあまりない。この乱れた気持ちをナントカしてくれ。
英語。
(LPX 14 / K32Y 2115)
Danilo Rustici | guitars, organ, vocals |
Elio d'Anna | sax, flute, piccolo, vocals |
Lello Brandi | bass, bass pedai, guitar |
Lino Vairett | vocals, 12 string guitar, mellotron, synthesizer |
Massimo Guarino | drums, percussion, vibraphone, bell, vocals |
73 年発表の第三作にして突然変異的最高傑作「Palepoli」。
内容は、怖気立つような邪教的エキゾチズムが爆発するヘヴィ・ロック。
風土と精神の暗黒面のパワーを注ぎ込まれた近代音楽の奇怪な混血は、歴史と日常に封印された、あらゆる禍々しいものを白日の下へと解き放ち、底知れぬほど暗く、限りなく捻じ曲がった奇形児を生み出した。
OSANNA は、喜怒哀楽をデフォルメする歌、電気の呪術を媒介するギター、声よりも肉感的なサックスらを総動員し、音を暗黒の坩堝で煮えたぎらせ、ロックの可能性を暴力的に押し広げた。
作曲からアレンジ、制作まですべてメンバーの手になる野心作である。
ユーロ・ロックの代名詞の一つといえる傑作である。
その強烈なインパクトは、一度耳にすれば納得がいくだろう。
「Palepoli - Oro Caldo」(11:21)
この異様なオープニングを聴いて、誰がポップ・ミュージックだと思うだろう。
まるで、怪しげな宗教儀式のようではないか。
この異教の呪文のような響きを導入部として、奇妙な哀感を漂わせつつ、ドラマは幕を開ける。
そして、音楽が始まったときには、すでに泥沼のような祝祭の真っ只中に放り込まれており、電気の嵐で全身を震わせなければならない。
特徴的なのは、ヒステリックに切りかわる動と静。
狂ったような「動」に対して、「静」の部分に、むきだしの切なさと弱々しさがあるところも興味深い。
ヴォーカル、フルートともに、叙情的というには、あまりに繊細な素顔を見せるのだ。
にもかかわらず、ひとたび動き出せば、演奏はあっという間に命がけの全力疾走となり、サックスに象徴されるように、毛穴から血が噴き出しそうな勢いで力み返る。
厳かな祈りのようなメロトロンですら、狂気で膨れ上がったアンサンブルに蹴散らされてしまう。
フルート、ギターも、発狂したとしか思えない勢いで、竜巻のように暴れまわる。
これは、宗教儀式におけるトランス状態に近いのかもしれない。
それでも、このバーレスクまがいの儀式を執り行う男たちには、明確な意図と意識がある。
パート 1 のエンディングに向けて、狂熱のアンサンブルが電気の魔力を放埓に撒き散らし、あたかも疫病のように猛威を振るう。
恐るべきイントロダクションである。
シャフルのタランテラに満ちる、陽気というよりは泥酔したような調子、バラードにおける切実な説得力など、すべてがパノラマのように過ぎ去りながら、強烈な印象を残してゆく。
「Palepoli - Stanza Citta」(9:01)
このオープニングは、不思議なことに、エンディングを幾度も繰返しているようにも聴こえる。
この逆説的な幕開けは、全体を象徴である。
ギターのコード・ストロークを経て、クラシカルな歌が流れ、ようやく曲としての体裁が現れる。
しかし、間髪いれずに、攻撃的で無秩序な演奏へと発散する。
いや、発散というよりも、奈落へ堕ちてゆくような演奏だ。
スリリングなリフレインすら、フリージャズのクライマックスのようなプレイへと飛び散ってしまうのだ。
アコースティックなヴォーカル・パートへの回帰や、壊れたメリーゴラウンドのようなアンサンブルへ突入するなど、展開は予断を許さない。
一瞬たりとも、息をつき、身を委ねる場所はない。
短いモチーフが次々と繰り出され、振り回されているうちに、物語は結末を迎える。
そして、パート 1 の序章の儀式が繰返されるのだ。
最後の叫びが消えてゆくと、どうしようもない疲労とたまりにたまった闇雲なエネルギーが、身体をほてらせる。
狂気と邪悪、そして、人間の抱えた暗黒に一歩踏み込んでしまったような、後味の悪さだけが残る。
細部までゆるぎなく緻密であり、それでいて、全体像は狂人の意識の断面のように、猥雑でどこにも焦点がない。
それでも音が飛び散らずにいられるのは、すべてこの未曾有の狂気のエネルギーが縛りつけるからである。
「Animale Senza Respiro」(21:33)
フリージャズの手法とエレクトリックな効果音を駆使して、リスナーを禍々しい世界へと追いたて、邪悪の洗礼を浴びせる恐るべき音楽である。
息もつかせぬようなフレーズをマニアックにたたみかけ、邪念の奔流の如き暴力的で理不尽な展開で、引きずりまわす。
サックスとギター、ドラムスによるパワフルで緊密なコンビネーションが、これだけ恐るべき演奏となるのも珍しい。
なんといっても最大の魅力は、先行きを全く予期できないスリルだろう。
そして、時おり現れるアコースティックなヴォーカル・パートが、かろうじて一筋の光明となり、白魔術的なフルートのメロディが、つかの間の安息となる。
しかし、ふと気づけば、再び抜きさしならぬ混沌に足を踏み入れてゆくことになる。
もう遅い、嵐のように牙をむいて襲いかかってくる音を立ち尽くして待つのみだ。
サディステックな演奏のもつ真の恐怖は、直接的な衝撃/威嚇だけではない。
哀れみのフルートの調べに、この猛り狂う演奏は実はわれわれの心の鏡像なのだ、というメッセージを読み取ったとき、リスナーは改めて恐怖に慄然とすることになる。
恐るべき音楽である。
メロトロンからこぼれ落ちる叙情は、すでに幾人もの人間が喉を潤しており、次の一滴は残っていないかもしれない。
すべては、人間を哀れむ歌なのだ。
本作は、「Palepoli」から宗教という意味を剥ぎ取り、さらに根本へと推し進めたものではないか。
(LPX 19 / KICP 2703)
Danilo Rustici | guitars, 12-strings, Mellotron, organ, synthesizer, Mellotron, vocals |
Elio d'Anna | alto & tenor & baritone sax, flute, piccolo, vocals |
Lello Brandi | bass on 1-4,6 |
Lino Vairett | vocals, 12 strings & acoustic & electric & slide guitar, Mellotron, synthesizer, organ, harmonium |
Massimo Guarino | drums, percussion, timpani, vibraphone |
guest: | |
---|---|
Corrado Rustici | vocals on 5, acoustic guitar on 5, 12-strings on 6 |
Enzo Vallicelli | percussion on 4,5 |
74 年発表の第四作「Landscape Of Life」。
本作発表時、グループは、すでに活動休止状態にあった。
本作では、毒々しいサックスと耽美なフルートは冴えるものの、肉感的で熱狂的なプログレ色は後退する。
どちらかというと、パストラルかつシンフォニックなバラードや DEEP PURPLE ばりのハードロックといったオーソドックスなスタイルが基本になっている。
OSANNA らしい粘っこく酸味があってワイルドなサウンドを聴くことができるのは、メロトロンが使われた 1 曲目くらいだ。
他は、さまざまなしかけはあるものの、基本はハードロックとバラードで占められている。
ギターの音もかつての乱調サウンドとは異なる、洗練された、ディレイ付きのへヴィ・ディストーション・サウンドになっている。
それでもさすがなのは、アコースティックな歌パートがすばらしいところだ。
フルートも歌を受けとめるときの繊細な表情がいい。
最終曲では、のどかなフォークロック調が一陣のつむじ風とともにシンセサイザーとメロトロンに支えられた華麗なエンディングを迎える。
ヴォーカルが一部英語であるなど英国ロックの影響が見られるのは、本作録音前に、ルスティチとダーナが渡英して「UNO」を作っていたせいだろう。
ただし、作風がブリティッシュ・ロック調になっても、独特の生々しさや官能性といった危険なエキスが染み出しているのもまた事実である。
イタリアン・ロック恐るべし。
本作を最後に、75 年、OSANNA は解散する。
各曲も鑑賞予定。
「Il Castello Dell'es」(8:55)ドロドロの OSANNA 節全開の傑作。
「Landscape Of Life」(6:00)
「Two Boys」(3:43)DEEP PURPLE にサックス、フルートを加えたようなハードロック。「Fireball」ですな。
「Fog In My Mind」(7:45)PROCOL HARUM ばりのオルガン、歌唱で迫る感動の序章から、テクニカルかつ情熱暴走気味の「らしい」演奏に変転する力作。パーカッションもフィーチュア。
「Promised Land」(1:32)弾き語りフォークプラスサックス。ギターも歌もコラード・ルスティチのようです。
「Fiume/Somehow, Somewhere, Sometime」(8:20)パストラルなフォークロック。ヴァイレッティの歌がすばらしい。
(LPX 32 / FONIT CETRA CDLP 424)
その後、ダニロ・ルスティチとエリオ・ダナは、平行して活動していた NOVA に力点を移し、英国のミュージシャンとともに活動を始める。 一方、マッシモ・グアリノ、リノ・ヴァイレッティは、CITTA FRONTALEを結成、アルバム一枚を残す。 そして 77 年、OSANNA は再々結成し、「Suddance」を発表する。
Danilo Rustici | electric & acoustic guitars |
Enzo Petrone | bass |
Fabrizio D'Angelo Lancellotti | keyboards |
Lino Vairett | vocals, guitar on 3 |
Massimo Guarino | drums, percussion, vibraphone |
guest: | |
---|---|
Antonio Spagnolo | electric violin on 2 |
Benni Caiazzo | soprano sax on 5, alto sax on 3, tenor sax on 7 |
78 年発表の第四作「Suddance」。
NOVA を退いたダニロ・ルスティチが、ヴァイレッティ、グアリノと合流して OSANNA は再結成、本作品を発表した。
ベーシスト(凄腕!)とキーボーディストは新メンバー。
内容は、ヴォーカルをフィーチュアするも MAHAVISHNU ORCHESTRA 風のジャズロック色の強いもの。
エレクトリック・キーボード、ギター、リズム・セクションが硬質かつ生々しい音でぶつかりあう、ハードな手ごたえある演奏である。
ルスティチは全編でせわしないギターを弾き捲くる(特に強引なまでのアコースティック・ギターが印象的)。
要所で現れる官能的なサックスはゲストをフィーチュアしている。
そして、ここでも、ヴァイレッティのパワフルなイタリア語(ナポリ方言らしい)歌唱の存在感が抜群。
ファンキーだがあまり黒人ぽくはなく、ティレニア海を巡る薫風のようにあまやかで、したたりそうな男性的魅力にあふれている。
欧米のメインストリームよりはやや遅れたスタイルかもしれないが、バラードでの官能的な表現やハードなサウンドに浮かび上がるしなやかさ、熱い強引さなど、イタリアン・ロックの魅力はちゃんと詰まっている。
そして何より、アコースティック・ギターの響きにヴォーカルが重なると、往年のイタリアン・ロックがはっきりと甦ってきます。
また、全体に同時代の日本のジャズ/ロック・バンドに通じるスタイルだとも思います。
邦題は「南の踊り」。
「Ce Vulesse」(4:32)
「'A Zingara」(7:44)広がりのある傑作。
「'O Napulitano」(9:39)サックスを大きく取り上げた ARTI E MESTIERI テイストのある作品。
「Suddance」(4:38)勇壮で気高い MAHAVISHNU 直系のジャズロック。
「Chiuso Qui」(9:12)ジャジーな歌もの。間奏部では爆発的なテンションの演奏を繰り広げる。
「Saraceno」(0:50)
「Naples In The World」(4:23)
(CBS 82449 / SICP 2588)