ANGLAGARD

  スウェーデンのプログレッシヴ・ロック・グループ「ANGLAGARD」。 91 年結成。 シーンを代表する名作を残し、95 年解散。 作品は三枚。 サウンドは、KING CRIMSON のヘヴィネスと YESGENESIS の構築性を兼ね備え、トラディショナルな哀愁をたっぷり注ぎ込んだシンフォニック・ロック。 彼らは忽然と現れ、すべてを伝説に託して忽然と去っていった。2012 年、遂に新作「Viljans Öga」発表。

 Viljans Öga
 
Jonas Engdegård guitars
Anna Holmgren flute, tenor sax
Johan Brand bass, bass pedal
Mattias Olsson percussions
Thomas Jonson keyboards
guest
Tove Törnberg cello
Daniel Borgegård Älgå clarinet, bass clarinet, baritone saxophone
Ulf Åkerstedt bass tuba, bass trumpet, contrabass trumpet

  2012 年発表の第三作「Viljans Öga」。 紆余曲折を経た十八年ぶりの新作となる。オリジナル・メンバーからツインギターの一人が脱退している様子。 基本的な作風は変わらず、アコースティックで繊細、なおかつ猛るように荒々しいシンフォニック・ロックである。 風雪に閉ざされた炉辺の昔語りの口調をそのまま音に移し変えたような抑揚もそのままである。 そして、古い記憶をこそげるヤスリのようなメロトロン、雷鳴のようなハモンド・オルガン、大蛇の呻りのようなベース、菌毒に引き攣るギター、傍若無人に暴れる怪力神のようなドラムス、竪琴のようなアコースティック・ギター、晩鐘のようなピアノ、北風の呪文のようなフルートなど、音響的役者も揃っている。 全体に、昔日の特徴であった、古木をへし折るような獰猛さ、ゴワゴワとした武骨さ、独特だった焦げ臭さ、血の涙を湛える陰鬱さはやや控えめになっており、語り口がなめらかになっている。 そして、メロディアスなパートには生気のあるまろやかさすらある。 この違いは、ハモンド・オルガンの音色が以前ほどパーカッシヴでないこと、テナー・サックスをはじめ管楽器が加わっていること、シンセサイザーの使用などにも起因するのだろう。 もちろん演奏やアレンジがこなれた結果ということも考えられる。 嵐のように極端なダイナミックレンジの変動も以前ほどではないが、そういう飛び道具がなくても、インストゥルメンタルとしての説得力はジャズや室内楽と同質の説得力を持っていると思う。 などなど、いろいろいってしまうが、ホンネは、このアンサンブルが帰ってきてよかった、これに尽きる。 全曲インストゥルメンタル。

  「Ur Vilande」(15:44)
  「Sorgmantel」(12:07)
  「Snårdom」(16:14)
  「Längtans Klocka」(13:18)

(ANG03)

 Hybris
 
Thomas Jonson Mellotron, Hammon B-3, Solina, clavinet, pianet, Korg, piano, church organ
Jonas Engdegård electric & acoustic & nylon guitars
Tord Lindman vocals, electric & acoustic & nylon guitars
Johan Hogberg bass, bass pedal, Mellotron
Anna Holmgren flute
Mattias Olsson drums, percussions, bells, glockenspiel

  92 年発表の第一作「Hybris(Hybrid)」。 内容は、四つの大作を揃えてプログレッシヴ・ロックの復興を賭けた、重量感あふれるシンフォニック・ロックである。 短調によるクラシカルな重厚さを基調に、トラッド・フォーク的な要素を散りばめたサウンドであり、演奏はダイナミック・レンジを大きく使っている。 また、強い哀感を帯びたテーマがリードするレガートな演奏と、反復と変則的なリズム・チェンジを多用した演奏の極端なコントラストも特徴だ。 力強いトゥッティとともにコール・レスポンスを基本とするスリリングなインタープレイも盛り込まれている。 全体を通して場面転換はかなり過激であり、複数のモティーフを大胆につなぎあわせて一つ曲としてまとめるのを得意とする作風である。
  器楽と表現の関係としては、ギター、オルガンが主としてリフを多用してエレクトリックで凶暴な性格を演出する一方、フルート、アコースティック・ギター、メロトロンらは叙情的な演出を行う、という分担があるようだ。 そして、アンサンブル全体による表情付けも巧みである。 テーマは、ギター、フルート(メロトロン含む)によることが多い。 ドラムスは、過剰なまでに頻繁にテンポ、リズム・パターンを変化させており、安定を避けることで緊張を強いる効果をもたらしている。
  また、テーマとなる旋律、武骨なドラミング、アコースティック・ギターのアルペジオなどに顕著なトラッド色も見逃せない。 沈痛な、哀愁を帯びた旋律の魅力は、ときとしてアンサンブルの妙味を越えて普遍的な響きを帯びて迫ってくる。 フルートの調べのなんと物悲しいことか!
  荒れ狂う「動」と冷たく暗い「静」の両端を悲痛なまでに揺れ動く、さながら悪夢のような音楽から次第に浮かび上がるのは、郷愁に満ち、底知れぬ悲哀を湛えた「歌」である。 ヒステリックなギターと空ろなフルートと荒々しいオルガンが、鋭く変化するリズムにしたがい、ときに深淵に口を開く大渦巻のように猛り狂い、ときにオーロラに照らされる大地のように凍てついた情感を歌いあげる。 全体を貫くトーンは、絶望的な怒りと深く苛むような哀感である。
  バロック音楽、現代音楽、フォルクローレなどを取り込んで磨き上げたポピュラー・ミュージックとして、長く語り継がれ、聴き継がれる作品といっていいだろう。
  個人的に、自己相対化によるシニシズムやユーモアを欠いた音楽にはあまり魅力を感じませんが、本作には、そういった甘っちょろい審美意識を圧倒するような、いわば真面目さを突き詰めた挙句の決死の覚悟があると思います。 これだけトラジックな重みをもつ作品が、プログレというスタイルを目指して作られたとすると、その底流にあるのはもはや怨念というべきものでしょう。 傑作です。

  「Jordrök(Earthsmoke)」(11:11)インストゥルメンタル。 最初期(89 年)の作品。ピアノによる侘しいイントロダクションと暴力的なギター、オルガンのリードで狂乱する演奏が強烈な印象を残す。 ペーソスあるテーマの旋律と、音量/調子の極端な変化が特徴的である。

  「Vandringar I Vilsenhet(Wanderings in confusion)」(11:57)フルートをフィーチュアした哀切の叙情パートと激しくもメロドラマティックな動のパートが強烈にコントラストし、交差する作品。 8 分の 6 拍子の舞曲調アンサンブルが印象的。 後半やや展開が冗漫になる。

  「Ifrån Klarhet Till Klarhet(From strength to strength)」(8:09) サーカスかカーニバルのような手回しオルガンの調べが、爆発的な演奏で破断される衝撃的なオープニング。 演奏は「RedKING CRIMSON のイメージに近く、攻め一辺倒の演奏が一貫する。傑作。

  「Kung Bore(King Winter)」(12:57) KING CRIMSON とガブリエル GENESIS の邂逅。 枯れ果てた木々を思わせるアコースティック・ギターとフルートのアンサンブル。 ギターのアルペジオは、バッハの BWV999 に酷似。 同じ音形を付点の位置で変化させる手法が、GENESIS に似る。

(MELLO CD 004)

 Epilog
 
Mattias Olsson drums, cymbals, percussionsJohan Hogberg bass
Thomas Jonson Hammond organ, Mellotron, keyboardsJonas Engdegård guitars
Tord Lindman guitarsAnna Holmgren flute
guest:
Asa Eklund voiceMartin Olofsson violin
Karin Hansson viola, double bassJan C.Norlander cello

  94 年発表の第二作「Epilog」。 重厚でダイナミックな演奏は切れ味を増し、めまぐるしい急展開を乱れることなく乗りこなす。 索漠たる叙情と底無し狂気を孕んだサウンドがリスナーの魂を根元から強く揺さぶり、『聴く』という体験にかつてないリアリティを与える。 オープニング曲の妙なる美、寂寥、高潔、うっすらと漂う土の香りは、噛み締める間もなく一瞬にして消え失せ、荒々しい咆哮が世界を揺るがせ、すべてを暗黒の深淵へと落とし込む。 叙情性は大作の狭間の断章へと散らされ、大作においては、朗々たる主題すら荒ぶりヒステリックに身悶えする嵐のような演奏に沈み込められる。 楽曲には断片を寄り合わせたようなイメージもあり、全編に漂う緊張感は、そういったギリギリのところで作品の体を成したためのものかもしれない。
  今回はメロトロン・ストリングスに加えて弦楽セクションが導入されており、そこからは、狂気をはらむ重苦しさ、土臭い哀感、クラシカルな構築性に加えて、無常感を越えた潔い気品が生まれている。 そして、この気品は全体を貫いている。
  「エピローグ」なるタイトルは、本作はどこかにある本編の余韻に過ぎぬという暗喩なのだろうか。 確かに本作は全曲インストゥルメンタルであり、余韻と思えなくもない。 幻の本編たる、失われた「歌」はどこに。 スリーヴにはただ詩だけが書き記されている。

  「Prolog」(2:00) 厳粛なるチェンバー・ミュージック。 メロトロンを背景にフルートとアコースティック・ギターが寂寞たるテーマを奏でる。 繰り返しでは弦楽器が加わり、いよいよ厳かな空気が張り詰める。 短いが悲劇的なドラマに満ちたシンフォニーである。

  「Höstsejd(Autumn Spell)」(15:32) 凶暴性と手折れそうな繊細な情感の間を激しく狂おしく揺れ動くシンフォニック・ロック・インストゥルメンタル。 音の衝撃は幾重にも折り重なり、反発して弾き飛ばしあい、もつれ絡み合い、やがて激情の嵐となって吹き荒れる。 ダイナミック・レンジを広く使い、大胆な変則リズムでひた走る演奏にはとてつもない迫力あり。 血を迸らせるように激しい「動」パートと無常感にあふれる「静」パートのコントラストは、その振幅の大きさもさることながら、その周期の小刻みさが普通でない。 したがって、緊張はいやがうえにも高まる。 冒頭から爆発をくりかえす演奏は、中盤におけるフルートの妙なる調べやささやくようなギターのアルペジオらによるモアレのようなアンサンブルを経て、再び狂気の坩堝へと飛び込んでゆく。 音を断片化して不規則にコラージュするという即興風のパートが生み出す、いわば計算しない演出の効果もある。 その一方で、核となるフレーズやアンサンブルは確かに存在するので、全編を貫く遮二無二振り回し全力で突破するようなイメージは、あくまで計画的に狙ってもたらされているのだろう。 特に、反復に変化をつけて発展を促す手法が非常にうまく使われていると思う。 この刹那的熱狂というべき演奏には、後期 KING CRIMSON の影響もあるようだ。 (KING CRIMSON との音質の違いはハモンド・オルガンの割合である) また、三連のフレーズに GENESIS を思い出す人もあるはず。 単なる『哀愁のメロトロン・ロック』というレベルにとどまらない、野心的、挑戦的な作品といえるだろう。

  「Rosten(The Voice)」(0:14)低音のノイズのみ。 何をあらわすのか。

  「Skogsranden(The Edge of the Forest)」(10:48) 哀愁のチェンバー・アンサンブルとそれを容赦なく破断する鉄槌のようなトゥッティ。 悲哀をささやいていた厳かな反復は次第に加速し、それとともに狂気を高め邪悪な表情を現し、クライマックスでは雷鳴のような打撃とともにオルガン、ギターによる激情を灼熱の溶岩のように吹き上げる。 本曲では、キーボードにオルガン、メロトロンだけではなく、シンセサイザーも巧みに織り込まれているようだ。 きわめて挑戦的な(あるいは KING CRIMSON 的な)演奏を次々と繰り出し、なおかつ、その合間における「引き」のパートの幻想性も多彩である。 枯れたアコースティック・アンサンブルのみならず、女性ヴォカリーズやジャジーなプレイなどやや垢抜けたスタイルも取り入れられている。 もっとも、その分だけフォテッシモで爆発するパートにおけるオルガンやギターのコワレ方もすさまじい。 エンディングも無茶苦茶である。 基本的には前曲と同じスタイルだが、このコワレ方のせいでややヒューリスティックなタッチが感じられる作品だ。 個人的には、冒頭のアコースティック・ギター、フルート、ピアノ、弦楽らによるバロック・アンサンブルの美的感覚が好み。

  「Sista Somrar(Last Summers)」(13:10) 序章は、嵐を経て闇から甦るもの。 力なく寄る辺ない命の余韻のような調べは、悪夢の残滓を抱えつつも精気を巻き込んでおずおずと再生の生を讃え始める。 しかし、それが呼び覚ましたのはまたもや暗黒世界の強力神であった。 KING CRIMSON であれば 組曲「Lizard」に通じる音楽世界である。 前二つの大作をさらに過激にデフォルメしたといえばいいだろうか。 ここまで凶暴さと対を成していた哀愁ある繊細な表現にも変化が訪れる。 一敗地にまみれたサタンの復活のように、執念が呼び起こしたアンサンブルは、密やかで悲痛であるにもかかわらずどこかに邪悪なパワーをひそませ、破裂するタイミングをうかがっている。 音量の大小こそあれどすべての演奏が邪悪であるか勇ましくも悲痛で歪なのだ。 フルートの旋律も、悲嘆ではなく邪神に捧げる淫靡な舞のイメージである。 止んでは起こりを反射のように繰り返し、急激な音量と調子の変化がリスナーを完膚なきまでに打ちのめす。 終盤における穏やかだが決然とした演奏からは「Starless」への連想も。 ドラマではなくシーンを活写し続ける演奏なのだ。 ここまでよりもさらに気難しく、そして気まぐれに突き進んだ作品。 名曲。

  「Saknadens Fullhet(The Fullness of Yearning)」(2:00)ピアノによる美しくも哀しげ、そして気品あふれる小曲。 滴る水を思わせる可憐なピアノのリフレイン。 現世の儚さを嘆くように、最後まで旋律は哀しい。


  哀愁に満ちたメロディを奏でるアコースティック・アンサンブルの美しさ。 そして突如現れては流れをひきちぎる変拍子アンサンブルやブレイクを多用した決めの強烈さ。 オルガンやギターによる激情を叩きつけるような演奏が、空ろなメロトロンによる体がひび割れそうな静寂を、より美しく詩情豊かに浮かび上がらせる。
  三つの大作はピアノ、フルート、チェロによるアコースティックな演奏と、ハモンド・オルガン、ギター、ドラムスが一体となって荒れ狂う烈しい演奏が一つのストーリーに巧みに織り込まれているという共通点を持っている。
  第一作に比べるとより過激なエネルギーに満ちており、自らの音楽の枠組みを内側から破壊しようと試みているようなイメージである。 ヒステリックなまでにダイナミック・レンジの両端を激しく揺れるサウンドは、そのまま演奏者の限界ぎりぎりを示しているのかも知れない。 本作はもはや断末魔の叫びなのだろうか。 だとしたらあまりに壮絶だ。 「太陽と戦慄」のアコースティックな子孫の絶唱ともの悲しい余韻を心に刻もう。 第一作同様 90 年代を代表する傑作。

(HYB CD 010)

 Buried ALIVE
 
Thomas Jonson Mellotron, Hammond B-3, grand piano, keyboards
Tord Lindman acoustic & electric guitars, Mellotron, vocals, percussion
Anna Holmgren flute, Mellotron
Johan Hogberg bass, bass pedal
Jonas Engdegård electric & acoustic guitars
Mattias Olsson percussions

  解散後、96 年に発表された 94 年 ProgFest でのライヴ録音「Buried ALIVE」。 解散を決意させたコンサートらしいが、それにもかかわらず演奏には魂がこもっており、充実した内容といえる。 危ういばかりに希薄になる瞬間から暴力的なまでに硬質な音群が降りしきる場面まで、ダイナミックにして変幻自在のアンサンブルが誰も知らない世界の物語を綴ってゆく。 精神性はサイケデリック・ロックに近く、普通の意味での構築や一貫性にはほとんど興味がないようだ。

  「Prolog」(2:20)MC に続き、第二作の作品。小曲だが代表作と思う。
  「Jordrök」(11:45)第一作より。
  「Höstsejd」(14:03)第二作より。唸りをあげるリッケンバッカー。
  「Ifrån klarhet till klarhet」(14:03)第一作より。
  「Vandringar i Vilsenhet」(9:04)第一作より。
  「Sista Somrar」(13:08)第二作より。
  「Kung Bore」(12:34)第一作より。

(FGBG 4167.AR)


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