イタリアのプログレッシヴ・ロック・グループ「DELIRIUM」。 SAGITTARI を母体に 70 年結成。 作品は三枚。75 年解散。 さまざまな音楽を取り入れた歌ものロックから、アヴァンギャルドなインストゥルメンタルの充実した作風へと変化した。
Ivano Fossati | lead vocals, acoustic & electric flute, acoustic guitar, recorder, harmonica |
Marcello Reale | bass, vocals |
Peppino Di Santo | drums, percussion, timpani, vocals |
Ettore Vigo | piano, organ, electric piano, celesta, vibraphone, cembalo, prepared piano, harmonium |
Mimmo Di Martino | acoustic guitar, vocals |
71 年発表の第一作「Dolce Acqua」。
内容は、フルートをアンサンブルの中心にすえ、アコースティック・ギターとピアノが濃厚なヴォーカルを守り立てるフォーク・ロック。
イヴァノ・フォッサティは、その男性的な朗唱で圧倒的な存在感を示す。
ジャズやクラシックなどさまざまな音楽を取り込み、ビート・ポップの影響を躍動的なリズムに見せるも、やはりメインは哀愁の歌声とハーモニーである。
ロマンティックなメロディとアコースティック楽器のモノクロの響きがノスタルジックな空気を生み、やがて芳醇な香りを漂わすのだ。
ポップスとしての完成度は群を抜く。
エレクトリック・ギターの不在がそのまま全体の素朴さとしなやかなタッチにつながっている。
初めの 3 曲は組曲の形式を取っておりそれぞれに副題がついている。
「Preludio:Paura(恐れ)」(3:36)
フルートの枯れたテーマが呼び覚ますのは秋風のように切ないヴォーカル。
クラシカルなアコースティック・ギターの弾き語りは、相聞歌のように問うては応える二人の歌声になり、ヴァイブが寂しげに追いかける。
m7 の侘しい響き。
サビではリズムも加わり、気高き表情も見せるが、高らかに歌うほどに寂しさが募る。
歌メロをフルートが繰り返し、ピアノが静かに寄り添う。
物寂しい弾き語りである。
「Movimento i:Egoismo(エゴイズム)」(4:29)
アコースティック・ギターのコード・ストロークがドライヴ感を生む、アップ・テンポのフォーク・ロック。
派手なドラムスのピック・アップから一気に盛り上がる。
狂おしく暴れるフルート、クールなコーラスとオルガン、奔放なピアノなど R&B 的なスリルとジャジーな演奏がマッチした骨太の演奏である。
ヴォーカルは、男臭さのなかに繊細な表情が見える逸品。
全くスイングしない武骨なリズムに、喧嘩を売るようなジャズ・ピアノ・ソロもいい感じだ。
中間部のパーカッションにあおられたコーラス・パートは濃厚なラテン臭あり。
DOORS や AFFINITY の「All Around The Watch Tower」を思い出す熱気むんむんのナンバーだ。
「Movimento ii:Dubbio(疑惑)」(3:24)
ピアノ、ストリングスらが仕切って、感動大盛り上がりのまとめをする終曲。
力強く高まるヴォーカルにしっかり寄り添うエレクトリック・フルート。
「Let It Be」なピアノとお約束のドラム・フィル、アコースティック・ギターのアルペジオそしてストリングスも加わってヴォーカルを守り立てる。
透明感あふれるストリングス・アレンジがみごとだ。
フルートは、オブリガートも軽やかに決めている。
最後のあまりに華麗なストリングスは、ヴィヴァルディかジョン・ウィリアムスか。
プレリュードはおセンチな弾き語り、第一章はドライヴ感あふれるラテン・ニューロック、そして第二章はイタリアン真骨頂の美麗ストリングスによるシンフォニック・チューン。
それぞれに明快な性格をもっており、幅広い音楽性とアレンジのセンスを感じさせる。
「To Satchmo, Bird and Other Unforgettable Friends:Dolore」(5:36)
ブルージーなピアノ・ソロから始まる、本格的なラウンジ・ジャズ。
メランコリックなフルートから、一転してシャープなユニゾンに切りかわるところがスリリング。
各楽器それぞれにソロがあるが、特にフルートは粗削りながらトーキング交えなかなか聴かせる。
ハービー・マンのイージー・リスニング・ジャズを思わせるインストゥルメンタルだ。
ピアノ、フルート、ベース、ドラムスと順繰りのソロを交えたモダン・ジャズ風ジャズロック。
何度かやり直すイントロや途中で入るかけ声など、セッション風のリラックスした演奏である。
オープニングとエンディングのロマンティックなブルーズ・ピアノとフルートによるデュオが、渋く美しい。
インストゥルメンタル。
「Sequenza I & II:Ipocrisia-Verita(偽善-真実)」(3:34)
圧倒的な力強さで迫るアコースティック・ギターのストロークとピアノがフルートのリードを支える前半、エレクトリック・フルートとピアノの自由な交歓の後半の、二部からなる作品。
前半アコースティック・ギターのストロークの生み出すドライヴ感に、フルートやピアノも巻き込まれてグイグイと前進する。
キャッチーなユニゾンがいい。
オルガンと呼応しつつ流れるスキャットは、ラテン色もたっぷり。
レア・グルーヴという文脈でも、十分通じる内容だ。
そしてドラムスによるブリッジを挟んで後半へ。
一転リズムはスインギーに変化し、エレクトリック・フルートとピアノがジャズっぽいフリーな演奏で対話する。
軽やかに舞う演奏。
アコースティック・ギターがパワフルなリズムを刻むラテン・ロック調の前半とフリー・ジャズ風の後半がなめらかにつながって、全体に緊張感のある作品になっている。
フルートとピアノ、ベースによるアンサンブルは、ジャジーでスリリング。
前半の雰囲気は、2 曲目にも通じるニューロック、ジャズロック調のものだ。
後半は、よりジャズ調であり、フルートがエレキ・ギターの役割を果たしている。
本アルバム中、最もプログレッシヴという表現の似合いそうな作品である。
VERTIGO や NEON のジャズロック系の諸作に通じる世界である。
インストゥルメンタル。
「Johnnie Sayre:ii perdono」(4:46)
再びアコースティック・ギターの力強いコード・ストローク。
鈴の音とともに、フルートがトリルから泥臭いアドリヴで舞う。
前曲に比べると、ギターのストロークはどこか寂しげだ。
ヴォーカル・メロディは、切なさのなかに厳かな含みをもちつつ胸に迫る。
伸びやかな歌唱がすばらしい。
一転アコースティック・ギターの伴奏は、ひそやかな爪弾きとなりオルガンが柔らかく響く。
のびのびと歌い上げるヴォーカル。
フルートの伴奏も、ぐっとソフト・タッチである。
再びギターのエネルギッシュにコード・ストローク。
ドラムスも走り出し、ファルセット・コーラスが繰り返される。
左右のスピーカに交互に振られるドラムス。
コーラスの繰り返しとともに次第にリタルダンド、なぜか列車の汽笛と転轍の音とともに、オープニングのアコースティック・ギターのストロークが戻ってくる。
厳かなオルガンに守られた、切ないメイン・ヴォーカル。
雄々しくも哀愁あふれるヴォーカルとエネルギッシュなニュー・ロックのブレンドしたフォーク風の傑作。
メランコリックなギター、きわめて大陸的な歌、熱いロック。
中盤のエネルギッシュなパートに、R&B というよりはラテンの香りが漂うところがイタリアである。
終盤ギターのストロークが戻ってくるところで LED ZEPPELIN を思い出す。
時代の空気を伝えるポップな作品ともいえる。
「Favola O Storia Del Lago Di Kriss:Liberta」(4:25)
尺八を思わせるフルート・ソロによるオープニング。
アコースティック・ギターのストロークに守り立てられるは、きわめて民謡風のヴォーカルである。
シンプルな繰り返しによる歌。
2コーラス目以降は、ヴォーカルは転調し、やや変調処理も行われている。
再び生の声に戻り、たんたんとしかし力強く進んでゆく。
間奏はフルート、そして低音の電子ノイズが奏でるテーマ。
ストリングスも伴奏に加わる。
エレクトリック・フルートによるテーマ演奏が、次第に遠ざかる。
トラッド風味たっぷりの土臭いフォーク・ソング。
シンプルな繰り返しの歌メロ中心の楽曲に、ヴォーカルの電気処理やストリングスそして不思議な低音などの工夫が、凝らされている。
素朴ななかに、研ぎ澄まされた感性が感じられる。
「Dolce Acqua:Speranza」(5:51)
ささやくようなフルート、そしてアコースティック・ギターの爪弾きによるジャジーなデュオ。
やがて静かにフルートが、ロマンチックなテーマを奏で始める。
アコースティック・ギターの素朴な響き。
やがてギターとフルートのデュオは、ぐっと力を込めて懐かしいテーマを繰り返し始める。
静かに寄り添うように伴奏に加わるピアノ。
スキャットが重なるようなトーキング・フルート。
そして美しいピアノに支えられてヴォカリーズが始まる。
センチメンタルなメロディは、ベース、ドラムスにも力を得て、次第に映画音楽のようなスケールへと広がってゆく。
アコースティック・ギターは、着実なコード・ストロークで流れを推し進めてゆく。
遠くこだまするヴォカリーズとコーラス。
透き通るような弦楽、そして繰り返しつつ打ち寄せる波のように、豊かな叙情を蓄え高まってゆくアンサンブル。
弦楽奏の切なくも妙なる響きは、ピアノのメロディと美しく呼応する。
素朴なヴォカリーズ。
そしてヴォーカル登場。
華麗なストリングスに支えられたヴォーカルが、ようやくタイトルを口にすると、言霊の魔術によるかのように、すべては消えフルートとギターが儚い余韻となる。
郷愁を誘うテーマをゆったりと繰り返しつつ、次第に胸に迫るシンフォニックな響きをつくり上げてゆく、ボレロ風の感動作。
トーキング・フルートとアコースティック・ギターのデュオで生み出したテーマを、まずピアノがノスタルジックな響きで彩り、ヴォカリーズがゆったりと満ちてゆく。
やがてオルガン、ストリングスも静かに加わり、重厚な響きをもたらしてゆく。
上条恒彦氏に歌っていただきたい逸品です。
オープニングのフルートが痛いくらいに胸にしみます。
「Jesahel」(4:06)はシングル盤から収録のボーナス・トラック。
大ヒットした作品だそうです。
アコースティック・ギターの刻むリズムと武骨なパーカッションが彩る、きわめて素朴な味わいの歌もの。
しかし後半は、メロトロンやフルートがしっかりとバックアップして、シンフォニックに盛り上がる。
民謡の男臭さとロックの歯切れよさ、ポップスのまろやかな味わいなど、すべてが入った佳作である。
アコースティック・ギター、ピアノそしてフルートによる渋目のアンサンブルが、男性的なヴォーカルを守り立てる土臭いイタリアン・ポップ・ロックの世界である。
4 曲目がルイ・アームストロングとチャーリー・バードに捧げられたジャズ・インストゥルメンタルであるのと、5 曲目を除いて、他はすべてアコースティックなヴォーカル中心である。
ヴォーカル、フルートのメロディなどには、現在でも通用しそうな、普遍的なラテン・ポップ・テイストがある。
またオーケストラやキーボードのサポートも、的確なところで現れ効果的である。
タイトル・ナンバーは、フルートとアコースティック・ギターそしてピアノのジャジーなインストゥルメンタルが、じわじわと盛り上がる好作品。
オーケストラやヴォカリーズが美しく、シンフォニックな曲調も、大団円に相応しい。
ジャズやクラシックとフォークのブレンドといった面以外は、いわゆるプログレッシヴ・ロック的なアプローチはほとんどないものの、音楽そのものは非常な魅力を湛えている。
アルバム全体として見ても、完成度が高い。
リーダーのフォサッティの音楽性が現れた、いわばカンツォーネ・フォーク・ロックの作品であり、次作以降とは路線がやや異なる。サイケで支離滅裂な素人マンガ風のジャケットも、同時代の人間にはとても懐かしく共感できるものです。
(FONIT CETRA CDM 2025)
Mimmo Di Martino | acoustic guitar, vocals in 4,6,8 |
Peppino Di Santo | drums, percussion, gong, vocals in 2 |
Marcello Reale | bass, contrabass, vocals |
Martin Grice | tenor & contra alto & baritone sax, flute, electric flute, vocals |
Ettore Vigo | piano, organ, vocals |
72 年発表の第二作「Lo Scemo E Il Villaggio(愚者の住む村)」。
リード・ヴォーカリストであり作曲の要であったフォサッティが脱退、新たに管楽器奏者として英国人マーティン・グライスを迎えた。
フルートとサックスによるフリー・ジャズ風のパワフルな演奏が音楽全体に新たな表情をつけ加えている。
エレクトリック・ギターは使われないが、その攻撃性を代替しているのがサックスだと感じる。
SE を使ったサウンド・コラージュやダイナミクスの極端な変化など、前衛的な表現も現れる。
切ないメロディ・ラインを歌い上げる男性的なヴォーカルも魅力だが、全体としては器楽アンサンブルに力点があり、複雑なアレンジやシンフォニックな昂揚感の演出が前面に出ている。
ピアノを中心にキーボードが多用されるのも特徴だ。
リード・ヴォーカルを任されたミッモ・ディ・マルティノは、魅力的な歌唱でフォサッティ不在をよくカバーしている。
「Villagio」(5:14)
オーヴァー・ダビングされたフルートとピアノをフィーチュアした快速チューン。
ギターに代わりフルート、ピアノがリズミカルに跳ね回る演奏と、フォーキーかつブルージーなテイストは、やはり JETHRO TULL のイメージである。
2 コーラス目からバックに入ってくる不気味に揺らぐストリングスのような音はメロトロンだろうか。
派手なシンバル・ワークを見せるドラムス、軽快なリズムを刻むアコースティック・ギター。
後半、シャフル・ビートに変化して、ジャジーなピアノ・ソロ、フルートのアドリヴ、ハモンド・オルガン、エネルギッシュなサックスとソロが続いてゆく。
波乱を巻き起こす一陣の風のような劇的なオープニング・チューンである。
意外と泥臭くない。
インストゥルメンタル。
「Tremori Antichi」(2:23)
アコースティック・ギターとピアノ伴奏による、おだやかなバラード。
イタリアらしいツヤやかなメロディの湛える叙情美、そして優しげながらも厳かなハーモニーがいい。
ヴォーカルはドラマーのサント。
セリフを読み上げるようなカンツォーネらしい歌がしみじみとした味わいをもつ。
ドラムレス。
「Gioia, Disordine, Risentimento」(7:20)
ピアノとサックスによる田舎の祭りのようなユーモラスなリフレインから始まる。
ビートを刻むアコースティック・ギターのストローク、轟々と響くメロトロン、バリトン・ヴォイスによる野太いコーラス、つややかなサックスらのアンサンブルが受け止める。
突如歓声が渦巻き始め、リズムを失った演奏は宙ぶらりんとなるが、ユーモラスなリフが復活し再びせわしないアンサンブルで受け止められる。
再び歓声の SE。
この歓声とともに、サックスやベース、ピアノがアドホックなプレイを挿入してゆく。
アヴァンギャルドな展開だ。
静かに湧き上がるはギターのストロークと物寂しげなコーラス。
吹きすさぶ風のようなフルート、足音のようなパーカッション、わななくストリングス。
一気にたたきつけるようなキメ、そしていくつものサックスが狂おしく舞い上がり力強くも幻想的な演奏が甦る。
もぎ取られたように音は消え、アコースティック・ギターの力強い調べがメロトロンとピアノを呼び覚まし、フルートがデッドな音で気まぐれなさえずりを見せる。
挽歌のようなコーラス、突如高まるフルート、そして去ってゆくドラムス。
管楽器特有のユーモラスな表情とフリーな感性を活かした発散型チンドン系佳曲。
モチーフを無理やりつなげて一曲に仕立て上げる、この時期のイタリアものによく見うけられるタイプの作品だ。
先読みを拒否するように進むが、不思議と破綻した印象がないのは、音そのものにひなびた一定の雰囲気があるからだろう。
神秘的なアレンジも堂に入った、アヴァンギャルドなセンスが光る代表曲。
「La Mia Pazzia」(3:28)
フルートとコーラスがメロディアスにユニゾンするダンサブルなオープニング。
躍動するベース・ライン、ドラム・ビート。
男臭いリード・ヴォーカルが、せわしなく歌いこむ。
繰り返しからはメロトロンが幻想的に背景に流れ出し、フルートのアドリヴが続く。
エレクトリック・フルートをフィーチュアしたシンプルなフォーク・ロック。
のどかでお気楽なメロディがイイ。
やや強めに録音されたリズム・セクションもカッコいい。
フォサッティ在籍時のイメージである。
「Sogno」(5:48)
物悲しくもロマンティックなフルート・ソロをイントロとアウトロに、フルートのテーマから発展したフォーク・ソング調のメイン・パートを経て、中盤ではピアノ、サックスをフィーチュアしたジャズロックに変化する。
か細くデリケートな表情としなやかな躍動感がなめらかにつながっており、大胆なはずの曲調の変化がごく自然に聴こえる。
ピアノ・ソロのパートでは、やおらリズムも忙しない 8 分の 6 拍子へ変化する。
エピローグを飾るフルート・ソロの maj7 の響きが切ない。
目まぐるしさに若々しいセンスと情熱を感じる作品だ。
また、イタリアン・ロック特有のアコースティック・ロックのみごとさが味わえる曲でもある。
インストゥルメンタル。
「Dimentione Uomo」(4:37)
重量感あふれるピアノのオスティナートが緊張感を高めるオープニング。
あおりたてるようなピアノに鋭くカウンターする演奏がカッコいい。
ドラの一撃をきっかけに、ゆるやかなテンポに変化し、メロトロン風シンセサイザーの幻想的な調べが遠景を染め上げつつ、男臭いヴォーカルを導く。
力強くも切ない歌だ。
ピアノとストリング、律儀なアコースティック・ギターのストロークが歌を支え、やがて、たえきれなくなったかのようにリズムも高まり、音は、深く広く満ちわたってゆく。
メロトロン、オルガンはうねりを緩やかな見せながら最高潮に達し、やがて静かに退いてゆく。
スリリングなイントロとは裏腹に、メロディアスなヴォーカルとシンフォニックの極致のようなキーボードによる雄大なバラードである。
イントロ以降は、メロトロン、オルガン、そして男の歌が一直線に押し捲ってギンギンに盛り上がる。
ピアノも静かに機敏に歌を支えており、キーボードを駆使した名曲といえるだろう。
「Culto Disarmonico」(3:45)
元気なドラムスとダブル・ベースの応酬から、スピーディな管楽器ユニゾンへとあれよあれよと発展するオープニング。
ピアノとリズム・セクションがリフを引き継ぎ、サックスが奔放なソロを放つ。
続いて、ヨれかたがいい感じのピアノ・ソロ。
サックスのリードするテーマ演奏は、アクセントの強い 6+7/8 の変拍子である。
リズムを変化させながらスピーディなアンサンブルが走りつづける。
演奏をリードするのは奔放なサックスだ。
サックスをリードにさまざまなリズム、テンポで挑発的にたたみかけるジャジーなインストゥルメンタル。
テーマやフレーズはファンキーだが、直線的に攻めたてる演奏のせいか、グルーヴよりもポーカーフェイスのようなクールさ、マシナリーな無機性が感じられる。
「Pensiero Per Un Abbandono」(4:37)
神秘的なオルガンのざわめきが押し寄せる。悠然たるリズムが刻まれて、力強い歌唱が現われる。
間奏部ではピアノが堂々たる和音を高らかに解き放ち、メロトロン・ストリングスが切々と歌い上げる。
クラシカルかつ悠然としたシンフォニックな展開は、初期の PROCOL HARUM のイメージである。
ほとばしるメロトロン・ストリングスとそれを彩るリズミカルかつ劇的なピアノ。
メロトロンを支えるオルガンの単音スタカートによるオブリガートも効果的。
オペラチックな歌唱とキーボードによるファンタジックなシンフォニック・チューン。
ピアノ、メロトロンに加えて、この作品ではオルガンも効果的に使われている。
ゆっくりとクレシェンドするまっすぐな展開はまさしく王道風。
往年のブリティッシュ・ロックを思わせる作風である。
作曲者が交代し、音楽性は大きく変化。
ほとんどの作品が、複雑なアンサンブルによるプログレッシヴな音作りを基本としている。
特に、変拍子を使った攻撃的な展開や、キーボードによるシンフォニックな場面構成は、新生面といえるだろう。
かように器楽は前衛化しているが、叙情的な面も決して失われていない。
トラッドなムードこそ後退したが、歌心に満ちたヴォーカル表現は前作を凌ぐところもある。
地味な作品という評価もありそうだが、前衛的な試みと歌ものとしての魅力のバランスが取れた佳作ともいえる。
ノスタルジーをかきたてるヴォーカルの魅力は捨て難い。
メロトロンも多用。
(FONIT CETRA CDM 2027)
Pino Di Santo | drums, percussion, vocals |
Martin Frederick Grice | flute, sax, keyboards, vocals |
Marcello Reale | bass, vocals |
Ettore Vigo | piano, moog, organ, vibraphone, mellotron, vocals |
Mimmo Di Martino | guitar, vocals |
74 年発表の第三作「Delirium III:Viaggio Negli Arcipelaghi Del Tempo(時間の群島への旅)」。
管弦楽導入によるスケールアップに加えてフリージャズ的な演奏も大幅に取り込みアヴァンギャルドな方向性を打ち出した、プログレッシヴ・ロックとして評価の高い作品。
第二作の路線をさらに推し進めつつも、従来のメロディアスなセンスも活かした、まとまりを感じさせる内容である。
管楽器をフィーチュア、リリカルなアコースティック・サウンドとヘヴィなエレクトリック・サウンドをがっちりと組み合わせ、時にはオーケストラも用いて、メリハリあるドラマチックなタッチを貫いている。
また、録音技術やプロデュースにもよるのだろうが、ヴォーカル/コーラス含め器楽全体のダイナミック・レンジが広がり、ロックとしての強烈さ、明確さが増した。
邪悪な表情にしてもリリカルな場面にしても語り口は自然であり、華美で素っ頓狂なグラム・ロック風の展開においてすら風格がある。
器楽を見てゆく。
フルート、サックスは、さらにアグレッシヴにフィーチュアされている。
逞しくもまろやかな音の質感は、この管楽器に負うところ大である。
特にフルートは、冒頭で見せるようなデリケートな表現もみごとだ。
サックスはフリー・ジャズのスタイルでガシガシ攻めまくる。
キーボードも積極的に前面に出て、時に大胆に演奏をリードする。
アコースティック・ピアノが印象的な場面もある。
さらに、アコースティックだけではなくエレクトリック・ギターも導入された。
そして、弦楽。
大波のように分厚く力強い音から映画音楽のように美しいスペクタクル、そしてすばしこいオブリガートまで、気品とロマンあふれる表現で絶妙の脇役になっている。
この弦楽の大胆な使い方が本アルバムの大きな特徴のひとつである。
イタリアン・ロックらしいフォーク・タッチとハードなサウンドの組み合わせだけではなく、サックス、エレピによるジャズロック風の演奏もあり、コンテンポラリーな音楽に積極的に取り組む姿勢が見える。
エネルギッシュなフルートやアクの強いヴォーカルのせいで JETHRO TULL と比較されそうだが、キーボードを用いたヘヴィな演奏にはいわゆるハードロックのブルーズ色はあまりなく、どちらかといえばフリー・ジャズや近現代クラシックに倣ったような表現が多い。
ヘヴィながらもシンフォニックな曲調などは、KING CRIMSON に通じるところがありそうだ。
5 曲目などは、英国プログレが至った地平に別方向から辿りついたような、超弩級のヘヴィ・チューンである。
また、素朴なメロディ・ラインとワイルドな演奏のバランスも絶妙であり、特に、ヘヴィな大作の後のポップなナンバーがなんともいい余韻を残す。
ヴォーカリストは、上条恒彦を思わせる男性的な魅力あふれる逸材。
いってみれば、GRAVY TRAIN の一作目と二作目を交ぜ合わせていいところ取りをしたような作品です。
「Il Dono(恵み)」(4:17)フルートとストリングスをフィーチュアしたフォーク・タッチの傑作。
劇的なヴォーカル表現など、胸を揺さぶる哀愁に満ちている。
土臭さとエレガンスの類まれなる合体は、本格的な映画音楽のイメージである。
「Viaggio Negli Arcipelaghi Del Tempo(時間の群島への旅)」(4:45)
オルガン、フルートがかみつくような調子でドライヴするけたたましい変拍子ジャズロック。
転調も大胆である。
挑発的なリフを叩きつけてアンソニー・ブラクストンばりの下品なサックスが暴れるかと思えば、透き通るような弦楽が波うち、意外なほど小洒落たエレピが舞う。
この表情の変え方の脈絡なさがいい。
ヴォーカルもだみ声シャウトからラッパッパコーラスまで変転。
黛ジュンみたいなネーちゃんが踊ると合うと思います。
オルガンのオブリガートがカッコいい。
そのまま次の曲へ。
「Fuga N.1(フーガ No.1)」(7:40)
ストリングス、オルガン、サックスらを動員して初期 KING CRIMSON 風の無調でへヴィなリフで突き進む変態フリー・ジャズ系インストゥルメンタル。
前曲のリフを再現し、弦楽とラリッたようなサックス、フルートを大胆に正面衝突させる。
乱調フリージャズのようなリフを狂言回しに、歪んだモダン・ジャズのような展開を見せ、中盤には 3+3+5 拍子の疾走から恐るべきテンションの演奏を繰り広げる。
暴れるサックス、フルートのバックを管弦楽が務めるという荒業もあり。
フルートのアドリヴは逸脱感あふれる。
ノイズを放つ場面もあり。
ジャジーでアグレッシヴなオルガンとピアノのアドリヴが背中合わせで突進するようでカッコいい。
是非はともかく、前衛アートのエネルギーを大いに発揮したスケールの大きな作品です。
この 2 曲目、3 曲目の「変さ」の充実度合いは、イタリアン・プログレの中でも屈指です。
「Dio Del Silenzio(静寂の神)」(2:55)男の哀愁をこめた切ない弾き語り。
間奏は野太い泣きのサックス。
弦楽奏が津波のように押し寄せるのもまた一興。
「La Battaglia Degli Eterni Piani(久遠の謀の戦い)」(6:42)
LED ZEPPELIN が描くドラマにも通じる緊張感あふれるクライマックス。
重厚、劇的な弦楽処理は NICHOLAS GREENWOOD の唯一作に通じる。
冒頭の思わせぶりなアコースティック・ギターとシンセサイザーのアンサンブルがいい。
後半は、フルートが活躍、思い切りジャジーかつタイトな演奏になる。
JETHRO TULL にはない、大仰極まるクラシカルな作風である。
「Un Uomo(ある男)」(2:06)ここから 3 曲はメドレー風。
イヴァノ・フォサッティが懐かしくなるピアノ伴奏の男臭い歌もの。言葉は要りません。
「Viaggio N.2(旅 No.2)」(4:33)叩きつけるようなリフを再現するも、GENTLE GIANT を思わせるスキャットを経て、ソウル・ジャズ風の展開へと雪崩れ込む。
「Ancora Un'alba(日はまた昇る)」(2:33)雷鳴が呼び覚ます、気高く慈愛に満ちた弦楽の調べ。
(FONIT CETRA CDLP 421)