アメリカのプログレッシヴ・ロック・グループ「DELUGE GRANDER」。 2005 年結成。 2014 年現在作品は三枚。すでに第九作までのプランがあるようだ。(三作目からの四枚は限定版、それらを再編集して二枚、さらに最終的にそれら六枚からのベスト盤) 重苦しく緻密な極道シンフォニック・ジャズロック。
Dan Britton | keyboards, vocals |
Dave Berggren | guitars |
Patrick Gaffney | drums |
Brett D'Anon | bass |
Jeff Suzdal | saxophone |
Frank D'Anon | xylophone, trumpet, flute |
2006 年発表のアルバム「August In The Urals」。
内容は、独特の重量感とあらゆる面での過剰さが特徴的なシンフォニック・ジャズロック。
一部ヴォーカルも入るが、キーボードをフル回転させたインストゥルメンタル中心である。
作風は、近年のロシア、東欧辺りの技巧垂直累積型へヴィ・シンフォニック・ロックと共通する、いわゆる「Dense composition」であり、音、フレーズをギシギシいうまで詰め込み組み上げた複雑で濃密なものである。
サウンド的には当然ながらプログレ・メタルの影響もあるとは思う。
ドラマティックな展開を見せるが、メロディや音響主体の叙景的表現よりもアンサンブル全体の運動性がキーになっているところが、いわゆるシンフォニック・ロックとはニュアンスが若干異なるところだと思う。
いわゆるクラシカルなタッチが少なく感じられるのは、古典やロマン、近代といった「普通の」クラシックがないためだと思うが、不協和音や変拍子、エキゾチズムといった現代音楽や中世以前の音楽からの影響は強そうだ。
(これで音に「軽さ」や「甘さ」があれば EL&P 風になるだろうが、いかんせん分かりやすいロマンチシズムとストーリーが無く、抽象的な反復パターンが多いためにあまり似ている気がしない)
また、荘厳な和音が轟き、邪悪な変拍子リフが刻まれているのに、フロントのギターやピアノがストレートにジャズ、フュージョン(カンタベリーといってもいい)風の演奏になるところも特徴的である。
重いのにスピード感のあるところや変拍子オスティナートによる圧迫感、不協和音の不気味さなど、AREA (歌はないけど)や KING CRIMSON、SOFT MACHINE などが原点にあるような気がする。
また逆に、MAHAVISHNU ORCHESTRA や ELEVENTH HOUSE のような技巧的なグループがその爆音ジャズ・スタイルのままロマンティックな英国プログレの方向へ走ってしまったような感じもある。
したがって、ジャズロックとはいうものの(先のコメントとは相反するが)それらしからぬセンチメンタルな表現や文学的な無常感、虚無感を漂わせるところもある。
リヴァーヴを深くかけるアンビエントなジャズというのは初めて聴いた。(クラウス・シュルツェとジャズの合体と呼ばれた曲もあるようだ)
また、へヴィだがハードロック的なニュアンスがまったくないところも、プログレ・プロパーらしさである。
全体に製作にはあまり手がかかっていないようだが、圧倒的な演奏力と音の存在感は否応なく伝わってくる。
前に出たいのか後ろに下がりたいのかが判然としないいま一つな朗唱型ヴォーカルも、その存在感のなさが呪術的な響きを帯びていて、かえって極上発掘モノ的でよろしいのではないだろうか。
楽曲は 30 分近い作品を筆頭に大作のみ。
爆発的な演奏力と乾いた審美センスが特徴的な、類似品の見つからない、きわめて個性的な現代プログレの佳作。
こういう音でも北欧産だとどこか長閑でユートピア志向のようなものが感じられるし、英国産だとシニカルなユーモアが必ず入ってくるが、こちらはファンタジーにすら鼻息の荒さというか力みかえったようなところがある。
夢の世界をローマ帝国軍のような軍団がふんぞり返って行進しているようなイメージである。(Grand Wazoo か?)
いかにもプラグマティックなアメリカ人らしいといえばそのとおりだが、もう少し暑苦しくならずにできないものだろうか。
もっとも、本作品の特徴は、その濃さ、暑苦しさをカンタベリーや英国プログレにそのまま平行移入したところにあるので、そうもいかないのだが。
「Inaugural Bash」(26:57)七部構成の超大作。本曲でこのグループの音楽の全貌がほぼ明らかになる。ジャジーで邪悪である。
クライマックスがないというよりは、後半はクライマックスがずっと続くというべきだろう。ギターはナチュラルトーンによるジャズ風のプレイ、。
「August In The Urals」(15:52)SPOCK'S BEARD と共通する「アメリカン・オルタナティヴ・ロック+過剰なα」スタイル。
素直に GENESIS っぽかったり、モダン・プログレらしさもある。
「Abandoned Mansion Afternoon」(12:14)なめらかな歌もの変拍子チューン。歌というより呪文に近い。
「A Squirrel」(8:45)シニフィアンのみであり、シニフィエがない(私が知らないだけかもしれないが)ような抽象的な作品。フューチャー・ジャズの一種か。変わってます。
「The Solitude Of Miranda」(7:18)スパニッシュ、サラセンなテイストのあるスリリングかつロマンティックな作品。独特の強面は、ジプシーのマフィアがいたらこんな感じでしょうか。
(EMKOG 001)
Dave Berggren | guitars | Dan Britton | keyboards | ||
Brett D'Anon | bass | Patrick Gaffney | drums | ||
guest: | |||||
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Nathan Bontrager | cello | Frank D'Anon | chorus, wood block | ||
Brian Falkowski | clarinet, flute, sax | Heather MacArthur | violin | ||
Jose Luis Oviedo | trumpet | N.Aaron Pancost | trombone | ||
Kelli Short | oboe | Kezia Terracciano | art | ||
Megan Wheatley | vocals |
2009 年発表のアルバム「The Form Of The Good」。
内容は、厳粛、重厚、深遠かつグルーヴィなるシンフォニック・ロック。
前作よりもモダン・クラシック然としたところが増えて、より神秘的な雰囲気をまとっている。
管弦セクションはバンド演奏の配下としてきめ細かく練り込まれ、出自を忘れてこの奇妙にアナーキーなロックンロールに奉仕している。
クラシックやジャズといったファクターの巧みなブレンド具合よりも、硬く無機的な質感のサウンド、もっというと無慈悲な感じがまず印象に残る。
つまり、問題提起やあふれるエモーションを表現衝動としてとらえ、それに共感してもらうために音楽という共通言語に置き換えてゆくという過程で、「どう表現したら分かってもらえるか」に心を砕くよりも「とにもかくにもこれを聴け、分からん奴は知らん」という強硬姿勢を取っていると思う。
ある意味傲慢だが、ごく一部のリスナーとは途方もなくがっちりと手を握り合えるだろう。
この取っつき難さは、ひょっとすると、あえて未整理で複雑で矛盾にあふれ混沌と煮えくり返った音を提示することで、「現代に生きる人間、一言で表されるような単純な感情や精神性で形作られているわけではない」というコンセプトを描いているのかも知れない。
また、HM 的なところがまったくないことも特筆すべきだろう。
特定の楽器や旋律を分かりやすく目立たせることをしない作風(個人的にはもう少し輪郭のはっきりした味つけ希望)らしいためなじみにくいが、しっかりと集中して立ち向かうと、独特の味わいが分かってくる。
圧迫感、攻撃性、傲然とした表情などは KING CRIMSON に通じる。
「Before The Common Era」(5:22)コラール、弦楽器、キーボードを主としたスペイシーで幻想的なシンフォニック・ロック。
「The Tree Factory」(14:08)神秘的かつアナーキーなヘヴィ・シンフォニック・チューン。
混沌とした変拍子アンサンブルを貫き通し、ジャズロック的な運動性も十分に披露する。途中から音の数のわりにはスケールが広がらず宅録っぽい感じになるが、メロディアスな展開が意外にいい。
「Common Era Caveman」(6:26)エレクトリック・キーボードと管楽器が主役のケイオティックなサイケデリック・ロック。
「Aggrandizement」(19:12)絶好調の AFTER CRYING を思わせるシンフォニック・チューン。多彩な表現を見せ、勢いも十分で飽きさせない。このグループらしい曲名です。
「The Form Of The Good」(8:41)
(EMKOG 004)