イタリアが世界に誇るプログレッシヴ・ロック・グループ「P.F.M」。 60 年代後半、QUELLI として活動した四人のスタジオ・ミュージシャンは、70 年にマウロ・パガーニをメンバーに加えて「Premiata Forneria Marconi」というグループ名で再デビューする。 高度な技巧と豊かな音楽性に支えられた作品は、70 年代前半に英国を通して世界へと伝えられ、絶賛を浴びる。サウンドは、クラシックの手法を取り入れた 70 年代前半の斬新なものから、ジャズ、ラテンへの傾倒そして原点への回帰ともいえるイタリアン・フォルクローレからメインストリーム・ポップスへと変遷を重ねる。 イタリアン・ロックの最高峰であり、プログレッシヴ・ロックの至宝。 2015 年オリジナル・メンバーのフランコ・ムッシーダが脱退を発表。
Flavio Premoli | keyboards & vocals |
Franz Di Cioccio | drums & vocals |
Giorgio Piazza | bass |
Franco Mussida | guitars & vocals |
Mauro Pagani | violin & woodwind |
73 年に英語盤として発表された第三作「Photos Of Ghosts」は、ピート・シンフィールドが英詩を担当し、EL&P 主催のマンティコア・レーベルからリリースされた。
イタリアン・ロックの傑出した音楽観を提示するとともに、ヨーロピアン・ロックの世界進出の先駆けとなった記念碑的作品である。
文字通り、世界的な絶賛に浴した。
邦題は「幻の映像」。
「River Of Life」(7:00)(第二作「Per Un Amico」より「Appena Un Poco」)。
バロック・アンサンブルとヘヴィなロックが、完全な融合を見せる叙情的なクラシカル・ロックの大傑作。
重厚にして悲劇的な予兆をもつグラーヴェで描く典型的な古典舞曲の序曲、そしてトリオによる変奏部のアンダンテからハードなプレストへと急転直下の変転を見せるイントロダクションは、まさにバロック音楽そのものの魅力である。
ギターと舞い踊るようなフルート、チェンバロそしてロマンチックなコーラスが、軽やかな舞曲のステップとともに、ポエティックな美しさを呼び覚ますパートと、ギターとメロトロンが繰り広げる交響詩的なシンフォニックなパートが交互に現れ、やがてあたかも音の魔術のように、一つの大きな流れへと織り込まれてゆく。
クラシカルな美しさに満ちた大きなスケールのシンフォニック・ロック。
クラシック的な旋律美とポリフォニーの呼び覚ます知的感興、そしてシンフォニックな昂揚と目も眩むようなドラマ。
すべてにわたって完璧といえるプログレッシヴ・ロックの代名詞的作品。
もしくは KING CRIMSON の名曲「Epitaph」のルネッサンス的解釈。
迸るロマンに魂は打ち震え、動悸と涙が止まらない。
この一曲で虜になること間違いなし。
冒頭のソロ・ギターはバッハの無伴奏チェロ組曲第五番の序曲と近いイメージです。
「Celebration」(3:52)(ファースト・アルバム「Storia Di Un Minuto」より「E'Festa」)は、タランテラ調のシャフル・ビートで突き進む、祝祭的かつパワフルな作品。
ストレートに押し捲る、力強いアンサンブルもすばらしいが、フルート、ギター、シンセサイザーが巧みに重ねられたシャフルでの疾走パートと、リリカルなヴォーカル・パートのコントラストもみごと。
重厚なメロトロンとシンセサイザーを経たクラシカルなピアノの演奏に導かれ、フルートが愛らしい旋律を奏でると、再びエネルギッシュなバンド・アンサンブルが戻ってくる。
この展開が圧巻である。
ユーモアと活気に満ちたお国柄を彷彿させる、にぎやかなナンバー。
中間部の重厚な演奏も効果的だ。
「Photos Of Ghosts」(5:23)(第二作「Per Un Amico」よりタイトル・ナンバー)は、フルートとピアノ、そして様々な音が散りばめられた神秘的なイントロダクションから始まる。
エフェクト処理されたヴォーカルが加わり、ほのかなエキゾチズムを漂わすミステリアスな演奏が続いてゆく。
そして緻密なドラムスに導かれたインストゥルメンタルは、ヴァイオリンのカデンツァへと飛び込み、最初のクライマックスを迎える。
アコースティック・ギターのコード・ストロークに続く、華麗なシンセサイザー・ソロが、第二のクライマックスか。
最後は再びピアノが静かにヴォーカルの伴奏を奏で、シンセサイザーのエピローグで終る。
デリケートなサウンドと緻密なアンサンブルが冴えるシンフォニックな作品。
ドビュッシーを思わせる幻想的なヴォーカル・パートからインストゥルメンタルへかけて、螺旋を描くように盛り上がり、鮮やかなクライマックスを迎える。
みごとな構成だ。
そしてシリアスなメロディが一瞬にして柔和に表情を変えるなど、場面転換の妙味は筆舌に尽くし難い。
卓越したアレンジとテクニックが存分に味わえる作品だ。
5 分半とは思えない充実した内容である。
「Old Rain」(3:41)は、即興風のアコースティック・アンサンブルが美しい作品。
アコースティック・ギターの柔らかなイントロからピアノが静かに響き、ヴァイオリンがメランコリックなメロディを歌い始める。
ヴァイオリンとアコースティック・ギター、ピアノはソロを廻しつつ、穏かなインタープレイが繰り広げる。
密やかに舞うニンフのようなフルートが、アンサンブルに輝くようなアクセントをつける。
最後は、ギターのピチカートに反応するようにシンバル、ピアノが響いて終わる。
印象派とジャズの要素が混ざり合ったような、神秘的なインストゥルメンタル。
穏かな空気に、神々しいまでの美しさが浮かび上がる。
セッション風の曲調といい、エンディングのギターの音といい、一発録りのようにも思える。
唯一イタリア語で歌われる「Il Banchetto」(8:36)(「Per Un Amico」より同曲)も、さまざまな楽器が入れ代わり立ち代り現れてはスリリングな演奏を繰り広げる、きわめて豊かなクラシカル・ロック。
きらめくようなアコースティック・ギターに支えられたロマンティックなヴォーカルを、華麗な器楽が追いかけてゆく。
甘やかなトーンのエレキギターによる間奏、柔和なピアノ伴奏も加わり、軽やかな演奏が続いてゆく。
夢見るようなフルートのさえずりをきっかけに、12 弦ギターのアルペジオとシンセサイザーによる神秘的なアンサンブルが始まる。
変調する電子音特有の不可思議な響きへ、アコースティック・ギター、ハープらが重なり、渦を巻くように夢幻世界の扉が開くのだ。シンセサイザーの主旋律は、メロトロン、ハープらに分厚く塗りこめられた空間を切り裂くように貫いてゆく。
小気味いいハイハットのリズム。
ふと、立ち止まると、万華鏡のようにシンセサイザー、フルート、木管らがコラージュされてぐるぐると回り始める。
いつしか柔らかな木管の響きと重厚なストリングスの対話へと進み、対話が消えると、クラシカルなピアノによる即興演奏が始まる。
低音のオスティナートを華やかな高音が彩る、官能的な演奏である。
再び柔らかなトーンのエレキギターによるテーマが復活し、快活なヴォーカル・ハーモニーとともに走り出す。
すべては夢だったのかもしれない。
魔法の如き変幻自在のアンサンブルによる、クラシカル・ロック絵巻。
軽やかなヴォーカル・パートからシンフォニックなインストゥルメンタル、アヴァンギャルドにして目のくらむほど美しいコラージュヘと流れる、あたかも一時の夢想をそのまま描いたような名品である。
一つ一つのフレーズの美しさが飛びぬけている。
特筆すべきは、前半のヴォーカル・アンサンブルにおけるフルート。
そしてエキゾチックなヴォーカル・パート、すべてのキーボード、透明感あふれる 12 弦アコースティック・ギターのアルペジオ/ストローク。
さらには、間奏におけるシンフォニックなクライマックスを経た後の、シンセサイザーらによるコラージュ・アート。
音色の衣を旋律の糸で綴り合わせた大傑作。
こんな曲はふつう作れません。
「Mr.9'Till 5」(4:11)(第二作「Per Un Amico」より「Generale!(生誕)」)は、本作では珍しくエレキギターがリードするハードなナンバー。
テクニカルなドラムスのピック・アップ、そしてギターとピアノが繰り広げるスリリングなアンサンブルに、華麗なヴァイオリンも絡むイントロダクション。
そして 7 拍子の凝ったギター・リフがリードする、ジョン・レノンを思わせるファンキーなヴォーカル・パートが盛り上る。
しかし、曲はここで大きく方向を変える。
長いブレイクをはさみ、なんとマーチング・ドラムスがフェード・イン、フルートがユーモラスなソロを奏で、すっかり鼓笛隊である。そしてシンセサイザー、ピアノ、アコースティック・ギターらによるフォーク・タッチのアンサンブルが、のどかに始まる。
ギターとチェンバロのかけあいから、今度は一転チャーチ・オルガンが厳かに響く。
そして緊張感を高めるギターのストロークとともに、奇妙に平板なヴォーカル・ハーモニーが戻り、ギターとピアノが強烈に暴れる。ギターを追いかけて、シンセサイザーもキース・エマーソンばりに、エキゾチックなフレーズを弾き倒す。
序盤ではヴァイオリンが見せていたオブリガートを、ここではシンセサイザーに弾かせるなど、細かい配慮もある。
最後もギターのけたたましいリフがフェード・アウト。
抜群の演奏力を見せつけるテクニカル・チューン。
遠慮会釈なくテクニカルに押し捲る演奏や、ややファンキーなヴォーカル、突拍子ないアレンジは、やはり GENTLE GIANT の影響下だろうか。
中盤、鼓笛隊からフォーク・ソングそしてチャーチ・オルガンへの展開は、いかにもではないだろうか。
しかしながら、ぎこちなさの微塵もない流麗な展開と音のみずみずしさでは、こちらに軍配が上がるかもしれない。
それほど、ぶッ飛んだアレンジを切れのあるみごとな演奏で、こなしているのだ。
ヴォーカル・パートへ回帰した後の、EL&P ばりの演奏もカッコいい。
原曲は、インストゥルメンタル。
「Promenade The Puzzle」(7:31)(「Per Un Amico」より「Geranio」)は、フルートとアコースティック・ギターによる優美なバロック・アンサンブルのイントロダクション。
端正にしてロマンティックな演奏だ。
ピアノ伴奏で、ひそやかにヴォーカルが歌い始める。
静かに波紋が広がるような演奏だ。
爪弾くようなピアノによるゆったりしたリフレインがクレシェンドし、ドラムスのピックアップとともにリラックスしたヴォカリーズが始まる。
オブリガートでの巧みなリズム・チェンジがみごとだ。
二度目の間奏では、ベースとギターによるなめらかなリフレインを伴奏に、フルート/ピアノ、ハモンド・オルガン、シンセサイザーへとフレーズが数珠繋ぎで渡ってゆく。
これは、まさしく GENTLE GIANT だが、それだけトリッキーな演奏にもかかわらず、音色は心地よくメロディも優美である。
そして何より自然なのだ。
ヴォカリーズを一瞬のブレイクが断ち切り、悩ましげなピアノのリフレインとともに低音のシンセサイザーが蠢く。ダークなワルツである。
再びゆったりと舞い降りたピアノは、美しいトレモロを奏でる。
華麗なるヴァイオリンが重なる。
ざわめくシンバルをきっかけに、メイン・ヴォーカル・パートへ戻る。
優美なフルートのオブリガート。
そしてアコースティック・ギターの神秘的なアルペジオによる静かな演奏が続く。
ヴォーカルは、次第にヴォリュームを上げ緊張が高まる。
エンディングは鐘のように高らかに鳴り響くピアノをバックに、シンセサイザーがメカニカルな音色のフレーズを繰り返して消えてゆく。
謎めいた静けさのなかにロマンあふれる佳曲。
クラシカルな安定感と愛らしい歌心、そして初期 GENESIS もしくはたおやかな JETHRO TULL ともいうべき物語風のヴォーカル。
インストゥルメンタル・パートでは、キーボードを中心に反復を多用して、神秘的な効果をあげている。
3 拍子のアンサンブルには、涙を誘うロマンチシズムあり。
エンディングでも気がつくが、全体を通して反復効果が巧みに活かされており、曲が永遠に続いてゆく錯覚にとらわれる。
渦を巻きながら消えてゆく音に、限りなく夢見ることへの強い憧れを感じる。
デ・チョッチョが、スティックをもったままパントマイムと熱唱を見せる傑作。
イタリアン・ロック、プログレッシヴ・ロックを代表する名盤。
一つの曲に通常の数曲分のアイデアと演奏が凝縮されており、そんな楽曲がいくつも並ぶ、稀有なアルバムである。
すべては美しい音楽のため、といわんばかりにつぎ込まれる技巧の数々が生み出すのは、純粋な音楽的感動である。
思いつくだけでも、アコースティック・ギターが効果的に使われること、主旋律クラスの魅力的な旋律を次々と惜しげなく使ってゆくこと、楽器のソロとソロのつなぎ及び場面転換の巧みなこと(たとえば、ドラムスが次の展開を先取りして叩き始める、フルートが次の展開を先取って演奏しリードするなど)、ダイナミック・レンジを大きく使い切った表現など、あらゆるところに技巧とアイデアが満ちている。
これは、美しいメロディを軸に緻密に組み上げたアンサンブルに、変幻自在のストーリー性を盛り込み、ダイナミックに演奏するというロックの一つの理想を極めたスタイルなのだ。
KING CRIMSON の第一作や YES の「Close To The Edge」に匹敵する内容に、天性のロマンティックなメロディ・センスが加わった極上品であり、美しすぎて思わず一回しり込みしてから、改めて力いっぱい抱きしめたくなる超名盤である。
本作は、イタリア盤の第二作「Per Un Amico」全曲の再録(5 曲目はそのまま使用)とファースト・アルバム「Storia Di Un Minuto」から 1 曲、そしてこのアルバムのための新曲が 1 曲、という構成である。
(ZSLN 55661 / KICP 2701)
Flavio Premoli | organ, acoustic & electric piano, Mellotron, cembalo, Moog, vocals |
Giorgio Piazza | bass, vocals |
Franz Di Cioccio | drums, Moog, junk, vocals |
Mauro Pagani | flute, piccolo, violin, vocals |
Franco Mussida | electric & acoustic guitars, 12 string guitar, mandolin & vocals |
71 年にイタリア盤として発表されたデビュー作「Storia Di Un Minuto」。
内容は、ムーグやメロトロンに彩られる、憂いに満ちたファンタジック・ロック。
決定的に他のイタリアのグループと異なるのは、全員のテクニックがずば抜けていることと、同時代のブリティッシュ・ロックのエキスを徹底的に吸収していること(もっともこの点では、NEW TROLLS や LE ORME も忘れてはならないが)。
したがって、イタリア生来のエネルギーと官能的な優美さを失わないまま、緻密で繊細な構築性をもった曲ができている。
クラシックの素養があるパガーニ、ムッシーダにプレモリを加えた作曲のブレーンたちは、ロック・ミュージシャンとしてのテクニックを、いかにソフィスティケートされた形で曲にまとめてゆくかに、腐心したに違いない。
本作は、一見抒情的でおとなしめの曲が多いと思われそうだが、楽曲には聴けば聴くほどに細やかな配慮がゆき届いており、その演奏もきわめて緻密である。
磨きをかけられたメロディ・ラインがすばらしく美しい上に、そのメロディを織り糸に精緻な模様が描かれているのだ。
郷愁あふれるフォルクローレの表現、クラシックの構築性とダイナミズム、幻想性、さらには技巧を凝らしたアンサンブルと、どれを取っても一級品である。
プロデュースは、グループとクラウディオ・ファビ。
邦題は「幻想物語」。
(原題は「一分間の物語」の意)
「Introduzione」(1:10)に続く「Impresioni Di Settembre」(5:43)はあまやかな歌が切なく訴えかけてくる名曲。
フォーク・タッチの弾き語りがメロトロン、ムーグの迸りとともにシンフォニックに変貌し高まってゆく。
3 曲目「E'Festa」(4:51)は「Celebration」として英語盤にも採用された躍動感たっぷりの名曲。
ムニエラのリズムによる、にぎやかなお祭りソングである。
ムーグによるテーマとフルートのオブリガート、ダンサブルなリズムを支えるギター、そしてメランコリックなメロトロンなど、充実した演奏である。
英語盤では、フルート、チェンバロによるクラシカルな間奏の直前の部分とエンディングが変えられている。
「Dove...Quando...(Parte 1/2)」(4:08/6:00)は、二部構成の大作。
パート 1 は、民族楽派風のクラシカルなテーマが美しいスローなヴォーカル・ナンバーであり、
パート 2 では、モダンなピアノ・ソロとロマンティックなヴァイオリンを軸に、テクニカルかつシンフォニックに駆け巡る演奏がフルートをフィーチュアしたジャズ・アンサンブルへと変貌してゆく。
クラシカルな旋律美に加えて、大胆な構成とパート 2 でのスリリングかつ精緻な演奏は、前衛ロックの面目躍如たる内容である。
アルバムを代表する力作だ。
「E'Festa」のテーマがオルガンでこっそり再現されている。
「La Carrozza Di Hans」(6:45)
ヘヴィな決めのトゥッティとリリカルなヴォーカル・パートのコントラストが鮮やかな変化に富む作品。
郷愁を誘うアコースティック・ギター・ソロから、一転オルガンとギターが躍動するアンサンブルへと変化し、ヴァイオリンも加わったスリリングな演奏が繰り広げられる。
激情をぶつけてくる、いかにもイタリアン・ロックらしいヘヴィなサウンド。
ここでも、ユニークなのは流れるように移り変わる曲調である。
この変幻自在な演奏は、P.F.M の大きな特徴だ。
アコースティック・ギター・ソロでは、バッハのモチーフやクラシック・ギターのテクニックが次々に披露され、フランコ・ムッシーダが、ヤン・アッカーマンとともに幅広い素養を持つ卓越したギタリストであることが分かる。
「Grazie Davvero」(5:52)では、再び序盤のようなメランコリックなフォーク・ソングへと還ってゆく。
たおやかな演奏は表情を一転させて、ストリングスやシンセサイザー・ブラスまで巻きこむ大仰な展開へと発展する。
ミステリアスな中間部からジャジーなスケルツォを交え、独特の効果を上げる。
楽器のフレーズを細かく切り貼りするような肌理細かい演奏は、得意技のようだ。
エンディングでは、シンフォニックなストリング、ブラスによる力強い演奏と穏やかなヴォーカルが交錯し、すべての音が一筋の流れに巻き込まれて消えてゆく。
魔術的といっていいアレンジの見事さである。
全体のイメージは静謐で幻想的なムードに貫かれているが、よく聴くと、曲毎の表情の変化は決して小さくない。
作品の自然な流れが、この独特の「おとなしさ」を生んでいる。
最大の特徴は、流麗かつ大胆な展開をもつ楽曲と際立つソロ。
素朴な感触の音に、緻密に計算された効果がどっさり盛り込まれており、後のアルバムで大きく花開く予感がある。
シャウトのない淡々とした歌唱、ギターがブルース・スケールでソロを弾かないなど、いわゆるロックとは距離をおいたニュアンスがあり、このグループの特異性を示している。
当時流行したアート・ロックの名を借りたオルガン・ロックとは、スケールの面でも音の密度の高さでも、完全にレベルが異なる。
後の英語盤と比べると、発想/アレンジは奔放だ。
イタリアン・ロック中ではダントツの名盤でしょう。
(ZSLN 55055 / KICP 2717)
Flavio Premoli | organ, acoustic & electric piano, Mellotron, cembalo, Moog, vocals |
Giorgio Piazza | bass, vocals |
Franz Di Cioccio | drums, Moog, junk, vocals |
Mauro Pagani | flute, piccolo, violin, vocals |
Franco Mussida | electric & acoustic guitars, 12 string guitar, mandolin & vocals |
72 年にイタリア盤として発表された第二作「Per Un Amico」。
プロデュースは、グループとクラウディオ・ファビ。
全曲が「Photos Of Ghosts」に採用されたため、影が薄い感もあるが、イタリア語の響きの美しさはまた格別である。
また、オリジナル・アレンジの方が優れていると思えるところもたくさんある。
デビュー盤から続けて聴くと、成長の跡がうかがえてうれしい作品だ。
特に、「Appena Un Poco」は、クラシカルなイントロといい緻密かつ大胆な進行といい、前作で感じられた特異性が豊かな実を結んだ傑作である。
そして、他のナンバーでもその進化は耳を疑うばかりであり、これを聴き逃さなかったピート・シンフィールドのセンスは大したものである。
「Generale」は、「Mr.9'Till 5」のオリジナル。
こちらはインストゥルメンタルだ。
テクニカルなアンサンブルが強烈。
「Photos Of Ghosts」にそのまま採用された「Il Banchetto」は、代表作といっていい完成度の高い大傑作。
クラシック、およびコラージュのような現代音楽的手法、そしてシンセサイザーに代表されるモダンなロックのサウンドと技巧がかみ合って、新しい音楽を生んでいる。
「Geranio」は、叙情的なサウンドを基調に、様々なフレーズが綴られてゆく不思議な作品。
淡々としたアンサンブルが印象的だ。
ただし、英国盤に比べるとややダイナミック・レンジが狭い気もする。
邦題は「友よ」。
第一作を経て、より複雑なアレンジへの挑戦とアンサンブルの高度化が図られた作品。
もちろん、歌心も忘れられていない。
英語盤の華やかなアレンジに聴きなれた耳には、やや地味に響いてしまうかもしれないが、もし発表順に聴いていたとするならば、間違いなく本作の斬新さと完成度の高さに息を呑んだに違いない。
「Il Banchetto」は、完璧無比のクラシカル・ロック。
(DZSLN 55155 / KICP 2718)
Franz Di Cioccio | drums, percussion, vocals |
Jan Patrick Djivas | bass, vocals |
Franco Mussida | guitars, lead vocals |
Mauro Pagani | woodwind, violin, vocals |
Flavio Premoli | keyboards, lead vocals |
74 年に発表された第四作「The World Became The World」。
ベーシストとして、元 AREA のパトリック・ジヴァスを迎え、さらにテクニカルに強力になった P.F.M の英語盤第二作。
オープニング・ナンバーの荘厳なコラールに圧倒され、気がつけば、華麗にしてダイナミックな音楽世界にがっちりと捉えられてしまう傑作だ。
リリカルなナンバーを経て、圧巻は、テクニカルにしてめまぐるしい変転を華麗に綴る「Four Holes In The Ground」。
超絶的な技巧を駆使するが、典型的なプログレ・サウンドであった英語盤第一作と比べると、ヨーロピアンな音と THE BEATLES を思わせる英国ポップロックの奇跡的なブレンドというイメージが強い。
プロデュースはグループとクラウディオ・ファビ。
歌詞はピート・シンフィールド。
「The Mountain」(10:44)「L'Isola Di Niente」の英語版。シンフィールドによる歌詞には、古代日本の山の神「OYaTsuMI」(おそらく「おおやまつみのみこと」の意)が現れる。
「Just Look Away」(4:00)「Dolcissima Maria」の英語版。
「The World Became The World」(4:48)第一作収録の「Impressioni Di Settembre」の英語版。
「Four Holes In The Ground」(7:25)「La Luna Nuova」の英語版。
「Is My Face On Straight」(6:38)
「Have Your Cake And Beat It」(7:21)「Via Lumiere」の英語版。
インストゥルメンタル。
(K 53502 / 74321497952)
Franz Di Cioccio | drums, percussion, vocals |
Jan Patrick Djivas | bass, vocals |
Franco Mussida | guitars, lead vocals |
Mauro Pagani | violin, flute, vocals |
Flavio Premoli | keyboards, lead vocals |
74 年に発表された「L'Isola Di Niente」。
「The World Became The World」と同時製作・発表された同作のイタリア盤。
英語盤と異なり、イタリアでの第一作に収録されていた「Impressioni Di Settembre(九月の情景)」の再録である「The World Became The World」が入っていない。
プロデュースはグループとクラウディオ・ファビ。
邦題は「甦る世界」。
「L'Isola Di Niente(幻の島(マウンテン))」(10:42)壮麗にしてファンタジックなコラールに導かれる緊張感あふれるクラシカル・ロック大作。
重厚。
「Is My Face On Straight(困惑)」(6:38)唯一シンフィールドによる英詞の作品。
フォーク風のメロディアスなテーマを巡って、小気味のいい演奏が繰り広げられる。
奔放なフルート・ソロやアコーディオン・ソロも楽しいが、やはり一体感のあるシャープなアンサンブルが聴きもの。
リード・ヴォーカルは誰だろう?
「La Luna Nuova(新月(原始への回帰))」(6:21)クラシカルにしてジャジーな華麗なるロック絵巻。
8 分の 6 拍子による華やかな舞曲風のテーマとその変奏の超絶アンサンブル、さらには、お祭り騒ぎのヴォーカル・パートまでが、自然にとけあうイタリアン・ロックらしい作品だ。
リラックスした超絶演奏は、GENTLE GIANT をまろやかに優雅にしたようなイメージである。
バロック・トランペットを思わせるムーグが絶品。
代表作といえるでしょう。
ヴォーカルはプレモリ。
「Dolcissima Maria(ドルチッシマ・マリア(通り過ぎる人々))」(4:01)優しく切ない弾き語りの名品。
メランコリックでも陰気さは微塵もなく、密やかな息づかいや血の暖かさを心にとめて、しっかり明日をみつめている。
柔らかなギターの調べ、ピッコロによるあまりに切ないリフレイン、メロトロン、ヴァイオリン、ムーグ・シンセサイザーによるロマンティックなハーモニーが絶品。
ヴォーカルはムッシーダ。
個人的に大好きな曲です。
ライヴでは、ジヴァスが素朴なリコーダーを聴かせます。
「Via Lumiere(ルミエール通り(望むものすべては得られない))」(7:21)インストゥルメンタル。
新加入のジヴァスのベース・ソロから始まり、リフ、ソロ、アンサンブルにジャズロック的な面も現れる。
鋭いフルートやエレクトリック・ピアノの音、乾いた緊張感のあるテクニカルな演奏に、新たな姿が見える。
終盤のムーグ、オルガン、ギターによる暖かみあるシンフォニックな演奏はポール・マッカートニー(ジョージ・マーティン?)的。
(DZSLN 55666 / KICP 2702 / BMG 74321 896062)
Franz Di Cioccio | drums, percussion, vocals |
Jan Patrick Djivas | bass |
Franco Mussida | guitars |
Mauro Pagani | violin, flute |
Flavio Premoli | keyboards, lead vocals |
75 年に発表された初のライヴ盤「Cook。
「甦る世界」を引っさげたアメリカ・ツアーから 74 年 8 月 21 日トロントと同月 31 日ニューヨークからの収録。
ミックスはロンドンで行われている。
正にワールド・ワイドにその存在を知らしめ絶頂期にあったグループの記録である。
イタリア盤は「Live In U.S.A」として発表された。
プロデュースはグループとクラウディオ・ファビ。
「Four Holes In The Ground」(7:27)「The World Became The World」より。
(オリジナルは「L'Isola Di Niente」より「La Luna Nuova」)クラシカルなテーマの中に華麗なテクニックを披露する名作。
プレモリのキーボードさばきはキース・エマーソンやヴィットリオ・ノチェンツィに十分匹敵する。
メロトロンの音もすばらしい。
ヴァイオリンとフルートの持ちかえのタイミングでギター・ソロを入れるなど、ライヴならではの面白さもあり。
ジヴァスの超絶ベースにも注目。
ヴォーカル、コーラスも完璧。
それにしてもすごいグループだ。
「Dove....Quando....」(4:43)「Storia Di Un Minuto」より。
ドラムレスのナンバーなので、ヴォーカルはチョッチョが取っているのかもしれない。
ジャジーなエレクトリック・ピアノのソロに導かれて、素朴な響きをもつイタリア語で歌われるバラード。
そしてフルートが優美にヴォーカルを彩る。
エンディングもフルートがメランコリックに決める。
「Just Look Away」(8:48)「The World Became The World」より。
(オリジナルは「L'Isola Di Niente」より「Dolcissima Maria」)そして間髪入れずムッシーダのクラシック・ギター(ピックアップ付きのようだ)・ソロ。
エフェクトも使い、アルペジオと激しいラスゲアードを巧みに交えた本格的な演奏だ。
最後はロマンチックなトレモロを鮮やかに決める。
ムッシーダの技術的なバック・グラウンドの広さに驚かされる。
そのギターによるおだやかなアルペジオがリードして本編が始まる。
ヴォーカルはムッシーダだろうか。
ロマンチックにして懐かしいメロディ・ライン。
オブリガートがエレクトリック・ピアノやシンセサイザー、オルガンであることから、歌いながらの演奏のようだ。
リコーダーがテーマを美しく繰り返すと、ドラムス、ベースも加わって力強い演奏になる。
そしてエンディングは再びギターのトレモロが響く。
少年の瞳のようにピュアな思いの満ちた傑作だ。
「Celebration」(8:33)「Photo Of Ghost」より。
(オリジナルは「Storia Di Un Minuto」より「E' Festa」)ただし、サビ以外はイタリア語で歌われているようだ(後半ではサビもイタリア語になる)。
MC に対する反応も大きく、すぐに手拍子が始まる。
激しいドラムスとギターが煽り立てると、シンセサイザーが飛び込み一気に「あの」テーマだ。
ここで驚くべきは、この手のシャフルの曲にもかかわらず、テンポが安定していること。
ユニゾンを薄くしている部分もあるが、それでも驚きである。
ヴォーカルも全く乱れない。
中間部では、メロトロンが美しいリリカルな場面もある。
そして後は、余裕のジャム。
ムーグの「フニクリ・フニクラ」で吃驚すると、後半は、「The World Became The World」のタイトル曲(オリジナルは「Storia Di Un Minuto」より「Impressioni Di Settembre」)へと飛び込む。
このつなぎは、コードで合わせているが見事。
シンフォニックなテーマが繰り返され、激しいトゥッティから壮大なエンディングを迎える。
このアルバム最大の聴きどころだろう。
「Mr.Nine Till Five」(4:32)「Photo Of Ghost」より。
(オリジナルは「Per Un Amico」より「Generale!」)
ほぼオリジナルに忠実な緻密でスピーディなイントロダクション。
これだけでももう十分だ。
プレモリのヴォーカルを聴くと、いかにもライヴ映えしそうなロックンロールだが、それだけにとどまらずインストが非常に凝っている。
マーチング・スネアとリコーダーにムーグが重なり、ワウ・ギターも絡んで、変幻自在の演奏を繰り広げる。
あまりに早変わりするので、4 分半の曲とは思えない。
これも P.F.M のテクニックに唖然のナンバーだ。
「Alta Loma Nine Till Five」(15:51)ライヴ・オリジナル曲。
珍しくブルージーなギター・アドリヴにメロトロンがかぶさるオープニング。
ギターをエレクトリック・ピアノが短いソロで受ける。
メロトロンが一段落するとテンポも上がり、ジャジーなギターとエレクトリック・ピアノのインタープレイが展開される。
リズム・セクションも非常にダイナミックであり、ジャズロック調の演奏である。
それにしても、ムッシーダは凄いギタリストだ。
全体にテンポ、プレイ、どこをとっても安定感がありすぎる。
そしてエレクトリック・ヴァイオリンが静かに歌い出す。
こりゃ ARTI E MESTIERI どころか、MAHAVISHNU ORCHESTRA すら追い抜いてるなあ。
ヴァイオリンにギターがかぶさってゆくところは、前々曲のエンディングにも匹敵するカタルシス。
ギターとヴァイオリンは互いに高めあってゆく。
ブレイクからベースのリードで再びヴァイオリンが舞い始める。
鮮やかなカデンツァ。
次第に演奏のヴォリュームが上がり、オルガンが鋭く響く。
走るヴァイオリン。
バッキングが止みソロへ。
そして、再びトゥッティでパガーニのアレンジによる「ウィリアム・テル序曲」へと軽やかに入ってゆく。
テーマはムーグか。
最後はヴァイオリンとムーグが激しくせめぎあい、リタルダンドして華麗にエンディング。
とてもツアー中につくられたとは思えぬ、ジャズロック・インストゥルメンタルの大傑作。
古今通じてもこれだけの演奏はそうはない。
構築性の極致のようなスタジオ盤とは趣を異にする、華麗なダイナミズムと即興的な呼吸のよさが味わえるライヴ・アルバムの大傑作。
高度なテクニックを惜しげもなく散りばめ、それでも余裕たっぷりの演奏はまさに圧巻だ。
次々湧き出るアイデアを微塵の破綻もなくパフォーマンスにはめ込んでゆき、楽曲は原型をしのぐ新鮮な表情を見せはじめる。
演奏は、純クラシックの如き構築性にスリリングな緊張感とメロディアスな開放感も盛り込んだものであり、さすがとしかいいようがない。
パワーで押し捲るといいつつ実は荒っぽいだけのライヴ盤とは、全く次元の異なる世界である。
そして、演じることに対する真剣さと無上の喜びが盤から立ちのぼっており、スタジオ盤では見られぬ楽曲の表情を味わうといったライヴ盤ならではの楽しみの遥か以前に、そのことがまずリスナーの胸を強く打つ。
あらゆる意味で、完璧なライヴ・アルバムの一つといっていいだろう。
また、フルートを使ったクラシカルなサウンドが共通するせいか、同様に世界進出を狙った FOCUS の「Live At The Rainbow」に全体の感触や演奏スタイルが似ているようにも思える。
機材や録音のみならず、ヨーロッパ的な感性がロックと出合い感激に打ち震える様子が共通するのかもしれない。
(K 53506 / VICP-60811 / DZSLN 55676)
Franz Di Cioccio | drums, percussion, vocals |
Patrick Djivas | bass |
Franco Mussida | guitars, vocals |
Mauro Pagani | flute, violin |
Flavio Premoli | keyboards, vocals |
Bernardo Lanzetti | lead vocals |
75 年発表の「Chocorate King」。
ライヴ盤(「Cook(Live In USA)」)やコンピレーション盤(「Award-Winning Marconi Bakery」)等を経て、オリジナル・スタジオ・アルバムとして六作目となる。
英語によるヴォーカルを強化するために、ACQUA FRAGILE のベルナルド・ランゼッティを新メンバーに迎えた。
タフな演奏力を前面に出した豪快なイメージのアルバムであり、クラシカルな面はやや減退した感あり。
作曲は、ほぼムッシーダとパガーニによる。
プロデュースは、グループとクラウディオ・ファビ。
ジャケットは、左が RCA イタリア盤、右が Manticore 英語盤。
ちなみにタイトルは、アメリカの姿を象徴的に捉えたもの。
敗戦直後の「Give Me Chocorate!」を連想させるメタファーだが、その後日本が無節操にアメリカ化したのに対して、イタリアはどうだったのだろう。
P.F.M の歌は、それに対する答えとも受け取れる。
1 曲目「From Under」(7:29)
ヴァイオリン/ギター/ベースの圧倒的なユニゾンによるオープニングから一転メロディアスなヴォーカル・パートへ、そして待ちきれないかのようにワイルドなハモンド・オルガンが唸りを上げ、フルートが舞い踊る激しいインストゥルメンタルヘと突入する。
緩急自在のアンサンブルは、エッジが強まるも全く健在。
新加入のランゼッティのヴォーカルは、英語の発音のせいか、ピーター・ガブリエルもしくはロジャー・チャップマンに似る。
明らかに前作まで以上に、ヴォーカルを軸としようとしていることが分かる。
ヴァイオリン、シンセサイザーのリードする分厚くメロディアスなテーマと、ギター、オルガンら主導の熱くたぎるようなアンサンブルが交錯する終盤がカッコいい。
ベース、ドラムスも攻め込むようなプレイで存在感抜群。
迫力満点のトンがったインストゥルメンタルとメロディアスで叙情的なテーマがとけあった佳作。
ワイルドだが、恐ろしく切れ味よくしなやか。
そして GENTLE GIANT を思わせる抜群のリズム感がみごと。
リズム・セクションは、いわゆるジャズロックを思わせる極めて技巧的なものだ。
もう一歩で無機的になりそうなところでヴァイオリン、キーボードがしっかりと血を通わせる。
このタイミングが絶妙。
2 曲目「Harlequin」(7:48)
ベースとエレクトリック・ピアノがささやき、アコースティック・ギターがなめらかなアルペジオですべり出すメローなオープニング。
ささやきと力強い歌唱を行き交うランゼッティ。
以前ならデ・チョッチョが歌ったはずの作品だろう。
エレクトリック・ピアノやエレクトリック・ヴァイオリンのジャジーなオブリガートがロマンチックなムードを強める。
アコースティック・ギターとヴァイオリン、エレクトリック・ピアノによる、ソフト・タッチの間奏が美しい。
リズム・キープというにはあまりに表情豊かなドラミングは、ジョン・ウェザースかマイケル・ジャイルスか。
AOR 調のヴォーカルが、熱っぽく高まるのに合わせて演奏も加熱してゆく。
ヴァイオリンのリフレインのリードで、3 拍子と 4 拍子を一気に切りかえてゆく。
クライマックスで一気にハードな 8 ビートへ変化し、ヴァイオリンとフルートによる白熱のインタープレイが始まる。
続いて、華やかに舞うムーグ・シンセサイザーとヴァイオリンのインタープレイへ。
ギターのコード・ストロークが渦を巻き、ベースが唸りを上げる。
トゥッテゥがくるくるとつむじ風のように姿を変えてゆく。
熱狂的なジャズロック調は、AREA を思わせる。
最後は激しい高まりから、再びフルートとアコースティック・ギター、エレクトリック・ピアノらによるファンタジックでほのかにエキゾチックなアンサンブルへ。
ロマンティックでメローなバラードの助走から、ハードなインストゥルメンタルでクライマックスを迎える傑作。
贅沢にも、丹念なアコースティック・アンサンブルと硬派なジャズロックを結びつけている。
繰り返しごとにパターンや楽器を入れかえるなど、工夫が細かい。
迸るような演奏を見せるクライマックスでも、やはり緻密な音の積み重ねがある。
「柔」と「剛」のコントラストも巧みだが、それ以上に豊かな音色が魅力の作品だ。
3 曲目「Chocorate King」(4:39)
アップテンポのファンキーなイタリアン・ロックンロール。
伝法なランゼッティの歌。
シャフル・ビートにシンセサイザーによるレガートな 3 連パターンが重なるサビは、タランテラ風というよりモロ「Celebration」。
ヴァイオリンやギターも、楽しげに華やいだプレイを放つ。
ユニゾン、ハーモニー、かけあい、すべてがカッコいい。
全編にわたり、ムーグ・シンセサイザーが独特のつややかな音色で小気味いいプレイを連発する。
この作品も以前ならデ・チョッチョが歌っていただろう。
「エリーゼのために」のロックンロール・アレンジがあるように、本作もテーマとなるメロディはクラシックの翻案のような気もするが。
特にギター独奏によるテーマ演奏でその思いが強まる。
4 曲目「Out On The Roundabout」(7:53)
抑制された AOR 風のテーマを軸に、テクニカルなプレイを次々とたたみかける即興風の作品。
さりげないリズムの変化やジャジーな音使いをしつつも、ほのかに南欧の舞踏曲を思わせる辺りがアカデミックである。
ヴォーカル伴奏でのシーケンサーばりのテクニカルなプレイやエレアコ・ギターの華麗な指さばきなど、ムッシーダのギターが聴きもの。
クールに抑えたヴォーカルが次第に昂揚し、オルガンが高鳴り、エキゾチックなヴァイオリン・ソロが爆発する場面は息を呑むカッコよさ。
後半、エレアコ・ギターとハモンド・オルガン(エレクトリック・ピアノ?)との速弾きアンサンブルに目が回る。
ジャジーなエレクトリック・ピアノ・ソロのブリッジを経て熱っぽいヴォーカルへと戻ると、すでにテンションは最高潮であり、切り刻むような超絶アンサンブルとロマンティックなギター、エレクトリック・ピアノのデュオが、かわるがわる現れる。
全体にややラテン・ロック、フュージョン風ながらも、緻密な音の壁のようなアンサンブルで迫るところが個性的だ。
と同時に、歌のテーマが地味なことと、ややなし崩し的に発展する曲調のため、今一つ引き締まったイメージがない気もする。
5 曲目「Paper Charms」(8:30)
珍しく電子音による SF 風のイントロダクションに続き、厳かなチャーチ・オルガンに支えられて、讃美歌風のヴォーカルが入ってくる。
クラシカルなムーグ・シンセサイザー、フルートもヴォーカルを取り巻いてゆく。
気高く美しいオープニングだ。
高らかな歌唱、軽やかにさえずるフルートとチェロを思わせるムーグのオブリガート。
特に、レガートな舞いを見せながら歌を支えるムーグが印象的だ。
一瞬のブレイクを経て、ギターが唸りを上げ、一気にハードエッジなアップテンポの演奏へとなだれ込む。
この激しい切りかえが、本作の特徴ではないだろうか。
嵐のようなタム回し、パワー・コードの炸裂。
ハードなリフに、目の醒めるようにメロディアスなヴァイオリンのテーマが重なる。
高鳴るベースに跳ね上げられるように、スピーディな演奏がスタート。
息せき切って歌い捲くるランゼッティ、追いかけるヴァイオリンのテーマ。
繰り返しではオブリガートはテクニカルなギターへ。
ヴァイオリンのテーマが高らかに繰り返されると、再び一気にカーム・ダウン。
クロス・フェードで立ち上がるギターのアルペジオ。スティ−ヴ・ハウを思わせるヴァイオリン風ギター。
そういえば、華やいだ雰囲気は、YES にも似る。
またもヴァイオリンのリードでジャジーなインストがスタート。
細かく刻みパワフルに走るリズム・セクション。
ややリラックスした演奏から、ヴァイオリンのテーマでしゃきっと立ち直り、メイン・ヴォーカルヘ。
オルガンの唸り声が全体をスロー・ダウン、ムーグのオブリガートとピアノによる典雅な伴奏で朗々と歌が続く。
たなびくようなオルガンが余韻を残す。
英国プログレ、ジャズロックを意識しつつも明快なタッチでまとめたシンフォニック・ロック大作。
クラシカルで牧歌的な序章から、ヴァイオリンの提示する華麗なテーマを巡り、ダイナミックな演奏が繰り広げられる本章へと進む。
表看板であるトラジックなヨーロピアン・クラシック色と地中海エキゾチズムは控えめであり、むしろ、メロディ/曲調に仕上げを施すのは、英国ロックの共通イディオムと洗練されたポップ・ロックの味わいである。
GENESIS の「Selling England By The Pound」を思わせる優美なヴォーカル・パートと、MAHAVISHNU ORCHESTRA や DIXIE DREGS に通じる痛快なインストゥルメンタルが一体となっているのだから、恐るべき密度のある音楽といわねばなるまい。
GENESIS や YES といった英国プログレのスタイルを強く意識したような感じもある。
パガーニがこういうスタイルに別れを告げる決意を持っているせいか、思いのたけを注ぎ込んだように充実したプレイを見せている。
米国進出をたっぷりと意識した英詞とテクニカル・ロックを前面に出し、時代に君臨した P.F.M の傑作。
ジャズ・フュージョン風味やモダン・ポップ調などを取り入れ、洗練を重ねた音には、すでにイタリアン・ローカル色は薄くなっている。
しかし、楽曲自体の魅力は、いささかも衰えていない。
とにかくカッコいい。
オープニング・ナンバーやタイトル・ナンバーの演奏は、やはり P.F.M ならではだ。
クラシカルで叙情的な面が抑えられたのが、残念といえば残念だが、まずは新たな魅力にすなおに酔わされようではないか。
いずれにせよ、パガーニの脱退はグループの方向性を変化させるほどの大事件となる。
(ZSLN 55684 / K 53508 / ND 71781 / VICP-60812)
Franz Di Cioccio | drums, percussions, wood |
Franco Mussida | electric & "Ovation" classical guitars |
Patrick Djivas | bass, Moog B12 |
Bernardo Lanzetti | lead vocals, percussion |
Flavio Premoli | electric piano, organ, Moog |
Gregory Bloch | electric & acoustic violin |
77 年発表の第七作「Jet Lag」は、マウロ・パガーニ脱退後約二年を経て発表された作品。
新ヴァイオリニストにはアメリカ人のグレゴリー・ブロックを迎えた。
全体的な特徴は二点。
まず、フュージョン・タッチの表現が大きく取り入れられている。
凝った編曲作曲よりもプレイの生きの良さを強調するかのように、ソロのフィーチュア度合いが大きい。インストゥルメンタル作品も多い。
そしてイタリア語表題の作品があるように、原点へ戻ろうとするベクトルも感じられる。
やや過渡的なグループの状態を示しているのかもしれない。
とするとアルバム・タイトルは、米国ツアーから戻っていまだ時差ぼけ覚めやらぬ、という皮肉かもしれない。
作曲は、ムッシーダとキーボードのプレモリ中心。
プロデュースはグループ。
1 曲目「Peninsula」(2:35)
ヴィラ・ロボスやマヌエル・ポンセの作品を思わせるクラシカルなテクニックと南欧風味がブレンドしたアコースティック・ギター・ソロ。
7th 独特の響きが切ない。
2 曲目「Jet Lag」(9:10)
あたかも GENTLE GIANT と RETURN TO FOREVER が交差したような、ダイナミックかつテクニカルなジャズロック組曲。
ワイルドなタッチを多用しながら、なめらかなユニゾンや息を呑むブレイクなど、見せ場をしっかりもうけている。
ギターを軸とするラフなかけあい風の演奏に、もう少し冴えがあればよかった。
ヴォーカルを軸に、ソロも交えつつ緊迫感あるアンサンブルを紡いでゆく。(4:00)
中間部では、バラードへと変貌し、メロディアスなエレクトリック・ヴァイオリンとメロトロン、エレクトリック・ピアノによる密やかなアンサンブルが繰り広げられる。
たしかに美しいし説得力もあるが、このグループの審美センスの水準からいうと、並の出来かもしれない。(6:00)
再びポーズを経て、エレクトリック・ピアノとベースのリードでタイトなリズムが生まれ、一気にジャジーでグルーヴィな空気が満ちあふれる。
リラックスしつつもジャズ的な華やぎというか、カッコいいが、かつての鳥肌の立つようなスリルはない。
無論好みの問題ではある。
演奏のドライなタッチを救うのは、切々と訴えるランゼッティのヴォイスである。
しかし、どうしても、つむじ風のようにキリキリ舞いしながらも緻密で華やかだった、あのテクスチュアが見えないことが気にかかる。
全体にジャジーなメイン・ストリームのサウンドへの傾倒がうかがえる内容といえるだろう。
ラフなタッチが新鮮ではある。
3 曲目「Storia In "La"」(6:25)
地中海風のエキゾチックなキーボードがリードする民族色豊かなインストゥルメンタル。
けたたましくも力強く、なめらかに歌い上げるキーボードに、エレクトリック・ヴァイオリン、ギター、ベース、ドラムスが、控えめながらも的確なオブリガートで絡む。
特に、キーボードにユニゾンして寄り添うエレクトリック・ヴァイオリンが印象的だ。
序章では、RETURN TO FOREVER や中期の MAHAVISHNU ORCHESTRA に匹敵する安定感と豊かな幻想性のある表現を見せる。
控えめに、おだやかにリズムが生まれ出で、民族管楽器を思わせるキーボードのソロが一段落すると、ヴァイオリンのアドリヴが演奏を引き継ぐ。
エキゾチックながらもたんたんと素朴であり、なおかつ即興風の気まぐれな、リラックスした感じがいい。
ワールド・ミュージック的なニュアンスもある。
ゆったりと涼やかながらも音は濃密に満ちている。
一貫してリードするのはプレモリのムーグ・シンセサイザーと思われるが、巧みなピッチ・ベンドさばきによってエレクトリック・ヴァイオリンと区別しにくい音になっている。
インストゥルメンタル。
4 曲目「Breaking In」(4:06)
イントロダクションは、開放弦を用いた豪快にしてリズミカルなギター・リフ。
細かく軽快なリズムとともに、前曲と同様なサウンドのムーグ・シンセサイザーが走る。
メイン・ヴォーカルもリズミカルであり、オブリガートではヴァイオリンが華やかに絡んでくる。
全拍アクセントの軽やかな 8 ビートとテンポのいい曲調は、フォーク・ダンスか、はたまたディスコなのか。
展開はいたってシンプルだが、ギター、ベース、キーボード、ヴァイオリンが一体感となって流れるような全体演奏になっている。
「ものすごくうまいバンド」の演奏である。
ややエキゾティックなメロディ・ラインもいい。
ヴァイオリンはカントリー・フィドル風味を見せつつも全編で冴えわたる。
ぜいたくに音を配したアップテンポのポップ・チューンであり、次作、次々作につながる作風である。
5 曲目「Cerco La Lingua」(5:34)
序盤は、ロマのエレジーがベースにあるような、東欧の作家風のクラシカルなヴァイオリン・ソロ。
哀調は、ヴァイオリンの調べとともに次第に活気へと変化する。
高まる熱気、そしてクラヴィネット、ドラムスの一撃を合図に一気に超絶的なアンサンブルへ。
クラヴィネットとギターのもつれるようなユニゾンが、エレクトリック・ピアノ、ヴァイオリンと交錯する、華麗なるテクニックの応酬だ。
GENTLE GIANT を華やかにしたような表現だ。
そして、不意打ちのように吹き上げるメロトロン・ストリングス。
意外にもおだやかな表情のヴォーカルを支えて持ち上げるのは、まろやかにエフェクトされたベースとメロトロン風のストリングスである。
シンプルなメロディ・ラインにはフォーク・ソングの素朴な響きがあり、驚くほどテクニカルなベースのリフと合わさると、不思議とほのかなユーモアがにじんでくる。
繰り返しでは、ヴァイオリンがなめらかにヴォーカルをなぞり、オブリガートで華やかな厚みをつける。
間奏は、アコースティック・ギターとクラヴィネット、ベース、エレクトリック・ピアノが小刻みにリズムを刻み、バックを固める。
のどかなヴォーカルとリズミカルな演奏のコンビネーションにジプシー風のヴァイオリンやべース、ギターが次々と彩をつける。
さりげなく高まるメロトロンとリラックスしたスキャット、そしてストリングスとともにシンフォニックな広がりが生まれる。
最後は、ヴォーカルの力強い繰り返しから、スリリングなアンサンブルが竜巻のように一閃する。
クラシックとフォーク、ロックをまとめあげたパストラルな音絵巻である。
やはり P.F.M は、ロマンティックな南欧の GENTLE GIANT であったのだ。
きわめて技巧的なトゥッティを交えながらも、祝祭的なノリが貫かれている。
手拍子が似合いそうだ。
ヴァイオリンの存在感とともにギター、キーボードの音の配置がじつに細かく工夫されており、初期作品に迫るアレンジの妙を見せている。
6 曲目「Meridiani」(5:57)
エレキギターの提示するテーマへベースが重なる意味深長なオープニング。
安定したベースのリフに支えられて、ギターが自由なソロを繰り広げる。
手数の多いドラムスとややルーズにレイドバックするギターの取り合わせが、いかにも 70 年代である。
ギターは珍しくハードロック調といってもいいだろう。
パワーコードで吼えるとブレイク。
一転細かなビートが弾き出される。
ギターも凶暴さを増し、MAHAVISHNU ORCHESTRA 風の殺伐たるアンサンブルがスタートする。
すさまじいフィルを繰り出すドラムスはビリー・コブハムなのだろう。
荒々しい勢いですべてが走る。
うっすらとピアノがうっすらと聴こえる。
やや崩壊気味の演奏はリタルダンドを経てテンポが落ち、ブルージーなワウ・ギターとピアノによるフリーな応酬へと変化する。
ドラムスは隙あらば食いつかんと凶暴なロールで迫り、再び演奏に火をつける。
最後は轟々たる演奏が膨れ上がって爆発。
エレキ・ギターを大きくフィーチュアした即興風のヘヴィ・ジャズロック。
テーマ部はハードロックであり、間奏/展開部は MAHAVISHNU ORCHESTRA そのもの。
インストゥルメンタル。
7 曲目「Left-Handed Theory」(4:11)
エレクトリック・ヴァイオリン、ギター、ベースによるテクニカルなユニゾンで幕を開ける。
これがテーマだ。
まずは、もろに RETURN TO FOREVER 風のスパニッシュなエレクトリック・ピアノ・ソロ。
ヘヴィなベース・リフとギターのコード・ストロークを伴奏にきらめくように華やかなプレイが続いてゆく。
再びユニゾンによるテーマ、今度はムーグとギター、ベースである。
ギターとベースがあからさまに挑発し合うなか、ヴォーカルも飛び込んでくる。
ファンキーというには音が重いが、イケイケドンドン的な勢いがある。
ヴァイオリンも加わってテクニカル・フュージョン風のユニゾンを決め、ソロを放つ。
最後はヴァイオリンも加わった華麗なユニゾンを繰り返して終わり。
ユニゾンによる華やかなテーマ、細やかなビートとエレクトリック・ピアノなど RETURN TO FOREVER そのもののようなテクニカル・ジャズロック。
ヴァイオリン、ギター、キーボードそれぞれに見せ場を作るが、じつはリズム・セクション主導の作品だと思う。
特に、全編強烈なヴィヴラートと小刻みなパッセージを放つベースはすさまじい存在感だ。
テーマ一発な作品ではあるが、痛快な演奏だ。
8 曲目「Traveler」(5:39)
エレクトリック・ピアノ、シンセサイザー、ギターによる愛らしいリフレインがフェード・イン。
メリー・ゴーランドを思わせるキュートな演奏だ。
きらきらとしたリフレインに彩られて歌い出すヴォーカル。
こういう曲調では、すっかりピーター・ゲイブリエルになり切りである。
3 拍子なのにリズムがずれてゆくように感じさせる何気ないアクセントずらしがおもしろい。
間奏はクランチなギター・ソロ、ポリフォニックな迷宮に紛れ込み、ぐるぐると回る渦へと吸い込まれていきそうな演奏が続く。
パワーコードの一閃でいったんリフレインが途切れると、エフェクトされたベースがシタールを思わせる摩訶不思議なソロで受け止める。
うっすらとしかし奥深く響きわたるオルガン、そしてエレアコ・ギターが力強く歌い出す。
ヴォーカルとともに演奏は重厚さを増し、シンフォニックに広がってゆく。
いつしかよみがえったリフレインは、がっちりと力強いサウンドと一体となり、それをバックに、サックスを思わせるシンセサイザーのソロが奔放に続いてゆく。
変拍子のリフレインがマジカルな酩酊感を生むファンタジック・チューン。
BANCO の「春の歌」で出てきたような曲調だ。
細かな音の工夫が豊かなタペストリを生んでいる。
初期の作品ほどは凝った編曲ではなさそうだが、サウンドへの配慮やキャッチーなメロディを支える重厚さには、やはり P.F.M ならではのものがある。
暖かい余韻がいい。
ラテン風味のジャズ・フュージョン色が強まり、ソロをフィーチュアする作風が主となった。
テクニカルな演奏が進展する一方で、クラシカル・テイストはほとんど消えたようだ。
しかしながら、テーマに浮かび上がる哀愁のフォーク・タッチは、やはりイタリアン・ロックのものだと思う。
アメリカのグループのファンキーなラテン調とは、ニュアンスが異なるようだ。
ヴァイオリンを中心に、もう少しクラシック・テイストを盛り込んでほしかったというのは勝手な願いか。
ラスト・ナンバーも、若干のドラマを感させるも P.F.M ユニークかと問われれば答に窮す。
ダイナミックさとともに魅力の両輪を成していた、古典的なロマンチシズムのようなものは影をひそめ、エキゾチックな音をハイテクで操るフュージョン・サウンドを展開する作品といえるだろう。
イタリアの DIXIE DREGS という感じでしょうか。(こちらの方が間違いなく有名ですが)
(ZPLZ 34008 / ND 75244)
Flavio Premoli | keyboards & vocals |
Franz Di Cioccio | drums & percussions & vocals |
Patrick Djivas | bass & fretless bass |
Franco Mussida | guitars & vocals |
Claudio Fabi | piano & electric piano & Polimoog |
Claudio Pascoli | tenor sax |
Roberto Haliffi | cembalo & maracas & triangle & bell |
Roberto Colombo | Polimoog |
George Aghedo | congas |
Bernardo Lanzetti | lead vocals & percussion |
78 年発表の第八作「Passpartù」。
欧米ツアーを経験して、再び母国を視野に入れ直した内容となる。
曲名も歌詞もイタリア語(大半はイタリア人の作詞家、ジャンフランコ・マンフレディによる)になっている。
曲調はフォーキーな力強さを前面に出していて、サウンドはアコースティックなイメージである。
作曲は、ムッシーダとプレモリ。
5 分以上の曲は一曲のみであり、アレンジの魔法のようだった大作は姿を消す。
このアコースティック・サウンドは、時代と技巧派ロック・バンドとしての P.F.M らしさの狭間で悩みつつも、打ち出した新たな方向性だろう。
全体としては、70 年代終盤の音としてイタリアン・ロックらしさを的確に打ち出せていると思うし、この時代に顕著になりなおかつ現在まで続いているロック・ミュージックの「芸術からのコモディティ化」を見抜いて、どう対応すべきかを真っ向とらえているとも思う。
母国語になってしまうとランゼッティの歌唱にさほど個性を感られないところが残念だ。
キーボードとパーカッション、管楽器はゲスト・メンバー。
プロデュースはクラウディオ・ファビ。
漫画風のジャケットがいい。(裏ジャケではメンバーらしき男たちがオマワリサンに追っかけられている)
1 曲目「Viene Il santo」(4:34)本作の作風を象徴する土臭くも華やかなラテン風味のフォーク・ロック。
アコースティック・ギターのストロークとピアノが迫力あるリズムを刻み、軽快なパーカッションが舞う。
粘っこいヴォーカルと踊るようなフルートもいい。
2 曲目「Svita La Vita」(3:25)ドラムスが加わる。アコースティック・ギターの小気味のいいストロークが全体を弾ませており、基本的には 1 曲目と同じ雰囲気。ベースも活躍。
3 曲目「Se Fossi Cosa」(4:40)ソフトなエレキギターのアルペジオ伴奏とフラメンコ調のアコースティック・ギター・ソロ、エレクトリック・ピアノらがフィーチュアされたバラード。
ややジャジーな色合いが強まり、サックスが入るとすっかりメインストリームの AOR 調である。
歌メロ、ヴォーカルに輝くような個性きが感じられないのが残念。
ストリングス・シンセサイザー、ムーグによる間奏が、一瞬幻のように、かつての姿を浮かび上がらせる。
4 曲目「Le Trame Blu」(4:53)ダンサブルなコンガのビートとアコースティック・ギターの軽快なストロークがヴォーカルを取り巻く、さながら村祭のお囃子のようなフォークロック。
CITTA FRONTALE の唯一作に近い世界である。
まろやかなムーグやギターのオブリガート、弾むようなエフェクテッド・ベース、華やかなポリ・シンセサイザー、流れるようなユニゾン、タイトなリズムなど演奏はきわめてテクニカル。
エレクトリック・キーボードとアコースティックなサウンドのブレンドが巧妙だ。
名曲。
5 曲目「Passpartù」(4:51)位相系エフェクトをかましたフレットレス・ベースと小気味いいアコースティック・ギター、管楽器的なキーボードをフィーチュアした快活でリズミカルなインストゥルメンタル。
サウンドそのものこそ薄味で 70 年代終盤らしい洒落た感じだが、テーマを巡る演奏はフォーキーで逞しくそして粘っこく、だからこそチャーミングである。
さりげない 7 拍子のインサート、鮮やかなピッチベンドが管楽器を思わせるニュアンスを生むムーグのプレイ、ピアノとギターによる小気味いいリズム。
音数多く丹念なドラミングも地味ながらいい仕事である。
佳曲。
6 曲目「I Cavalieri Del Tavolo Cubico」(5:21)再びパーカッションによる強烈なビート、ピアノのストロークとドラムスによるタイトなリズムが熱気を呼び覚ますラテン・ジャズロック。
うねるようなギターが悩まし気なヴォーカルに絡みつく。
変拍子のテーマと小刻みなドラミングを用いた演奏にはジャズロックらしい技巧の生む緊張感と高潮感がある。
IL VOLO の作品に近い。
祝祭的でリラックスしたグルーヴがある思えば、キメのユニゾンでは GENTLE GINAT ばりの技巧を披露したりする。
ムーグがいい音だ。
変拍子が生む緊迫感を生かした前半と比べると後半は 8 ビートでややリラックスしたムードになるが、通底する土臭さのせいか流れは自然に感じる。
7 曲目「Su Una Mosca E Sui Dolci」(4:52)
重みのあるアコースティック・ギターのアルペジオとやや空ろな表情のヴォーカルをフィーチュアした夢想的なフォーク・ソング。
ベースのオブリガートがヴォーカルを支え、寄り添う。
エレキギターのユニゾン、ハーモニーもいい。
ファルセットも使い、デリケートなメロディ・ラインを切々とたどる歌唱。
ギター、キーボードともに夢見るようなタッチである。
エレクトリックなサウンドによる空想的な演出が効果的だ。
控えめなプレイを散りばめてシンセサイザーで色をつけた、水彩画のようなたおやかな美しさのある作品だ。
8 曲目「Fantalità」(4:10)
SANTANA を思わせる官能的なラテン・チカーノ・ロック。
愛らしいパーカッション。
洒脱で小粋な腰に来るグルーヴという点では一番ではないだろうか。
間奏のシンセサイザーがオシャマな女性コーラスを思わせておもしろい。
フュージョン、ラテン・テイストあふれるキャッチーなフォーク・ロック。
エレクトリックな音を用いながらも、全体としてはアコースティックなイメージのある音である。
クラシカル・ロックというスタイルはなくなったが、前作同様ジャズ、フュージョン的なテクニカルで緻密なプレイはしっかりと埋め込まれている。
キャッチーなのに聴き続けるとけっこう疲れるのは、演奏に情報量が多いためだろう。
印象に残るメロディこそ少ないものの濃密で量感ある楽曲と涼しげなサウンドを取り合わせた内容は充実した高い完成度を誇るものだ。
とりわけ、エレクトリックでメロディアスなプレイ、アコースティックでビートを効かせたストロークを決めるギターと、多彩でセンスのいい音色を誇るキーボード(ムーグは絶品)は超一流のプレイといえるだろう。
余裕も感じさせるメイン・ストリーム寄りイタリアン・フォーク・ロックである。
(ND 75245)
Franz Di Cioccio | drums, percussions, lead vocals |
Patrick Djivas | bass |
Lucio Fabbri | violin, viola, cello |
Franco Mussida | guitars, lead vocals |
Flavio Premoli | keyboards, lead vocals |
80 年発表の第九作「Suonare Suonare」。
リード・ヴォーカルのベルナルド・ランゼッティが脱退、ヴァイオリン奏者としてルキオ・ファブリを迎えた。
前作ほどはアコースティック、エキゾティック路線は強調されていないものの、全曲イタリア語で歌われており、リラックスした雰囲気が漂う 70 年代終盤らしいポップなサウンドになっている。
それは、イタリアン・ロック特有のルーラルで陽気なタッチと都会的に洗練されたポップス、AOR とのちょうどいい配合である。
テクニックをダイレクトに浮かび上がらせるようなスリリングな場面はほとんどない代わりに、口当たりのいい表現にさりげなく技巧を散りばめた、余裕を感じさせる演奏だ。
ヴァイオリンはクラシカルというよりはフォーク・ダンスのイメージ(ジャケット写真でメンバーが眺めているバンドの通り)の演出に寄与している。
全体に、昔日の面影はあまりないが、オールド・ウェーヴ・ロックだと思って聴けば、かなり優れた作品だと思う。
プログレでないだけ。
揶揄する意図はないが、ギター、ヴァイオリン、キーボードのプレイが曲のグレードを越えて無駄に贅沢であり、イージー・ゴーイングな曲でもアンサンブルの密度は高く、はち切れそうなパツパツ感が普通でない。
しなやかなギターとヴァイオリンのハーモニーが印象的なタイトル曲は、近年のライヴでも演奏される。
プロデュースはアレッサンドロ・コロンビーニ。
「Suonare Suonare」(4:49)
リズミカルなピアノ伴奏と暖かみのあるヴォーカル・ハーモニーにペーソスがにじみ出るフォーク・ロック調の傑作。
サビを追いかけるギターとシンセサイザーのなめらかなユニゾンにテクニカル・ロックのプライドを見る。
ヴォーカルはディチョッチョ。
「Volo A Vela」(4:25)
ヴァイオリンとシンセサイザーによるきらきらとつややかなユニゾンで奏でる牧歌調のポップ・チューン。
ユーモラスな響きはフレットレス・ベースのせいか。
KAYAK と共通するポップ・センスを感じる。
ギターとキーボードのプレイに品と落ちつきがあるのでハードポップ、アリーナ・ロックにならないが、間違いなく 70 年代終盤のロック・バンドの音です。
ヴォーカルはプレモリ。
「Si Puo Fare」(4:51)
シャフル・ビートの快調なブギー風ジャズロック。
バッキングのギターのガチっとしたコード・ワーク、オブリガートで現れるハモンド・オルガンがいい音だ。
ギターとオルガンのユニゾン、スピーディなフィドルのソロなど、テクニカルなのにイージー・ゴーイングな感じが DIXIE DREGS によく似ている。
ヴォーカルはディチョッチョ。
「Topolino」(4:47)
リズム・パターンやヴァイオリンのリードするメインのリフに新しさを感じさせる王道ポップ・ロック。
イタリアン・タッチをそのままに ELO や 10CC や SUPERTRAMP を上回るようなゴージャス感もある。
CITTA FRONTALE の作品をさらに洗練した感じといえばいいだろうか。
ギター・ソロはさりげなくも超絶。
ノーブルなヴォーカルはムッシーダ。
イントロの不思議なピッチの揺らぎは何だろう。
「Maestro Della Voce」(5:36)
チョイ悪系のグルーヴィな酔いどれロック。
それでも、テーマとなるメロディは、イタリアン・ロックらしくフォーク風である。
オブリガートのエレクトリック・ヴァイオリン、ファズ・ギターのソロなどアクセントもよく効いている。
ソロ・アーティストのアルバムにこういうタッチの作品がよくあった。
ヴォーカルはディチョッチョ。
「Sogno Americano」(4:09)
「Celebration」を思い出させるシャフル・ビートのタランテラ風ロックンロール。
演奏はギターが主役であり、オブリガート、バッキング、間奏でシャープなプレイを放っている。
ヴァイオリンとピアノが脇を固める。
ベースもジヴァスらしいゴリゴリの音でちょっと目立つ。
シンセサイザーはラッパの代わり。
ヴォーカルは全員。
「Bianco E Nero」(5:47)
CP80 だろうか、エレクトリック・ピアノの暖かい響きが心地よいバラード。
全体に、往時の日本の「ニューミュージック」を思わせるサウンドである。
終盤、ストリングスが広がり、ソロ・ギターが飛び出すとすっかりジョージ・マーティン風。
ヴォーカルはノってくると巻き舌が多くなるプレモリ。
「Tanti Auguri」(4:06)
渡米後の FLEETWOOD MAC 辺りのアルバムにありそうなメインストリーム・ポップ・ロック。
カントリー・フィドル調のヴァイオリン・ソロは悪くないが雰囲気が一色なのでちょっと食傷する。
ヴォーカルはディチョッチョ。
(ZPLN 34092 / 74321 100812)
Franz Di Cioccio | drums, vocals |
Lucio Fabbri | keyboards, violin |
Franco Mussida | electric guitars |
Patrick Djivas | bass |
81 年発表の第十作「Come Ti Va In Riva Alla Citta」。
遂にキーボードのプレモリも脱退し、四人編成となった P.F.M。
デ・チッチョ、ムッシーダ、ジヴァスによる曲は、前作より緊張感が増したものの、いわゆる売れ線のハード・ポップに接近している。
デジタル・シンセサイザーとエレキギターがかなりけたたましい。
やはり普通のロック・バンドの作品としてみれば、それなりの出来ではある。
プロデュースはグループとアレッサンドロ・コロンビーニ。
(ZPLN 34140 / 74321 100812)
Franz Di Cioccio | drums, vocals |
Lucio Fabbri | keyboards, violin |
Franco Mussida | electric & acoustic guitars, vocals |
Patrick Djivas | bass |
Walter Calloni | drums |
87 年発表の第十一作「Miss Baker」。
作曲クレジットにパガーニの名前がある曲が多いが、これはパガーニ在籍時の作品ということだろうか。
音は飛躍的によくなり、華やかなプロデュースによるジャジーでポップな AOR ナンバーが揃っている。
デジタル・シンセサイザーのオーケストラ・ヒットやブラス、女性コーラスなどの彩りも美しく、現代風のグルーヴを感じさせる作品となった。
ヴォーカルにいかにもイタリアらしい濃い目の味わいがあるものの、プログレッシヴ・ロックは当然影も形もない。
もっとも、このグループをテクニックと抜群の音楽センスをもつプロ集団と考えれば、単に音楽的な変遷を重ねているだけであり、常に時流に合ったクオリティの高いポップ・アルバムを出し続ける優秀な職人ミュージシャンということになる。
THE ROLLING STONES と違うのは、彼等の基本にある R&B という音楽が多少は世間の風で揺れることはあっても、ほとんど根っこの部分で変化がない(これは人間の深い部分と共鳴する音楽なのかもしれない)のに対して、P.F.M が基盤としていたプログレッシヴ・ロックという音楽が、歴史に一瞬大輪の花を咲かせたものの、その後の風雪に耐えるものではなかったという点だけである。
演奏は抜群にうまいが、これだけシンセサイザーとエフェクトでコーティングされてしまったサウンドに、本来のパフォーマンスの妙味が漂うはずもない。
むしろ、こんなサウンドになっても、ヴァイオリンのプレイやヴォーカルにまだ P.F.M らしさが感じられるところに、このグループの凄さがあるというべきだろう。
と同時に、プラスティック容器に包まれたようなサウンドを大量生産し、リスナーの耳をどんどん冒してゆくコマーシャリズム一辺倒の音楽業界にも嫌悪を覚える。
最終曲、バッハのヴァイオリン・パルティータからのアレンジを奏でるギターが微笑ましく、唯一の救いである。
プロデュースはグループとクラウディオ・デント。
本作品では LP と同時に CD が発表された。
(SMRL 6372 / 74321441552)
Franz Di Cioccio | drums, percussion, vocals |
Patrick Djivas | bass, programming |
Franco Mussida | electric & acoustic & 12 string guitars, vocals |
Flavio Premoli | piano, Hammond organ C3, Fender Rhodes, synthesizer, vocals |
97 年発表の「Ulisse」。
十年ぶりのオリジナル・アルバムの内容は、ぜいたくに音を散りばめたアダルト・ロックである。
ただし、復帰したプレモリのキーボードやムッシーダの的確なギター・プレイには、テクニカル集団の自信と余裕そして頑固なまでのこだわりが見える。
ハモンド・オルガンやピアノ、しっかり前面に出るギターなど、やはり P.F.M の音である。
流行のサイクルが彼らの音をメインストリームにおいて自然に聴こえるものとしてくれた、という見方もあるだろうが、それ以上に、周回遅れの流行にこっちが追いついたのよ、といわんばかりのど根性のミュージシャンシップが涙が出るほどうれしい。
三人それぞれのヴォーカルも、すでに円熟の境地といえるだろう。
じつに味わい深い。
そう、ここには情感豊かなイタリアの歌の魅力、カンタゥトーレの魔術がある。
モダン・ロックとしては、U2 にも匹敵する重厚かつ傑出した作品だ。
最終曲のハーモニーを耳にしたときに、このグループを好きになってほんとうによかったと思うはず。
プロデュースはアレッサンドロ・コロンビーニ。
(4970082)
Franz Di Cioccio | drums, percussion, vocals |
Patrick Djivas | bass, Nord Modular programming |
Franco Mussida | guitars, vocals |
Flavio Premoli | keyboards, vocals |
ひさびさの活動開始とライヴ盤を経た 2000 年発表の「Serendipity」。
内容は、力強くも怪しく輝く現代プログレ。
水準以上のポップミュージック、ロックであり、全体にサイケデリックというかロック特有のわけのわからないパワーを放つ傑作である。
内容は、ロカビリーから「Tomorrow Never Knows」ばりのヘヴィ・サイケデリック・ソング、切ないフォーク・ロック、バッティアートばりのバラード、果ては VENTURES まで、ストリングスを巧みに活かした楽曲が並ぶ。
そして、いつにもましてデ・チョッチョのヴォーカルが元気であり、円熟というよりも若々しいというべきパフォーマンスを見せる。
なんというか、そのギラギラさ加減がかなり大人気ないが、一流の才能とは常にライバルを見つけ、高みへ駆け上がろうとするのだろう。
そして、この場合のライバルとは、いわゆる大御所系では決してなく、エレクトロニカ、音響系、轟音系、ポスト・ロックといったポピュラー音楽の前衛フロントラインである。
そう、この方たちは、いまだにプログレを目指しているのである。
イタリアン・ロックの魅力は、5 曲目で炸裂。
7 曲目は、テクニカル・オールド・ウェーヴ・ロックの傑作。エモーショナルなヴォーカル、カッコよすぎるギター、そして、轟々と鳴り響くメロトロン。
アルバム後半は、かなりテクニカルに、ダイナミックに迫る。
プロデュースは最終曲でギターを奏でる、「あの」コラード・ルスティチ。
アルバム・タイトルは「怪我の功名」のような予期せぬ結実の意。
(498901 2)
Franz Di Cioccio | drums, percussion, vocals |
Patrick Djivas | bass |
Franco Mussida | guitars, vocals |
Flavio Premoli | keyboards, vocals |
2005 年発表の「Dracula」。
ロック・オペラのサウンド・トラックとして製作されたらしい。
オーケストラも動員した、流れるような筆致で描かれたロマンティックきわまるアダルト・ロックである。
ゴージャス感、濃密さ、哀愁にすらこめられた熱気など、イタリアン・ロックらしさ満点。
安定感があるので気づきにくいが、けっこうコンテンポラリーで過激な表現にも挑戦している。
5 曲目で「Trilogy」のようなムーグ・シンセサイザー(らしき音)とオルガンが炸裂して目が醒める。
7 曲目は GOBLIN も真っ青の怪しさたっぷりのテクニカル・チューン。
9 曲目は ANGE ばりのグラマラスなチョイ悪親父ロック。
プレモリのヴォーカルの暑苦しさがあまり 70 年代と変わらないの対して、ムッシーダのヴォーカルはすっかり枯れた感じがする。
作曲はグループ(ただし、プレモリとムッシーダがともにクレジットされた作品は 1 曲目のみ)、作詞はヴィンセンゾ・インチェンゾ。
ヴォーカルはイタリア語。
(82876723062)
Franz Di Cioccio | drums, percussion |
Patrick Djivas | bass, fretless bass, plastic flute |
Franco Mussida | guitars |
guest: | |
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Lucio Fabbri | keyboards, violin |
Gianluca Tagliavini | keyboards, Hammond organ, Moog |
2006 年発表の「Stati Di Immaginazione」。
異色のインストゥルメンタル・アルバムである。
祝祭的な民族音楽タッチとクラシック、フュージョン、ロックが難なく一つになっている。
大人気ないまでにテクニカルに攻める演奏であり、そのギラギラ感は全盛期と何ら変わらない。
そして、哀感や郷愁、神秘的な表現にはリアルな重みと深みがある。
2 曲目の冒頭で「Promenade The Puzzle」が現れて鳥肌が立ちました。
脱退したプレモリ氏に代わって鍵盤を担当するジャンルカ・タリアヴィーニは、ヴィンテージ・キーボードをヴィンテージに弾きこなす逸材。
鬨の声をあげるムーグのプレイがみごと。
(88875042012)