スウェーデンのプログレッシヴ・ロック・グループ「CARPTREE」 。97 年結成。2021 年現在作品は七枚。 おそらくピーター・ガブリエルとピーター・ハミルの大ファン。 ヴォーカリストと鍵盤奏者のデュオであり、他のパートは NO FUTURE ORCHESTRA(すごい名前ですよね)の面々が務める。
Niclas Flinck | lead vocals |
Carl Westholm | piano, grand piano, synthesizer |
NO FUTURE ORCHESTRA |
2010 年発表のアルバム「Nymf」。
内容は、怪奇妖艶なる表情を操るヴォーカリストを厳かなキーボード・サウンドで守り立てる暗鬱系ヘヴィ・シンフォニック・ロック。
シンセサイザーによる教会典礼風のオーケストレーションと感傷にまみれつつもハイブラウなピアノの調べをタイトに締まったリズム・セクションが支える、重厚かつ衝撃的なる演奏である。
何より「重苦しさ」が特徴だろう。
演奏をリードするのは、一貫して暗く思いつめ狂気スレスレをなぞって精神の隘路を歩む私小説の主人公のようなヴォーカル表現。
ぬいぐるみに包まれたクロゼットの片隅、底の見えないおもちゃ箱、どこまでも沈み込む暖かなベッド、母の歌う子守唄の調べ、病み上がりの湿った息、そういった幼児期の安息を支えたものたちが心の奥底で発酵して生み出された魔酒をすくい上げては嗜むような表現である。
これは本ユニットの特徴であると同時に好悪を大きく分けるポイントだと思う。
その感性は、ピーター・ガブリエル、Doroccas、Fish、Cyrus、シモーヌ・ロセッティの系譜にあり、一番近いのはアメリカのギリギリセーフなバンド DISCIPLINE のマシュー・パーメンターだろう。
そのヴォーカルとバンドの呼吸、やり取りは、変わった編成ながらも普通のライヴ・バンドと遜色なくこなれていて、ドラマの語り口は非常にダイナミックである。
ブラスト気味のドラミングすらも、演出からの要請であればなんら問題はないし効果的と言える。
グランド・ピアノのオーセンティックでノーブルな響きも効果的に使われている。
貴族趣味というかディレッタンティズムの仰々しさが嫌味にならず、また、薄気味悪いだけのコケオドシになる寸前でとどまって耽美でミステリアスな魅力を放っているのは、このピアノの響きとコラール、そしてストリングス系による薄暗く繊細ながらも気品と存在感のある、あたかも未知の魔力を孕んだ輝きのようなサウンドのおかげである。
アナログ・シンセサイザーのくにゃくにゃした音はいかにも 70 年代風、そしてポスト・ロック調のメロトロンの音は、涙のベールのような薄雲で見上げる空をおおいつくしている。
しかし、この作品の危うくもリアルな魅力は、緻密に織り上げられた音の呪文が心の底から呼び覚ますノスタルジーや慙愧の念よりも、大きな滴のようなピアノの音に寄り添われた一つ一つ虚空に失われながらもヴォーカルが絶えずふり絞って紡ぐ「言葉」にあると思う。
クレジットによれば、NO FUTURE ORCHESTRA はギタリストとベーシスト、ドラマー、バック・ヴォーカリストから成る集団のようだ。
ヴォーカルは英語。ジャケットの写真から想像するに一つ前のアルバムと関係があるようだ。続編かもしれない。傑作。
「Kincking And Collecting」(7:05)
「Land Of Plenty」(7:34)
「The Weight Of The Knowledge」(6:51)
「Dragonfly」(8:20)蜻蛉に何を仮託しているのか分からないが、これだけシリアスになるのもすごい。
「Between Extremes [Prelude]」(2:12)
「Sunrays」(6:35)長調に転調するとヴォーカリストの表情がかえって不気味。
「The Water」(5:46)
(CWNF5)
Niclas Flinck | lead vocals |
Carl Westholm | keyboards |
NO FUTURE ORCHESTRA |
2003 年発表のアルバム「Superhero」。内容は、GENESIS や PINK FLOYD 、初期 MARILLION を髣髴させる神経症的暗鬱耽美系シンフォニック・ロック。
FISH やロジャー・ウォーターズばりの声色を使ってメロディを操るヴォーカリストとダークで時にインダストリアルですらあるキーボード中心のアンサンブルが綾なす漆黒にして透徹きわまるイメージの演奏であり、印象的なメロディを散りばめながら、明るい現実を知らない世代による奥深いペシミズムとセンチメンタリズムと無防備なニヒリズムが、旅路の果て、想像を超えた希望への道筋を見出すような音楽である。
「幻惑のブロードウェイ」や「A Trick Of The Tail」が大好きなこと、そして大好きなものがそこ以降あまり増えていないことがとてもよく分かる。
(余談だが、CITIZEN CAIN は「気持ち悪い」が、このバンドは「薄気味悪い」が正しいと思う)
そして、あまり詳しくないが、東洋的な諦念やデカルト的な死生観とも縁遠い、独特の深い病み方は、デス・ヴォイスがほとばしるゴシック HM 系の作品に負けていないだろう。
プライベートな思いが渦巻くあまり簡単には共感を呼び難いという意味で「重厚」や「厳粛」といった属性には至らず、ひたすらな憂鬱と沈痛にとどまっている。
その泥沼からの絶叫がここの音なのだ。
しかしながら、安易なポジティヴさがないということは、そのまま、真摯で真剣な姿勢につながっているともいえる。
おっかなびっくりで進みながらも、その一歩一歩には確かな足跡ができるだろう。
アメリカ風の「負けたら全チャラ」文化とは相容れない人々は世界にたくさんいる、そういうことを改めて気づかせてくれるのがありがたい。
最初の声色で引かなければ、プログレ・ファンはしっかりとその歩みについてゆけると思う。
最初の GENESIS フォロワーであるポンプ・ロックに非常に近い位置にある音(もはやポンプ第三世代である)だと思うが、大きな違いは、アコースティックなセンスの良さを基本としたキーボード中心のきめの細かいサウンド・メイキングである。
冷ややかな音像もいかにも現代風だ。
そして、ヴォーカリストの多彩な歌唱表現に加えて、キーボードによるストリングス系のバッキングとムーグ風のオブリガートやドラム・ビートと打楽器系の音などの音響処理、曲構成には卓越したものがある。
1 曲目のタイトル曲からキーボードのプレイは冴え渡っているが、何がいいって、映画音楽やクラシックには決してならずにプログレらしい妖美さを演出できていることである。
メンバーが二人であることが示すとおり、まずはそのデュオとしての音楽の完成度が高いということだろう。
また、特に、最初に強調すべきだったが、本家の「Lamb」含めネタ元はいろいろあるにせよ、まず何よりメロディ・ラインがいい(これだけ暗く粘着質なのに PENDRAGON と同質の「親しみやすさ」がある)。
終盤、ほのかな安らぎを追うシンフォニックな高揚感は、病んだ 1 曲目(ホメ言葉である)を耳にしたときには想像もつかなかった。
歌詞は英語。
プロデュースは、カール・ウエストホルム。
「Superhero」(6:34)
「Fathers House」(6:29)
「Calm Sea Of Their Pupils」(5:42)
「There Like Another」(4:04)
「Host VS. Graft」(5:26) PENDORAGON ばりの親しみやすいメロディの佳曲。ムーグもキレキレ。
「Watching The Clock」(4:30)
「Into The Never To Speak Of」(6:41)
「Flesh」(5:30)
「Malfunction」(6:20)変化に富む、SF ファンタジー風の佳曲。
「Lie Down」(4:13)
「Sleep」(5:44)
(CWNF2)
Niclas Flinck | lead vocals |
Carl Westholm | piano, synthesizer, vocoder, theremin |
NO FUTURE ORCHESTRA |
2005 年発表のアルバム「Man Made Machine」。
内容は、ヴォーカリストを中心に、初期の GENESIS を現代風にアレンジしたような、ダークでメロディアスなシンフォニック・ロック。
語り部風の声色による演劇的なヴォーカル表現が主だが、Peter Hammill に通じる自己陶酔調が前面に出ることもある。
「役になり切り」ではなく「自分になり切り」ということだ。
それでも前作ほどはヴォーカリストの声色が気にならないのは、こちらが慣れたのか「似せるための力み」を抑え目にしているせいか。
メロディのよさが他の瑕疵を認識させないのかもしれない。
それくらい、歌メロはなめらかで情感に満ち、心地よい夜風か初夏の薫風のように肌をかすめてゆく、これだけ暗く湿っているのにもかかわらず!
さらに、アコースティック・ギターのアルペジオとともにメロトロン・クワイヤがどっと迸るような、いわば「お約束」の場面は当然あるが、そこを越えて、THE BEATLES を思わせるコーラスの生むポップの王道性や 4AD レーベル風(COCTEAU TWINS 風か)のクールにして耽美な感覚、ブライアン・ウィルソンやバカラックのようなソフト・ロック調、モダンなギターロック調まで、キーボードとヴォーカルを軸にしたアンサンブルによるアレンジの幅はきわめて広い。
キーボードは、ピアノやストリングスといった一人立ちできる分かりやすい音から、アナログ・シンセ風の摩訶不思議な音、巧みな効果音までを駆使して、オブリガートにバッキングにと、ヴォーカルと一つになってドラマを描いている。
特にぐにゃぐにゃしたシンセサイザーのオブリガートは、異世界的なイメージを強めるツールとして機能している。
また、エレクトリック・ピアノがリードする 4 曲目の演奏などは、「Lamb」を越えてガブリエルのソロ作に近いところにいっていると思う。
音は決して無闇に分厚いのではなく、ヴォーカルとそれを引き立てる音響を巧みに対置している印象である。
演奏全体に、70 年代ブリティッシュ・ロックやプログレはもちろんとして、80 年代以降のデカダンスやエスニック・テイスト、ゴシック調や薄暗いアンビエンスもあり、当然ながら、よりコンテンポラリーなイメージである。
似た系統のポーランド勢との違いは、ギターの活躍量が少ないこと、それにも起因すると思うが、HR/HM 的なヘヴィさがあまりないこと。
ブラストしているかのようなドラムス連打もあるが、アレンジのおかげで「効果音」として機能している。
まとめると、スタイリッシュなゴシックのようでいて、どこまでもポップスとしてのなじみやすさを残しているところが、最大の特徴だろう。
聴きものは、4 曲目の「Tilting The Scales」。NO FUTURE ORCHESTRA も活躍する、ジョージ・マーティンのアレンジといってもいい過ぎではない作品だ。
この 4 曲目のエンディングから 5 曲目のオープニングへの展開は感動的。
そしてアルバム・タイトル曲の 6 曲目。インダストリアルでテクノっぽさもある力作。あり得ないはずの(往時は、希少な例である BUGGLES を除けば、この二つの言葉はいわば、火と水であった)「ニューウェーヴなプログレ」を実現してくれている。
歌詞は英語。
新時代の GENESIS クローンとして君臨するイタリアの THE WATCH と違いは、表現としてのプログレへのこだわりよりも、お郷はお郷として受け入れた上で新しいポップスの地平を目指しているところだろう。
そういう点ではより PORCUPINE TREE に近い。
(CWNF3)