イタリアのプログレッシヴ・ロック・グループ「QUELLA VECCHIA LOCANDA」。 70 年結成。 作品はニ枚。 ヴァイオリンを中心にアコースティックな音を用い、クラシックの名曲を積極的に取り込む。
Massimo Roselli | piano, organ, Mellotron, Moog, electric sitar, cembalo, vocals |
Giorgio Giorgi | lead vocals, flute, piccolo |
Patrik Traina | drums |
Romualdo Coletta | bass, frequency generator |
Raimondo Maria Cocco | electric & acoustic & 12 string guitars, vocals |
Donald Lax | electric & acoustic violin |
72 年発表の第一作「Quella Vecchia Locanda」。
内容は、クラシックの名フレーズを大胆に取り込んだヴァイオリンが活躍するワイルドなクラシカル・ロック。
クラシックの室内楽やシンフォニーを枠組みに、チープなブギーとジャジーなプレイでひねりをも加えた胸焼け必至の濃い目の味付けのロックである。
ヴァイオリンの他にもフルート、ピアノなどアコースティックな音がふんだんに使われていて、基本的には、バンド編成でクラシカルなアンサンブルを模すような演奏をしている。
荒っぽい演奏がヴァイオリンの音色に救われている、と同時に、腰のすわったハードロックがヴァイオリンやフルートで浮き足立つ。
ロック側の基本はサイケデリックなブギーであり、同時代の英国ハードロックの影響も大きく受けている。
ただし、アコースティックな牧歌調のパートとエレクトリックな毒気にあふれるパートの強烈すぎるギャップは、イタリアン・ロックならではだ。
一曲の中でも調子の変化は頻繁であり、落差は大きすぎるほど大きい。
強いて英国ロックで似た作風を探すとすれば、アカデミズムの暴走の結果のクラシック翻案とサイケデリックなギトギト感の連結が共通する CURVED AIR だろうか。
JETHRO TULL や LED ZEPPELIN といったブリティッシュ・ハードロックの影響力を再確認させる内容でもある。
イタリアン・ロックでは、クラシカルなロマンでなんとかロックしようという本作と同様な試みが現在も続いているようだ。
プロデュースはジャンニ・デローゾ。
1 曲目「Prologo(序章)」(4:59)。
ロマンティックな表現と叩きつけるような暴力的な表現を、せわしなく往復するヘヴィ・クラシカル・ロック。
トーキング・フルートもあり、ヴァイオリンの加わった初期 OSANNA といえばいいだろう。
劇的というにはあまりに唐突な展開と強引この上ない演奏、荒っぽくささくれだった音は、イタリアン・ロック以外にはありえない。
ヴァイオリンのリードするクラシカルなアンサンブルや、伸びやかなヴォーカルとアコースティック・ギターによる牧歌調のパートがあるにもかかわらず、聴き終わった後の印象は、きわめてサイケデリックなのだ。
また、荒削りなわりには、細部に凝るところがなんともアーティスティックである。
イントロのせわしなくもクラシカルなアンサンブル(クラシカルなフレーズでもたたみかけるとハードロックになる。考えてみればほとんどのハードロック・バンドはそれに気づいて依拠して成立したのだろう)や中盤の幻想的な弾き語り風の歌(伴奏はピチカートとエレクトリック・ピアノだろうか)、ピアノに導かれるその展開部など、目のさめるような演奏が散りばめられている。
2 曲目「Un Villaggio, Un'illsione(村、幻覚)」(3:54)
ヴィヴァルディ風のヴァイオリンのカデンツァをフィーチュアした JETHRO TULL ばりの凝ったハードロック。
またも冒頭からヴァイオリンがクラシカルで愛らしいはずのフレーズを品なくたたみかけ、挙句の果てにゴリゴリのギターが騒ぐブギーに突っ込む。
JETHRO TULL 風の荒々しいトーキング・フルートともにベースも思わせぶりに迫り、1 曲目の失地を取り戻さんとす。
音程の不安定なヴァイオリンから巻き舌ヴォーカルまでを突っ込んだ荒っぽい演奏を快調なテンポと勢いの良さだけでまとめる。
しかし、こんなに無理やりな結合にもかかわらず、あまり違和感がないから驚きである。
3 曲目「Realta(現実)」(4:13)
ハードロック・グループのアルバムに必ずあるメランコリックなフォーク風のバラード。
主役はベース下降のアルペジオを決めるアコースティック・ギターと滴るしずくのようなピアノ。
リズムレスのメイン・パートとリズムありのサビのパートを単純に繰り返すだけの、ごくシンプルなつくりにもかかわらず、くすんだトーンでまとまっている。
その色調がいい。
もちろんその裏側には埋み火のように情熱がたぎる。
憂鬱なはずなのにサビのイージーな感じがいい。
説得力あるヴォーカルとハーモニーに加え、ピアノ、フルートも的確に曲想を支え、短いながらピリっとした見せ場をもつ。
まとめ方にセンスを感じさせる佳作。
4 曲目「Immagini Sfuocate(ぼやけた像)」(2:59)
冒頭の大爆発から、あたかもストレスを発散するが如き、荒々しくヤケクソ気味のハードロック。
もう波乱以外考えられないノイジーなイントロダクションから、予想をたがえず乱調気味の突進が始まる。
秩序は、マーチ風のシンフォニックなアンサンブル頼り、しかしギターの魔力で一気に下品なハードロック化。
ドラムスがざわめく、尻切れトンボの終わり方から考えて、B 面 1 曲目への導入とも考えられる。
前曲のことも思うと、おそらくメンバー全員のアイドルが LED ZEPPELIN なのでしょう。
5 曲目「Il Cieco(盲人)」(4:11)
前曲の第二部となる、クラシカルな器楽とハードなファンク、ブギーをつないだ作品。ここから B 面だろう。
予想とおりドラムスでフェードイン、ベースによるカッコいいリフがしなやかなファンク・ロックをいざなう。
中間部はほぼ別人な室内楽アンサンブル。
二重人格である。
エレクトリックピアノが参戦するあたりで怪しくなり、フルートのアドリヴがへヴィ・ロックを復活させる。
前曲のマーチ風のアンサンブルも一瞬復活し、ヴァイオリンが怪しくまとめにもってゆく。
6 曲目「Dialogo」(3:41)
ハードロック、ジャズ・コンボ、カンツォーネを直列つなぎにした怪作。
ギターとベースのへヴィなリフに、どこかの星の巨大な害虫が羽を擦り合わせるような不気味なシンセサイザーも参入する。
フルートがリードするモダン・ジャズ・コンボを経て、お得意のヴォーカル・ハーモニーを生かしたフォーク調のラヴ・ソング。
伴奏のアコースティック・ピアノ(すさまじい音のエレクトリック・ピアノも参入する)をバンドが唸りを上げて追いかける。
それぞれの場面はそれなりにまとまるが、次にどこへいくのか誰も知らない。
おまけに、ぷっつり終わるので、どうしていいかわからない。
7 曲目「Verso La Locanda」(5:15)
過激な場面転換が特徴的なアヴァンギャルド・ロック。
酔っ払ったようなピアノとヴァイオリンのデュオを強烈なキメで断ち切ると、一瞬の「フーガ」を経て、バンドとヴァイオリンによるメロディアスな演奏もつかの間、トルコ風のコミカルなトゥッティが飛び出し、フルートが演奏を大きく振り回す。
クールに謎めいたバラードのヴォーカル・パートが一番まとも、というか紛い物っぽさがない。
バックのアルペジオもフルートも英国調。
一転してキャバレー風のジャジーなピアノ・コンボ、怒り狂うフルートにシャットアウトされて、コミカルなトゥッティが再現、ノイズと変わらないすさまじい音のシンセサイザーも巻き込んで突進する。
クラシック、ジャズとバンドの直結という技の頂点でしょうか。
ここまで来たかという感じです。
8 曲目「Sogno, Risveglio E...」(5:15)
サティ風のアンニュイなピアノの爪弾き。
ピアノの問いかけに応えるように、ストリングス・シンセサイザーが寄り添う。
ハープの音が泡立つように散りばめられる。
ピアノから厳かなトリルが湧き上ってドラマの幕開けを暗示する。
思わせぶりなブレイク。
ピアノは決然とした厳かな表情へと変化する。
ピアノに導かれて歌いだすヴァイオリン。
哀愁あるロマンティックなソロだ。
ここまでの演奏がウソのように、美しく説得力もある。
ヴァイオリンに応えるようにフルートが現れる。
こちらも素朴にして優美である。
美しいロマン派風のクラシック・アンサンブルである。
ここで、突如ヴァイオリンとピアノの険しい呼応が割り込み、緊張感を高める。
いつしか、ピアノとヴァイオリンのかけあいデュオは、1 曲目のテーマを奏でている。
厳かなリフレインがヴォーカルを導く。
力強いピアノ伴奏。
悲劇的で堂々たる表情を見せるヴォーカリスト。
間奏は険しくも凛としたヴァイオリンである。
不安をかきまぜるようにピアノがざわめく。
ふと目を覚ませば、オープニングのリリカルなピアノ・ソロへと戻っている。
リタルダンドするピアノをストリングス・シンセサイザーが静かに受けとめる。
優美にして哀愁ある室内楽アンサンブル。
ドラムスレスでピアノ、ヴァイオリン、フルートをフル回転させて、悲劇のイメージを描く。
ピアノを軸にすべての器楽が、情緒的な演奏からシリアスな演奏まで深い表現力を示す。
これは普通のロック・バンドには到底できないし、あえてやらないだろう。
映画のサウンド・トラックのように、静かなドラマをもつ傑作。
さりげなく一曲目のテーマがリプライズするアイデアもいい。
(ZSLH 55091 / VM 054)
Massimo Roselli | keyboards, vocals |
Giorgio Giorgi | flute, piccolo, vocals |
Patrik Traina | drums, vocals |
Massimo Giorgi | bass, contrabass, vocals |
Raimondo Cocco | guitars, clarinet, vocals |
Claudio Gilice | violin |
guest: | |
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Rodolfo Bianchi | soprano sax on 4 |
74 年発表の第二作「Il Tempo Della Gioia(歓喜の時)」。
ヴァイオリン奏者がクラウディオ・ ジリス、ベーシストがマッシモ・ジョルジ(元 RITRATTO DI DORIAN GRAY)にメンバー交代する。
内容は、ヴァイオリン、フルートをフィーチュアした、前作のクラシカル・ロック路線のさらなる発展形。
ヴァイオリニストの腕前アップに伴って、クラシカルな演奏のグレードが上がった。
そして、正調クラシックの端正さ、ロマンティックな面を残しつつも、過激な展開も用意されている。
とりわけ、アルバム後半に向うに連れ、アレンジが過激になって音楽の重心が「奔放さ」へと移ってゆくところが興味深い。
前作に比べると、音楽的なヴァラエティは豊かになっている。
ドラムスの音などから、録音、製作にも力が入っているようだ。
バタ臭い、いかにも 70 年代風のコミック調スリーヴもいい感じだ。
イタリアン・ロックの代表作の一つ。
1 曲目「Villa Doria Pamphili」(5:27)
胸に迫るほどに切なくロマンティックなクラシカル・ロック。
冒頭のピアノ、アコースティック・ギターの端正なデュオで一気に惹き込まれ、哀愁のヴァイオリンの調べも加わるとイタリアン・ロックの最上級の瞬間が訪れる。
たくましきベースとギターのアルペジオのささやきが送り出すヴォーカルは、若い情熱をふりかざさずに憂いを放つ弾き語りながらも、浮世の無情に抗議し訴えるように高まり、力をこめる。
歌を押し上げるように寄り添うピアノのオブリガート、そしてストリングスを巻き込む劇的なサビの力強さよ。
シンフォニックにしてフォークの味わいもあるイタリアン・ロックらしい作品であり、MAXOPHONE の同名作を思わせる逸品だ。
ピアノのエレガンスとヴァイオリンの憂いは、前作と比べると、格段に洗練されたイメージである。
ハープもかき鳴らされ、ギターはアコースティックのみ。
題名にあるパンフィリは、デビューを飾ったフェスティバルの行われた場所。
2 曲目「A Forma Di...(To Shape Of...)」(4:08)
童歌のようにもの哀しく郷愁をさそうテーマによるボレロ調のインストゥルメンタル。
ここでも、フルートとヴァイオリンがユニゾンするテーマ、ストリングスのストローク、チェンバロらのアコースティック・アンサンブルが、バロック風セレナーデの優美にして緊張感もある演奏を繰り広げる。
ストリングスのストロークとともにテーマをカラフルに反復して、ヴォーカリーズの参入とピアノの跳躍アルペジオとともに一気に高潮に登りつめ、ヴァイオリンが劇的にすべてを受け止める。
エピローグは激情のままにざわめくピアノである。
フェード・インが長いために本編ではあまり展開しないのがもったいない気もするが、ボレロなのでそういうものなのだろう。
大作からの抜粋なのではと思わず勘ぐらせる内容である。
この主題だけはまちがいなく名品。
ドラムスレスであり電気楽器もない。
3 曲目「Il Tempo Della Gioia(The Time Of The Joy)」(6:16)
数曲を一つにつなげたような、攻めのプログレッシヴ・ロック。
ギター、ピアノが寄り添う甘くメロディアスなポップスは、ストリングスの高まりをきっかけに破断されて、激しいドラミングが火をつけた KING CRIMSON 風のアヴァンギャルドなヘヴィ・ロックへと変貌する。
邪悪なリフとともに跳ね回るアグレッシヴな器楽、無調の声明のようなヴォーカルらのアンサンブルはリズムチェンジとともに忙しなく調子を変えて、攻撃的ながらも転げ落ちるような演奏が繰り広げられる。
ジャジーなピアノ、ギターのトレモロらが荒れ果てた世界を馴らしにかかるも、多声部が重なる怪しいヴォーカリーズの登場をきっかけに、再び変転、過剰な電圧で音のにじむエレクトリック・ギターとエレクトリック・ピアノのリードによるサイケデリック・ジャズへ。
ダブルベースのボウイングやフルートの乱れ吹きオブリガートを巻き込んでフワフワとユーモラスな表情をたたえる。
邪悪なアンサンブルが復活し、斯界をすべる若魔王のようなヴォーカリストが仁王立ちする。
過激な曲調の変化は、IL BALLETTO DI BRONZO とおなじく、現代音楽的なアプローチで現代人の不安をかきたてる効果を狙っているのだろう。
古典的な叙情美が、モダンなセンスによって、完膚なきまでに破壊されてゆく。
冒頭と結末がまったく異なるつくりは、イタリアン・ロックにしばしば見られる作風である。
4 曲目「Un Giorno, Un Amico(A Day, A Friend)」(9:40)
クラシック、ジャズをつきまぜて即興をふんだんに盛り込んだ奇想曲風の作品。
クラシカルなアンサンブル、ソロ、ジャジーな即興コンボといったパーツを、つなぎ合わせ、切り貼りしている。
狂言回しは、タイトなリズムにクラシック、ジャズをのっけたニューロック風の全体演奏。
散漫だが、各場面のインパクトはかなりのものだ。
特に、ヴァイオリンの巨大なカデンツァとクラリネットとベース、ピアノのジャズ・トリオ、ブラームス風のピアノとヴァイオリンのデュオ、クラリネットのリードするエンディングのジャズロックは、かなりいい感じだ。
エレキギターも少ないながら見せ場をもらい、伸びやかなベルカントとともにクライマックスをリードする。
前曲と似たアプローチだが、ジャズロック風のなめらかな運動性と主としてヴァイオリンによるクラシカルなロマンチシズムの融合はこちらのほうが巧み。
緩いのだが、無駄に力まず自然に流れていく。
ベース・ラインが要所を締めて存在感あり。
5 曲目「E Accaduto Una Notte(And Happened One Night)」(8:17)
幻想世界が崩壊するような、邪悪でカタストロフィックなドラマをもつ作品。
P.F.M の「甦る世界」を髣髴さす重厚なオープニングから、フルートが導くクラシカルなアンサンブルによる幻想的な序盤を経て、揺らぎのあるメインのヴォーカル・パートでは悲劇が狂気へと進みつつあるような不安定で絶望的なムードにあふれている。
歌は伸びやかだが、歌を取り巻く演奏が恐ろしい。
崩壊寸前の状態を、かろうじて、つなぎとめるような印象である。
女声ヴォーカリーズの間奏部では演奏に若干のしなやかさが生まれるが、メインヴォーカルのバッキングはやはり歪で邪悪だ。
アコースティックなサウンドによる不気味なタッチは KING CRIMSON の「Circus」 風である。
終盤は、フルートらによる低音を強調した勇ましくも恐ろしげな演奏が渦を巻き、重厚な音とともに、ノイズが逆巻くこの世の果てまで突き進んでしまう。
きわめて劇的な最終曲である。
ここでのクラシックの役割は、神秘性と重厚さの演出である。
管絃、ピアノなどアコースティック楽器を多用し、クラシック、ジャズを大胆に取り入れたシンフォニック・ロック作品。
クラシックの守備範囲も、バロックから現代音楽まで幅広い。
特に、ピアノとヴァイオリンは、気品ある端正な演奏を見せており、豊かで普遍的なイメージを提示している。
すっかりクラシックそのものになってしまうところもあるが、それがごく自然な流れの結果に感じられる。
また、アコースティック・ギターやフルート、そしてヴォーカルによるフォーク・タッチも、いかにもイタリアン・ロックらしい。
特に 1、2 曲目は、これらの魅力をストレートに伝えている。
3 曲目以降は、ジャズを用いた大胆なアレンジも見られる。
アルバム後半のクラシカルなプレイをメインにジャズやハードロックなどさまざまな要素も交えた奔放な演奏が、このグループの到達点だったのだろう。
クラシカルなロマンとジャジーなキレを兼ね備えた作品は、超一級とはいえないまでも、かなりおもしろく聴くことができる。
また、前作がヴァイオリンを用いたクラシカル・ロックという点で P.F.M に通じるものがあったのに対し、本作ではベクトルがやや変化している。
本作は、現代音楽的な手法を試みたクラシカル・ロックという方が正しい。
3 曲目や 5 曲目は実際現代音楽の影響が強いのではないだろうか。
アルバムを通して感じられるのは、ヴァイオリン含め弦楽の古典的な美しさと、モダンで邪悪な演奏の落差/対比が生む不安定さである。
そして本作の魅力であるヴァイオリンの音色も、ふくよかさより哀感と身を削ぐような切実さが勝っている。
録音の悪さやリズムの不安定さなど問題はあるものの、イタリアン・ロックの秀作の一つとしての地位はゆるがないだろう。
(TPL-1 1015 / RCA 74321-26544-2)