イタリアのキーボーディスト「Sangiuliano」。 作品は 78 年 RCA からの一枚のみ。
Antonio Sangiuliano | keyboards |
Elisabetta Delicato | soprano voice |
Derek Wilson | drums, timpani on 1, 2 |
Enzo Restuccia | drums on 3 |
78 年発表のアルバム「take off」。
内容は、メロトロン、シンセサイザーを中心にしたキーボード・オーケストラ的な作品。
一部ソプラノが入るが、ほぼインストゥルメンタルである。
ゲストでドラムスを迎えており、クラシカルなオーケストレーションに、ワイルドでロックなダイナミズムもきっちりと取り入れている。
さすがに 70 年代プログレらしく、演出のきめが細かい。
シンセサイザーの普及に伴って、楽器自体の性能を試すような音楽が盛んに創られた時期があった。
表現衝動からよりも、この楽器からどんな音が出せるかといった楽器主導の、いってみれば「おもちゃ」としての、素朴なアプローチである。
その結果が、新時代の音楽として期待を持って迎えられた時代。
しかし、テクノロジーは凄まじい勢いで進化し、現代においてシンセサイザーは、楽器というよりは、音楽全体を構築する仕かけへと成長し、作業工程のすべてを統御するようになった。
こういうご時世に、シミューレーターとして飛躍的に性能をあげたマシンに対してどこか不信のまなざしを投げかけるのは、時代遅れだし、根拠もない八つ当たりかもしれない。
しかし、楽器として珍重されていた時の素朴な喜びは、効率主義の大波に飲み込まれ、跡形もなく消えたような気がする。
そして、いまだに楽器としてのシンセサイザーにこだわるアーティストというのは、ある特定分野に押し込まれ、窮屈にしているのかもしれない。
そんな「シンセサイザー・ミュージック」だが、この作品は、70 年代においてまさしくそういう種類の音楽だったろう。
当時シンセサイザーを使いこなしたユニークなミュージシャンが、各国それぞれいたと思うが、この作品を聴く限り、サンジュリアーノはイタリアの代表の一人に違いないだろう。
しかし、こうして新たな音を手に飛び出そうとしたアーティストたちの作品の中においては、本作は「遊び」というレベルを越えたプロフェッショナルなスタンスで、図抜けたイメージがある。
僕はシンセサイザーに詳しくないので、ここの音がどれだけ新機軸のものなのかは全く分からないが、直感的に、ここには音への素朴な憧憬から一歩も二歩も進んだ「構築された音楽」のすばらしさがあると思う。
したがって、音そのものが古くなっても、音楽のユニークさという点でしっかりと生き残る作品ではないだろうか。
(面白いことに、テクノロジの進歩によって魅力的な音が生まれているかというと、どうやら必ずしもそうでもないという事情もあるらしい。アナログのシンセサイザーが珍重されるあたりにそういう状況が察せられるが、これはシミュレータとしてテクノロジの進歩が充分でないということか、それとも他の理由だろうか?)
シンセサイザー・ミュージックという言葉から連想されるようなエレクトリックで冷徹なイメージとは、やや異なる、非常にクラシカルでエモーショナルな作品。
ストリングス、オーケストラ、アンサンブル、コラールといったクラシックの枠組を活かし、多旋律によるドラマティックな展開と悠然たるスケール感、そして、宗教的な厳粛さや豊かな情感までも盛り込んだ、高尚な音楽である。
バロック音楽に加えて、ストラヴィンスキーのような近現代クラシックからの影響もあるのだろう。
シンセサイザーのみならず、オルガンやメロトロンも多用し、旋律の絡み合う美しいアンサンブルの魅力を存分に伝えている。
そして、随所にオルガン、ピアノ、シンセサイザーのドラマチックなソロも散りばめられ、カタルシスという点でも文句ない。
EL&P に近いアグレッシヴなプレイもいいアクセントである。
しかしながら、最も近いのは SYNERGY や富田勲をややクラシカルにしたイメージだろうか。
マイク・オールドフィールドがギタリストでなく、キーボーディストだったらこういう感じかもしれない。
リック・ウェイクマンよりは素朴で誠実である。
プログレッシヴ・ロックとして充分楽しめる作品です。
邦題は「離陸」。
プロデュースは、REALE ACCADEMIA DI MUSICA とのソロ作品で知られるアドリアノ・モンテデュロ。
各曲も鑑賞予定。
「Time Control」(16:19)
「Saffo's Gardens」(7:27)
「Take Off」(8:40)
(PL 31361 / RCA 74321105242)