フィンランドのプログレッシヴ・ロック・グループ「HAIKARA」。 71 年結成。 作品は再結成後含めて五枚。 管楽器をフィーチュアしたユーモアある奔放なジャズロック。 2005 年 1 月リーダー格のヴェサ・ラッテュネン 氏逝去。
Vesa Lehtinen | lead vocals, tambourine, cowbell, Eberhard Faber 1146 No 2 |
Vesa Lattunen | vocals, piano, organ, acoustic guitar, bass |
Harri Pystynen | flute, tenor saxophone |
Timo Vuorinen | bass |
Markus Heikkero | drums, percussion, triangle |
72 年発表のアルバム「Haikara」。
内容は、管楽器やオルガンをフィーチュアした英国 70 年代初期風、ややフォーキーなジャズロック。
全体に独特の野暮ったさと泥臭いユーモアがあり、演奏はどちらかといえば緊迫感よりも屈折した逸脱感が先行する。
ただし、演奏のキレそのものは決して悪くない、というかむしろ技巧的ですらある。
北欧独特のトラッド風味、イナカ臭さに紛れてしまいがちだが、過激な場面変化をシャープにこなすだけの力量は確かにある。
集中したときのテンションの高さ、叙情的な演奏の安定感など、並々ならぬ音楽センスを感じさせる。
また、逆に集中力が尽きたような場面の大らかな変容も格別である。
バンドとしての一体感を拒絶するような、いわば各パートが独立して気ままに突き進むような場面も多くあり、時おり心配になるほど音が薄くなる。
かと思うと過剰なまでに全体が一線となってぐいぐいとユニゾンで攻め立てる。
音の薄さに独特のヤバさと緊迫感があるところや緩んだかと思うと突如凶暴に突進するところなど、70 年代の KING CRIMSON の即興演奏に近いものがある。
一方、弦楽器やアコースティック・ギター、フルートらによるアンサンブルには素朴で誠実な姿勢があり、熱過ぎずクール過ぎない、いい感じの温もりを伝えてくる。
そういう場面では、大げさにいうと、一種崇高な空気すら生まれてくる。
民謡風のヴォーカルの存在感が強烈なため、いったん苦手に感じるとなかなか入り込めない可能性があるが、演奏には優れたポップ・ミュージックに共通する豊かな情感と煽動的なインパクト、微妙な陰影と暖かいユーモアがある。
NEON、VERTIGO、DAWN 辺りの英国ジャズロック・ファンには受ける作風だと思う。
TASAVARAN PRESIDENTTI と比べて垢抜けないが、サイケなパワーと怪しげな魅力ではこちらが勝っている。
まだまだ若いはずなのに奇妙に老成した感じがあるところも面白い。
ジャケットはシュールというにはあまりに邪悪で素人臭く、趣味がいいのか悪いのか分からない。おそらく悪い。
個人的には 3 曲目が白眉だが、プログレ・ファンには初期 KING CRIMSON を彷彿させる悪夢的な 5 曲目がお薦め。
密やかな序章から爆発を経てどんどん捻じ曲がってゆく。
メル・コリンズとキース・ティペットの生霊も現れる。
ここでようやく気づくが、KING CRIMSON のヘヴィな面と叙情的でナイーヴな面を取り除いたのが、そのままこのグループ独特の垢抜けなさなのである。
いくつか不明点があります。
ファズを強くかけたギターが全編で狂おしく暴れまわっているが、なぜかエレキギターのクレジットがない。
また、リード・ヴォーカリストのクレジットにある「Eberhard Faber 1146 No 2」というのは何でしょう?
Eberhard Faber 社というのはドイツの文房具会社のようなので、何か文房具ですかね?
ヴォーカルはフィンランド語。プロデュースは、後に TASAVARAN PRESIDENTTI に加入するヒッキ・ヴィルタネン。
「Köyhän Pojan Kerjäys」(5:37)
「Luoia Kutsuu」(7:40)叙情的なヴォーカル・パートと尖って歪んだジャズロックが交錯する。SAMURAI を思い出した。
「Yksi Maa - Yksi Kansa」(9:28)弦楽も使った暖かいポップ・テイストと R&B の油味、いいしれぬ無常感が同居する作品。中盤の管楽器が白熱するところがカッコいい。そして、哀愁の弦楽奏へと落とす巧みの技。
サイケデリック・ロックを経た後の時代にこんな空気があった。
「Jälleen On Meidän」(10:51)
「Manala」(10:37)
(LSP-10392 / Fazer Records 3984-22253-2)
Vesa Lehtinen | lead vocals, guitars, bass, piano, organ |
Auli Lattunen | vocals |
Harri Pystynen | flute, tenor saxophone |
Timo Vuorinen | bass |
Markus Heikkero | drums, tubular bells, triangle |
74 年発表のアルバム「Gefear」。
演奏とユーモアの質はキープしたままより融通無碍になってゆくさまが痛快な第二作。
管楽器やファズギターを生かした垢抜けないブラス・ロック、サイケ、R&B 風味を基本にするも、曲ごとに世界はほぼバラバラである。
緩んだジミヘンを思わせるイケイケドンドンな冒頭曲で気絶しそうになり、格調と哀愁のあるカンタータのピアノの響きに涙しそうになる。
ケッタイさの後ろに隠れてはいるが、演奏そのものはしなやかでパンチがあり安定感もある。
ユーモラスなところが印象に残る一方、クラシカルな小品で見せるリリシズムには英国ロックの王道を極めたような風格がある。
変だけれどジャジーでメロディアスという点でカンタベリー的な面もある。
リフがもう一歩でも「変」でなければ、反復にも SOFT MACHINE のような知的なものが現れたかもしれないが、おそらくそういう方向は目指していないのだろう。
また、ユーモラスといっても SAMLA のようなサディスティックな感覚ではなく、「脱力ズッコケ」センスの方が目立っている。
世間の音を気にせずに自分のもっている違和感や憧れに忠実にしたがって作っていったらこういう音になった、なんて感じじゃないだろうか。
いずれにしてもリスナーとして若々しい情動の幅、深さをともに要求される内容であり、年寄りは心臓やアキレス腱に気をつけたほうがいい。
女性ヴォーカリストが参加しており、スペーシーなスキャットを聴かせる。
ヴォーカルは英語とフィンランド語。プロデュースはヒッキ・ヴィルタネン。EKTRO の CD には 70 年代後半の作品 4 曲のボーナス・トラックつき。
さらにメロディアスで聴きやすいものになっている。
ジャケットのイラストはさらにグロテスクになっているが、幼児のような奔放さが感じられて、徹底的には憎めない。
「Change」(8:10)性急なビートで押し捲るジャズロック。クラブ向け。
「Kun Menet Tarpeeksi Kauas Tulevaisuuteen, Huomaat Olevasi Menneisyydessä」(8:09)
「Kantaatti」(2:32)
「Laulu Surullisesta Pilvestä」(3:57)PROCOL HARUM のように重厚なロマン。弦楽、フルート、ピアノ入り。
「Geafar」(13:57)ファズギターが暴れ、管が叫び、ダブルベースが跳ねる 60 年代末的なジャズロック。後半のサックス・ソロは名演。
バロック調のピアノへの転落から下品なリフへの回帰がカッコいい!
(YFPL 1-809 / EKTRO 006 CD)