LATTE E MIELE

  イタリアのプログレッシヴ・ロック・グループ「LATTE E MIELE」。 70 年結成。 作品は四枚。 80 年解散。 暴走気味の情熱と厳かな古典色が混然となった初期の二作は、70 年代イタリアン・プログレッシヴ・ロックの傑作の一つ。 2009 年新作発表。グループ名は「乳と蜜の流れる地」という聖書の言葉より。

 Passo Secundum Mattheum
 
Marcello Giancarlo Dellacasa classic & electric & acoustic guitar, violin, bass, lead vocals
Alfio Vitanza drums, tambourine, timpani, bongo, bell, flute, vocals
Oliviero Lacagnina piano, Hammond organ, solina, cembaro, mellotron, Moog, celesta, vocals

  72 年発表の第一作「Passo Secundum Mattheum」。 文字通り、キリスト受難劇をモチーフにしたキーボード・シンフォニック・ロック作品。 受難劇はバッハの作品で名高い音楽形式であり、本作でも、そのスタイルを意識しつつ、モダンで自由な解釈を盛り込んでいる。 メロトロン、ストリングス・シンセサイザー、オルガン、ピアノなど多彩なキーボードを中心に、混声コラールやアコースティックな歌ものも交えた作風は、壮大なドラマであるとともにセンチメンタルな味わいももつ。 クラシックからジャズまでを破綻すれすれでカバーする、イタリアン・ロックらしい過剰な表現のおもしろさのある一級品だ。 エンディングの次に長い曲が、クラシック調ではなくジャズ・ピアノ・トリオであるところに真髄を見る。 終盤へ向けて、天井知らずで膨張する大仰さはピカ一。 プロデュースはアーナルド・ランバルド。

  「Introduzione(序曲)」(2:20) 静かなマーチのリズムとともに、混声合唱がフェード・インする厳粛なるオープニング。 一気に曲調は最高潮へと膨れ上がり、合唱、ピアノ、メロトロンの力強い問いかけに応じて、ティンパニが二発打ち鳴らされる。 神々しく雄大なテーマが繰り返される。 メロトロンが静かに湧き上がり、ハイハットが万感を込めて刻まれる。 ドラマを予感させる演奏だ。 満を持してピアノがスリリングなテーマを提示し、ギターとドラムスが熱っぽく応じる。 メロトロンは朗々と響き渡る。 繰返しはやがて熱いトゥッティへ。 ヴォリュームがすっと落ちて、湧き上がる混声合唱とともに、すべての楽器が激しく打ち鳴らされる。
  息を呑む雄大な序曲。 鐘のように鳴り響く壮大なアンサンブルとティンパニの呼応、スリリングなピアノとギターのかけあいが緊張感を高め、一気にリスナーをドラマへと惹き込む。 テーマでは、交響楽のスケールにロックなカッコよさを盛り込めているところがみごと。

  「Il Giorno Degli Azzimi(過ぎ越しの日)」(1:27) ストリングス・シンセサイザーがうっすらと流れ、クラシック・ギターの素朴な演奏にチェンバロが重なる。 一転して田園風の雅なアンサンブルである。 モノローグを経て静かに始まる歌唱は、何かを称えるように清らかでノーブルである。 チェンバロとギターが寄り添う。 ヴォーカルに応じるのは、多声のコーラス。 神々の集いのようなイメージだうか。 再びチェンバロに導かれたモノローグから、雅なヴォーカルへ。 ブレイク。
  イタリアン・ロックらしいリリカルなフォーク調の歌もの。 典雅なチェンバロとヴォーカル、そしてメロトロンが、天上界の如き非現実感を強める。 チェンバロはクラヴィネットだろう。

  「Ultima Cena(最後の晩餐)」(1:49) 一瞬のブレイクでチェンバロとクラシック・ギター、ストリングスのアンサンブルは転調し、哀愁あふれるマイナーへ。ここはまだ前曲からブリッジである。 モノローグの表情も沈み込み、ギターとチェンバロが静かに哀しげにささやく。
   一転、ピアノによるスピーディなオスティナート。 そして、女性コーラスと男声コーラスによるハイテンションのコール・レスポンスが始まる。 オブリガートを放っていたハモンド・オルガンが、そのまま、シャフル・ビートの軽快な間奏へと突入。 ギターも加わって一気にブルージーなグルーヴも。 再び、ピアノのオスティナートにオルガン、ギターが重なるも、やや唐突にフェード・アウト。
  クラシカルなカデンツァ風小品。 冒頭部分が前曲の終わりと重複するようだ。 哀しげな短調の響きがなんともいい。 そして、一転してせわしないドラムスとともに、目まぐるしく動き回るバロック・アンサンブルがスタート。 仰々しいコラール。 巻き舌気味のクラシカルなハモンド・オルガンがいかにも「らしい」音だ。 ジミヘン風のギターは場違い感が強いが、この大胆さも魅力というべきだろう。

  「Getzemani(ゲッセマネ)」(4:16)アコースティック・ギターとピアノによるロマンティックな哀愁のデュオ。 再びモノローグとつややかなヴォーカルが呼応しあう。 3 曲目の小さな再現である。 華麗なピアノの余韻。
  ハイハットが快調に刻まれ、心地よい緊張感とともにリズムが形作られる。 チェレステとアコースティック・ギターの透明感ある音のデュオに、メロトロンがうっすらと重なる。 リズミカルにして優雅。 メロトロンとストリングス・シンセサイザーのユニゾンによる、夢見るようなテーマ。 チェレステが止むことなく刻まれてリズムを支える。 テーマは、伸びやかなヴォーカルが溌剌と引き継ぎ、チェレステと典雅なストリングス・メロトロンの伴奏が春風のように巻き上がる。 ドラムスも多才なプレイを見せている。 間奏では、ムーグがテーマを繰り返す。 上昇音形からオルガン、ドラムスが見得を切り、チェンバロのオスティナートとドラムスのフリーなプレイの応酬へ。 再び、上昇音形からオルガン、ドラムスが見得を切る。 今度はメロトロンがエネルギッシュに和音を刻み、ヘヴィなギターの登場だ。 二つのギターが左右のチャネルからせめぎあい、ドラムスが見得を切る。 ドラムスのタム回しは、再びムーグとメロトロンのユニゾン・テーマを呼び出す。 高らかに鳴り響くストリングスのテーマと砲撃のようなドラムス。 しかし、あまりに唐突に曲が千切れる。
  オープニングは、3 曲目のリプライズ、そしてその後は、多彩なキーボードがリードする勇ましくもエレガントなシンフォニック・チューン。 広々としたゆったり感と切れ味いいリズムのコンビネーションの対比、そしてリズミカルなチェレステとテーマを奏でるムーグ、メロトロンの音の対比が効果的だ。 見得を切るようなドラムスのリードで繰り返し演奏を盛り上げると、最後には心地よい疾走感とロックなグルーヴも生まれてくる。 しかしいいところで突然途切れるのだ。 果たして編集のミスなのか意図的なのか。

  「Il Processo(訴訟)」(1:30)囁くようなモノローグから始まるのは、荘厳にしてエネルギッシュな賛美歌風の混声合唱である。 演奏も熱い。 激しいドラムスとアコースティック・ギターのストロークが伴奏だ。 合唱を受けて、管楽器を思わせるムーグ・シンセサイザーが朗々と高鳴り、ピアノが寄り添う。 力強くもロマンティックな演奏だ。 ギターも力強いストロークを刻む。 ムーグ、ピアノが豊かな音量でシンフォニックな高まりを見せる。 余韻も美しい。
  1 分あまりを一気に盛り上って勝負するシンフォニック・ロック小品。 ロマンあふれるムーグ・シンセサイザーのテーマとそれを支えるエネルギッシュなバッキングがすばらしい。 ドラムスも大活躍。

  「I Testimoni(1 parte)(証人達 パート 1)」(6:07)アコースティック・ギターによる不安げなアルペジオ。 モノローグに続いて、ハイトーンのツイン・ヴォーカルによる歌唱が始まる。 ストリングス・メロトロンがうっすらとたなびき、やや性急なギターのアルペジオとムーグ・シンセサイザーのうねりが重なる。 緊張した演奏だ。 クロス・フェードで、ジャズ・ピアノが始まり、シンバルを激しく打ち鳴らすドラムス、コードを刻むギターも加わってくる。 完全にジャズ・トリオである。 ただし、メロトロンは鳴り続けている、ジャズ・コンボが白昼夢であることを知るように。 ハイ・テンションのピアノ・ソロが続く。 ブルージーなギターも加わって、ソロを取る。 ジミヘンがジャズ・コンボへ加わったような、奇妙な音の取り合わせだ。 ドラムスのプレイは、ジャズというよりもハードロック風である。 ピアノが戻ってきて、ギターに反応し始めるが、とにかくドラムスがうるさい。 ギター、ピアノ、ドラムスが前に出たり引っ込んだりを繰り返しつつ、主張しあっている。 そして、もはや得意技の唐突なデクレシェンド。 ただし、コンガだけが残ってトライバルなビートを誇示する。 これまた得意の奇妙なフェードインで、ピアノ・コンボが復活し、熱い演奏が続いてゆく。 ギターはいつもけたたましい。
  A 面最後から B 面冒頭までの中盤のプログレッシヴなクライマックス。 思わせぶりなオープニングを経て、すぐにジャズ・コンボへと変貌し、最後までジャジーな演奏が続く。 うるさいくらいに叩きまくるドラムスと、アシッドなギターにジャズ・ピアノという壮絶なコンボである。 虚をつくおもしろさはあるが、演奏そのものはジャズというにはグルーヴがない。 結果としてジャジーなガレージ・サイケというイメージである。 ドラムスが大いに目立ちます。

  「I Testimoni(2 parte)(証人達 パート 2)」(2:18) 前曲のリプライズで、ギター・ソロがコンガのリズムとともに繰り広げられ、すぐにピアノも復帰してジャズ・アンサンブルに戻る。 いらつくようなピアノのソロから次第にドラムスが前面に出てくるが、ピアノが戻ってフェード・アウトしてゆく。
   かつて LP の A 面から B 面にまたがっていた作品と思われるが、CD でも LP の時と同じくフェード・アウト、フェード・イン 後半も、やたらとうるさいドラムスとヘヴィなギターとピアノの演奏が続き、またもフェード・アウト。 斬新過ぎる編集である。

  「Il Pianto(悲嘆)」(1:49)メロトロンの柔らかな響きにフルートとアコースティック・ギターが重なり美しいアンサンブルをなす。 爪弾くように優美なピアノ伴奏で歌うヴォーカル、その震えるような高音のメロディが美しい。 慈しみと優しさを象徴するようなアンサンブルだ。 ピアノの演奏は、ややジャジーな表情も見せながら優美に続く。
  アヴァンギャルドな展開があるだけに、こういった美しい歌心を見せる演奏がひときわ映える。 透き通るピアノの音と深みのあるギターの味わい。 クラシカルにしてロマンティック。

  「Giuda(ユダ)」(0:44)突如沸騰するドラムス、荒々しいギターのリフが飛び込む。 唐突なる乱調 4 ビート・ジャズを機関銃のようなギター・リフとドラムスの乱打が打ち消すが、ジャズも負けずに甦る。 しかし、あまりに凶暴なギターとドラムスがすべてを蹴散らしてしまう。
  パンキッシュな破壊衝動に満ちたヘヴィなブリッジ小品。 スラッシュ・メタルとジャズ・コンボを交錯させ、前曲で培われた叙情的なムードをぶち壊し、狂気を爆発させている。 ここまで寝るリスナーはいないと思うが、一種の目覚ましか? OSANNA に通じる乱調の美学である。

  「Il Re Dei Giudei(ユダヤの王)」(1:40) ノイジーだがクラシカルなオルガン・ソロが激しい演奏を呼び覚ます。 ヘヴィなギターとシャウト、そしてストリングス・メロトロンが高鳴る。 ドラマチックにテーマを歌い上げるのは、メタリックな音色のシンセサイザーだ。 ここでも、ギターがひずんだ音でハードなアドリヴを繰り広げる。 NEW TROLLS 風である。
  強引に盛り上がる「瞬間ハード・シンフォニック・ロック」。 ヘヴィなオルガンとギター、金属的なサウンドのシンセサイザーによるクラシカルなプレイは、70 年代プログレの真骨頂だ。 荒っぽいが分厚く叙情的なアンサンブルがうねりながらも突き進むさまに溜飲が下がる。 短くもピリっといい感じのシンフォニック・ロックである。

  「Il Calvario(カルヴァリオの王)」(7:07) 混声コラールが次第に声部を増しながら大きく響き渡る。 クレシェンド。 悠然たる歩みのようなティンパニのビート。 ブレイクを経て始まるのは、チャーチ・オルガンによるバロック調カデンツァ。「運命の三人の女神」を思い出して正しい。 低音と高音の和音を呼応させながら、厳かにして軽やかに舞うようなソロが続いてゆく。 舞曲風の柔らかな旋律を繰り返し歌ううちに、次第に複数の旋律が絡みあってカノンを成し、厳かな中にも情感があふれ出す。 再び、圧倒的な音量で荘厳な和音が連なってゆく。
  ブレイク。 混声合唱によるヴォカリーズが湧き上がり、ティンパニとドラムスが、あたかも巨人の歩調のように、重々しく刻まれる。 悲劇的な重厚さのあるテーマが示される。 ティンパニの乱打をきっかけにギターが現れ、クラシカルな哀感にブルーズ・フィーリングも刻み込むように切々と歌いだす。 ティンパニが一瞬激しくロール、ギターが泣き叫ぶように応じ、厳かな混声合唱が男声を中心に巻き起こる。 ブルージーなギターとコラールのせめぎ合いは、やがてコラールがギターを圧倒してゆく。 シンバルが一閃、アコースティック・ギターの爪弾きが始まる。 鮮やかな音で哀愁のメロディを歌うギター。 空ろな響きのモノローグ、そしてストリングス・メロトロンがうっすらと流れる。 アコースティック・ギターが切ない。
  チャーチ・オルガンの乱れ弾きと混声合唱による圧巻の本格クラシック・ロック。 重厚にして荘厳な響きが終始胸を打つ。 そして、合唱に立ち向かうギターが悩ましくも勇ましい。 最後のアコースティック・ギターとモノローグは、重厚なミサ曲の中に織り込まれた一人の人間の真情がたまらずこぼれ落ちたようだ。 ここの落差も感動的。 パワーも気品も申し分ないクラシカル・ロックです。

  「Il Dono Della Vita(復活)」(3:45)アコースティック・ギターによる哀愁のアルペジオが刻まれる。 平均率クラヴィア曲を思わせる愛らしいチェンバロが静かに加わって、ギターとともに典雅なデュオをなす。 ヴォーカルの歌唱には、寄る辺なさと繊細さが入り交じっている。 間奏ではフルートも加わって、ヴォーカルをなぞる。 2 コーラス終ると、ふともぎ取られるように歌は失われ、アルバムのオープニングを同じ厳かな混声合唱がフェード・イン、壮大な冒頭のテーマが再現される。 息も切らさずクライマックスに達し、合唱がギター、ピアノを呼び覚まし、ティンパニと勇ましく呼応しあう。 ピアノのワン・ノートに導かれるように、再び合唱が轟き、壮大なエンディングを迎える。
  ここまでの破綻気味の展開を忘れさせるに十分な、重厚さと哀愁のロマンティシズムが交錯する大団円。 オープニングへの回帰という展開は予想できたが、そこまで読めても感動させるだけの力と熱気がある。 クラシカルな哀感に満ちた歌ものパートを適宜挿入したのが大正解である。 この極端な落差に、どうしても不意を突かれるのである。 こういったエンディングは、終りよければすべてよしの典型のようなもので、イチャモンつけてもしょうがないのです。

  「Mese Di Maggio(五月)」()ボーナス・トラック。 ストリングスが彩るロマンティックなアコースティック・ギター弾き語り。 キーボードこそ多彩だが、シンフォニック・ロックというよりは、NEW TROLLS とも共通する、クラシカルな味わいで繊細にアレンジされたポップスである。 作曲は、I DIK DIK のメンバー、ジャンカルロ・ビリツィオロとエルミリオ・サルヴァデリ。 シングルらしい作品だ。


  荘厳なコラールによる序章からロマンティックな歌もの、ハードロックそしてジャズ・トリオまで様々な演奏を駆使して、壮大な宗教劇を演じる快作。 特に、アルバムのエンディングヘ向けた盛り上りがすごい。 演奏の中心となるのは、楽曲の色調を大筋で決め派手なプレイでもアピールするキーボード。 そこへベース、ギターからヴァイオリンまでを盛り込むことで、表現が豊かになっている。 キーボード主体のシンフォニックな演奏の醍醐味は当然ながら、リリカルな歌ものとハードロック風のパワフルな作品も非常にいい感じだ。 素朴な味わいのメロディに独特の情熱を注ぎ込んだイタリアン・ロックならではの魅力が、はっきり現れている。 バタバタ凄まじいドラムスとジミヘンばりのファズ・ギターなどやや古めかしいところもあるが、緊迫感ある「Il Re Dei Giudei」のような作品のもつ魅力はおそらく永遠のものだろう。 そして、短い楽章が数多く積み重なる構成にもかかわらず、一つ一つの小曲がしっかりと個性を放って輝いている。これもすごいことだ。 特に曲間を意識せずに、一気に聴くのがいいのだろう。 ジャズになり切れない中途半端な演奏やあまりに唐突な編集など、強引極まるところもあるが、重厚なテーマに真っ正面から取り組んで何とかしてやろうという熱っぽい気概が、そういった問題をブッ飛ばしている。 ひたすら熱く濃い思い込みが詰まった名盤であり、70 年代イタリアン・ロックの仰々しさを味わうにはもってこいである。 NEW TROLLS の「Concerto Grosso」が好きな方には、お薦めです。 それにしても、法王庁にて御前演奏も行ったというのは、マジなのでしょうか。 法王は腰を抜かさなかったのでしょうか。 ちなみに、2001 年ユニバーサルからの紙ジャケ・リマスター盤は、音そのものは 94 年の POLYDOR 盤と同じです。 EDISON 盤の方のみ、ボーナス目指して買い換えましょう。

(UICY-9119

 Papillon
 
Marcello Giancarlo Dellacasa classic & electric & acoustic guitar, violin, bass, vocals
Alfio Vitanza drums, tambourine, timpani, bongo, bell, flute, vocals
Oliviero Lacagnina piano, Hammond organ, cembaro, mellotron, Moog, celesta, vocals

  73 年発表の第二作「Papillon」。 内容は、キーボードをフィーチュアしたアグレッシヴなシンフォニック・ロック。 二つの組曲とそれぞれのエピローグ風の位置づけらしい二つの小品から構成される。 旧 A 面の大作は、映画でも名高い脱獄劇「パピヨン」をモチーフとしている。 キーボードのプレイから展開など、英国大御所バンドへの素直な憧憬を隠さないが、歌ものになった途端にストリングスの手ざわりが一気になめらかになって上質のイタリアン・ポップスと化すところがいい。 旧 B 面のの組曲は、ベートーベンなどクラシカルなテーマを翻案したもの。 クラシック、ジャズを大幅に取り入れたキーボード・ロックは、オーケストラの参加を得て、さらにシンフォニックにスケール・アップ。 前作では無鉄砲気味だったアヴァンギャルド・タッチも、本作では演出としてしっかり練られている。 バロックなキーボード・ロックとしては、前作を凌ぐ芸術性と面白さをもち聴きやすさもある。 ジャズ・コンボもぐっとうまくなった。 クラシック翻案を軸としたシンフォニック・ロックとしては出色の出来だろう。 傑作。

  組曲「Papillon」(19:46) 序曲と 7 つの楽章から成る超大作。 演奏、構成ともに EL&P への意識は強い。 アグレッシヴなインスト・パートを、「展覧会の絵」のプロムナードのように弾き語りのヴォーカル・パートがつなぐ、クラシカル・ロックである。

    「a) Overture」(1:07)「Tarkus」を思わせるエネルギッシュなハモンド・オルガンのオスティナートが強烈に轟く序曲。 ハモンド・オルガンの挑戦的なソロ、ムーグやメロトロンとのクラシカルなアンサンブル、さらにコーラスも交えたスリリングな演奏だ。 ヴァイブの音もいいアクセントだ。 ハモンド・オルガンとメロトロンがいっしょに聴こえる演奏は、実はなかなか珍しい。 インストゥルメンタル。

    「b) La Fuga」(2:21) ユーモラスなホルンとフルートによるイントロから、アコースティック・ギター弾き語りによるメイン・テーマへ。 ヴォーカルはさほどうまくはないが、素朴にして若々しく、ノーブルである。 この素朴なテーマが、この後も繰り返し現れる。 前曲のテーマとスリリングな序曲との落差がおもしろい。
  続いてチャーチ・オルガンの壮麗なリフレインがはちきれんばかりに高まる。 何が起こるかと身構えると、急転直下、ジャズ・ピアノ・トリオへと変貌。 過激なインストゥルメンタルのスタートだ。 ピアノのスタイルには、キース・エマーソンを思わせるところもあり。 スリリングなジャズに切り込むハモンド・オルガンのバロック調オブリガート(これもエマーソン風)、メロトロンを背負ったステファン・グラッペリ調のエレガントなヴァイオリン・ソロなど、鮮烈なプレイが現れる。 ジャジーな演奏の後半、伴奏にムーグ・シンセサイザーも現れる。 さらには、チャーチ・オルガンも登場。 ストリングスのような響きで、ジャズ・コンボと鮮やかに対比する。 目まぐるしい展開。 最後は、再び弾き語りによるテーマ。 ベースは、ペダルだろうか、やや変わった音である。

    「c) Il Mercato」(3:21)再び、メイン・テーマのリリカルな弾き語りを経て、突如、EL&P 調のキーボード・アンサンブルによる、けたたましくワイルド、なおかつクラシカルなインストゥルメンタルがスタート。 前半は、ハモンド・オルガン、ピアノが、バッハのフランス組曲を思わせるテーマのユニゾンやハーモニーで走り、ムーグのオブリガートやメロトロンの伴奏がすっと湧き上がる。 主従が巧みに変化する、みごとなオーケストレーションだ。 たたみかけ攻め立てるような調子と決めのフレーズは、やはり「Tarkus」に似る。 ドラムスも、キーボードのフレーズにぴったり寄り添って叩きまくる。 4 拍 3 連も決まっている。 後半はハモンド・オルガンの速弾きを合図に、メロトロンの伴奏と金管風のムーグのファンファーレが重なり、ティンパニが轟く勇壮な演奏。 コラールも入る。 後半、オルガンのオスティナートをムーグ・シンセサイザーのファンファーレがぬりかえてコラールが高まるところは、EL&P の「Endless Enigma」に酷似。 スリリングなキーボード・ロックである。

    「d) L'Incontro」(3:56) またも、ギター弾き語りによるメイン・テーマ。 アルペジオがやや込み入っている。 メイン・ヴォーカルに応じるファルセット・ヴォイスもあり。 続いて、同じ楽章のまま、間奏曲「Rimani Nella Mia Vita」へ。 管弦楽をしたがえたロマンティックなヴォーカル・ナンバーである。 ピアノ、ホルン、ムーグらに支えられた哀愁のバラードから始まり、メロトロン、管弦楽と次第にスケール・アップしてゆく。 サンレモ音楽祭向きのシンフォニック歌謡である。 序盤は、繊細なヴォーカルをピアノがやさしげに支え、染み入るように美しい。 後半は、ハイトーンのコーラスも加わって、イタリアン・ポップスらしく華やぐ。 暖かみのあるホルンの調べと管弦楽の響きが胸を打つ。 本曲のような作品こそが、英国ものの類似品ではない、イタリアン・ロック独自のものだ。

    「e) L'Arresto」(2:50) アコースティック・ギター弾き語りによるメイン・テーマ再現。 繰り返し部では、ハーモニー・ヴォーカルも加わる。
   蒸気機関車の吹き上げる白煙のようなメロトロン・ストリングス、メロトロン・クワイア、フルート、ピアノによる古色蒼然たるオーケストラ。 スリリングにして郷愁とロマンあふれる演奏である。 調和を嫌ったか、ヴァイオリン、ギター、クラヴィネット、ドラムスが激しく交錯するジャズロック調の演奏が飛び込むも、メロトロン・ストリングスとムーグによる幻想的なアンサンブルが湧き上がり、あたかも夢と現実の往復のように、二つの演奏が交互に立ち現れる。 激情と諦念を往復する心理といってもいいだろう。 再びオープニングのオーケストラに戻るが、今度はホルンがリードを取り、フルートがさえずるようにオブリガートする。 短いモチーフで緩急の変化を繰り返し、哀感あふれるテーマへと流れ込む劇的な作品だ。 管弦楽風メロトロンを駆使した曲調は、全体にメランコリックであり、同時に緊張感に富む。 揺れる心情を表すような、アヴァンギャルドな作風である。

    「f) Il Verdetto」(1:30) メロトロン伴奏による、うつむき気味のメイン・テーマ歌唱。 ピアノとチェレスタによるオルゴールを思わせる密やかなデュオが始まり、やがて驟雨の音とともに、物悲しくホルンが歌い、メロトロン・ストリングスが厳かに湧き上がる。 哀しくも美しく、希望も見える演奏だ。 哀しみの向こうに言葉にできない思いを感じるバラード。
    「g) La Trasformazione」(3:44) 哀感あふれるソロ・ピアノとともにテーマ歌唱が再現される。 一転して、叩きつけるような激しいバンド演奏から、管弦楽による勇壮なマーチへと進む。 クラヴィネットやギター、ムーグが唸りを上げるヘヴィな演奏と、風に千切れる遠吠えのようなムーグ・シンセサイザーのポルタメントを用いたプレイが、ブレイクをはさんで、過激に入れかわる。 静と動の極端な対比は、重々しいティンパニと管楽器の雷鳴、メロトロンの低音を呼び覚ます。 ホルストの名作を思わせる壮大なイメージ。 銅鑼の一撃をきっかけに、中盤からは管弦楽が加わり、オルガンがリードするマーチへと進む。 重厚かつオプティミズム、肯定感の力強さがある。 しつこいが、エマーソンの名作「Abbadon's Bolero」を思い出さざるをえない。 ソプラノ・コーラスによるひらひらと舞うようなテーマ歌唱。 メロトロン、管弦楽による快活で生命感あふれる演奏。 やや散漫だが、クラシック名作をコラージュする勢いと急激な変化のおもしろさがある。

    「h) Corri Nel Mondo」(0:46) 管弦楽伴奏による長調へ転調したテーマ歌唱。 コーラスが元気よくオブリガートする。 ヴォーカルは何かを思い出したかのように表情を失ってふと消え去り、エピローグはハモンド・オルガン、チェンバロらによるテーマのクラシカルな変奏が快活に演奏される。

  管弦楽をフルに用いたシンフォニック・ロックの快作。 フォーキーなテーマを狂言回しに、クラシカルな演奏を散りばめた華麗な内容である。 前作に比べると、曲の流れは遥かに自然であり、聴きやすい。 オープニングの「Tarkus」を思わせるハードなハモンド・オルガンのプレイで思わず息を呑む方も多いはず。 嵐のようなキーボードの演奏からクラシカルな管絃、メロウなヴォーカルへと、動と静を組み合わせて目まぐるしく動き回るスタイルは、すべてが過剰であるプログレッシヴ・ロックの完全な典型である。 管楽器のリリカルなプレイや迸るメロトロンはもちろんのこと、管弦楽からハーモニー・ヴォーカルまで、あらゆる道具立てが駆使される。

  「Divertimento」(1:59) ジャズ・ピアノ・トリオをメロトロン、オルガンが彩るセッション風の作品。 序盤はバロック音楽ど真ん中のポリフォニックなオルガン独奏。 唐突なジャズ・コンボとクラシック・アンサンブルが交互に現れるも、最後には合流し、ジャズのリズムでメロトロンとオルガンが演奏される。 大胆なアレンジだ。 ジャズ・トリオの演奏が、前作より格段にうまくなっている。 ブラシを用いたドラムス、ベースともに進境著しい。 もっとも作品としてはあまりまとまりがなく、A 面の埋め草ととれないこともない。

  組曲「Patetica」(16:40)クラシック
    第一章「Parte Prima」(4:29) 冒頭いきなり悲壮感あふれる和音が叩きつけられる。 ピアノ・ソロ、ベートーベンのソナタ「悲愴」である。 ころがる宝石のようなパッセージに導かれた暴力的ドラムス・ロールをきっかけに、ハモンド・オルガンがベートーベンのテーマをパーカッシヴに奏でて走りだす。 一転、ジャジーにスウィングするリズムとともに、メロトロンがほとばしり、奔放なピアノ演奏が始まる。 ジャズなのだろう、しかし、グレン・グールドを思わせるところもある。 伴奏にはメロトロン・ストリングスが湧き上がり、オルガンは軽やかなリズムで悲愴のテーマを携えて走ってゆく。 スピーディな跳躍アルペジオに続いて、バッハ風のテーマをリズミカルにテンポよく決め、ベートーベンも回顧する。 オルガンにしっかり追従するベースもみごと。 次章への橋渡しのようなドラムス、しかし、なぜかフェード・アウトしてしまう。
   シリアスな本格クラシック・ピアノ・ソロによる序章から、ハモンド・オルガンのソロを経て、またもモダン・ジャズ・アンサンブルへと移ってゆく。 ハモンド・オルガンは、ジャズでもクラシックでも何でもござれで、リズミカルに走ってゆく。 途中、他にも有名なクラシックのテーマも現れる。

    第二章「Parte Seconda」(6:18) ヴァイオリン・ソロをフィーチュアした華やかな弦楽奏からスタート、冒頭はベートーベンだろうか、ワンコーラスでヴァヴァルディの「四季」、「春」のテーマへと変化する。 伴奏の弦楽は、メロトロン・ストリングスかもしれない。 QUELLA VECCHIA LOCANDA を思わせるソロ・ヴァイオリンは、メロトロンと呼応しながら、さまざまなテーマへと奔放に飛躍し、舞い踊るが、音程だけは若干怪しい。 それでも、優美でレガートな演奏が続き、カデンツァ風の幕切れとともに、第一部と同じく、ジャジーなドラムスが飛び込む。 クラヴィネットが刻む和音のリードで、エレクトリック・ピアノ、オルガン、メロトロン・ストリングスらによるせめぎあうような、ややブルージーな 8 分の 6 拍子のアンサンブルへと発展する。 ブレイク、クラヴィネットがエンジンをかけ直して、再びオルガン、ムーグ、ベースらが呼応する 8 分の 6 拍子のアンサンブル、ソロ回しが続く。 たたみかけるアンサンブルを伴奏に、ムーグ・シンセサイザーが気まぐれなアドリヴを放ち始める。 そして、電気処理されたドラムス・ソロへ。 クラヴィネットのコード・ストロークをきっかけに、ムーグ、オルガンらによる感電しそうなアンサンブルが帰ってくる。 またも一瞬で、スインギーなジャズ・ピアノ・コンボへと変化する。 伴奏にはメロトロン・ストリングスがゆったりと満ち、奔放なピアノが舞う。 この展開は、第一部と同じだ。 8 分の 6 拍子のハードなアンサンブルとソロ・ピアノ・ソロが交互に繰り返されるも、轟音とともに決着がつく。
   弦楽奏による典雅なバロック・アンサンブルから、モダン・ジャズを経て、ロックのアンサンブルへ、ソロをはさんで再び、ジャズ、ロックへと変転しつつ、最後は混沌とする。 輪廻のような不可逆のような、幾重にも渦を巻く奇妙な作品である。 中心がドラムス・ソロというのも大胆です。 大きく変転するので最初を思い出すのが難しい。 そういう意味ではやはり輪廻ではなく行ったきりの不可逆型でしょう。 ピアノはジャズでも一級品。

    第三章「Parte Terza」(5:52) 初夏の爽やかな空気が満ちる田園風景を思わせるオープニング。 アコースティック・ギターのアルペジオとハーモニクスは、メロトロン・ストリングスとホルンの響きに支えられて、次第にソフトなコード・ストロークになってゆく。 角笛のように遠くこだまする音は、ムーグ・シンセサイザーでしょうか。 ヴォーカル、コーラスはあくまでソフト。 メロトロンが夢の中のように幻想的に輪郭をにじませ、ホルンのようなまろみを帯びたシンセサイザーの音が、第一部の勢いあるテーマを優しく奏でる。 メロディアスなクラシックにポップス感覚を持ち込むセンスは、MAXOPHONE と共通している。 透き通るようなメロトロン・ストリングスの響きとともに、ヴォーカル・ハーモニーは続いてゆく。 間奏は、メロトロン、アコースティック・ギターの伴奏による、のどかなホルンの調べ。 フルートは穏やかに舞い、ホルンによるテーマはアンサンブル全体が引き受けて、悠然と広がり始める。 ピアノがきらめくように音を散りばめる。 カラフルで柔和なアンサンブルだ。 メロトロンとブラスが勇ましい旋律を響かせ、さまざまな音が散りばめられながらもテーマを再現しつつ、演奏は去ってゆく。
  アコースティックな弾き語りに管楽器とキーボードが和やかな広がりと柔らかな手ざわりを与える佳作。 リズムレスで始まり、後半のインストゥルメンタルでリズムが加わって、管弦楽とともにテーマを朗々と歌い上げてゆく。 ソフトな音色に、おちつきと優しさが満ち溢れる。 変転を重ねた第一部、第二部を受けた、暖かくも包容力ある最終章です。 イタリアン・ロックらしく、決めどころでは、こういったのどかなフォーク・ソングが絶妙の味を出す。
   クラシックのモチーフを使った奔放なアレンジと奇抜なサウンド変転による奇想曲。 モダン・ジャズ調の音やエレクトリックなアドリヴをふんだんに交えている。 アレンジは、アンサンブルによるクラシックのテーマに、即興(ジャズ風のものと R&B 風のもの)とエレクトリックなサウンド・エフェクトをどんどん放り込むものであり、単純といえば単純である。 ただし、この自由闊達でためらいのない感じこそが、プログレの基本姿勢といえないだろうか。 そして、ドラマを回顧しつつ、みごとなまでにパストラルでアコースティックなタッチでまとめている。 このまとめが心地よい余韻となり、至福のリスニング体験の仕上げをしている。

  「Strutture」(3:52) ギター、ピアノ、ベース、ドラムスのジャズ・カルテットによる奔放な演奏。 「個性的な」エレクトリック・ジャズ・ギターのフリーなアドリヴをフィーチュアする。 ギターがそういう感じなので、ピアノのロマンティックな演奏が際立つ。 リズムもけたたましい。
  誰も一歩も引かないジャズ・コンボ。 テクニカルなジャズ・ギターのプレイが際立つ。 ここまで待ったようやくの出番だったのだろう、やりたい放題のギター・プレイである。 野生を解き放ったギターに対し、理性はピアノにある、というかビル・エヴァンスに似ているだけか。 ジャズでこのクラシカルなアルバムを締めくくるとは意表を突かれた。 きわめてユニークなエピローグだと思う。

  「Tanto Amore」(3:52) ボーナス・トラック。 イタリアン・ポップスらしいクラシカルでロマンティックな歌もの。 パッヘルベルの「カノン」をおもわせるところもある。

  キーボード中心のアンサンブルによるクラシック翻案型プログレッシヴ・ロック。 タイトル曲は、七部構成の組曲であり、ハモンド・オルガンやギターによるアグレッシヴなインスト・パートを、メローなヴォーカル・パートでつないだ構成がユニークだ。 「Tarkus」風のほほえましいイントロに続き、インストゥルメンタル・パートでは、卓越したドラミングと多彩なキーボードを軸に変化に富む演奏を見せる。 オルガンとユニゾンする手数の多いドラムスは、こういう演奏には欠かせない。 管弦楽からコラールまで取り入れた超大作である。 二つ目の大作「Patetica」は、ストレートなクラシック翻案であり、ロマン派もバロックもごたまぜの大胆なアレンジに、小洒落たジャズまでも盛り込んでいる。(ジャズの演奏の腕前は前作よりも格段に向上) 演奏の勢いのまま楽曲が揺れ動いている感じであり、計算よりも即興のおもしろさを強調した作品といえるだろう。 個人的には、インストゥルメンタルの合間にテーマ弾き語りが挿入されるドラマ仕立てのタイトル曲よりも、即興の変化をクラシックの枠組で整合させたようなこちらの組曲が気に入っている。
   ぐいぐいと押し捲るハードネスとクラシカルなデリカシーを一体化し、決め手は、構成力や精度よりもあくまで元気と明朗さと開き直る、イタリア 70 年代ならではの好作品。

(POLYDOR ERC-32003 DCI23136)

 Aquile E Scoiattoli
 
Alfio Vitanza drums, 12 string guitar, vocals
Massimo Gori bass, slide acoustic guitar, vocals
Luciano Poltini hammond organ, moog, clavinet, piano, vocals
Mimmo Damiani electric piano, solina eminent, guitar, vocals
guest:
Vittorio De Scalzi flute (NEW TROLLS
Aldo De Scalzi sax (Picchio Dal Pozzo
Leonard Lagorio sax
Giorgio Karaghiosoff flute (Picchio Dal Pozzo

  76 年発表の第三作「Aquile E Scoiattoli(鷲と栗鼠)」。 ドラムス以外のメンバーを一新し、キーボーディストが一名増えた新生グループによる作品。 グループ名も、「Latte Miele」と真ん中の E がなくなっている。 内容は、キーボードを演奏の中心に据えながらも、作曲者の交代によるのか、前作までのような一大コンセプト指向ではなく、よりストレートな 70 年代後半らしいポップス色を打ち出したものである。 A 面ではヴォーカルもフィーチュアして、欧米メイン・ストリームに倣いつつもクラシカルで爽やかなロマンの香気漂う、イタリアらしいポップ・ロックになっている。 一方、シンフォニックなプログレ路線は、B 面をいっぱいに使った 20 分余りの大作に集約された。 ただし、この作品でも軽めなノリのよさを取り入れており、EL&P があまりうまく成し遂げられなかった路線変更をセンスよくこなしている印象がある。
   もう一つ特徴的なのは、シンセサイザーがより頻繁に、効果的に使用されるようになったこと。 ヴォーカルに寄り添って軽やかに歌うところから、雄大なスケール感と打ち響くような重厚さのあるインストゥルメンタルでのリード・プレイ、さらには効果音として、全編に織り込まれている。 A 面の作品でも、聴きやすいポップス調にフルートなどに加えてキーボードの音がぜいたくに配されている。
  コンセプト性は希薄ながら、音楽としては練れていて、実験色が強く思い込み先行で破綻寸前な面もあった前二作よりは、リスナーを選ばない内容といえるだろう。 3 曲目のジャジーな音は前二作にはなかった新鮮な作風だ。 5 曲目のインスト大作は、中盤 10 分辺りからのムーグ、ソリーナによる緩徐楽章が美しい。 終盤は、ボレロからミステリアスなフリー・フォームの演奏へ突入。 プロデュースは NEW TROLLS のヴィットリオ・デ・スカルツィ。 ゲストのフルートが大きくフィーチュアされている。

  「Aquile E Scoiattoli」(3:39)ウエスト・コースト風味もあるアコースティックなフォーク・ロック。 軽やかなヴォーカル・ハーモニーに、スライド・ギターとアコーディオンのように愛らしいシンセサイザーのオブリガートが付き随う。 ランニング・ベースもいい感じだ。 小粋なイタリアン・ポップである。

  「Le Vacche Sacre(Il Falso Menestrello)」(5:12) イタリアン・ロックらしい小粋さとセンチメンタルなメロディが特徴的な作品。 GENESIS の作品のように音色を工夫したオルガンやシンセサイザー、多重フルートが饒舌なヴォーカルを守り立てる。 間奏部のスペイシーなスライド・ギターが印象的。 ヒネリのある展開がプログレらしさを演出。

  「Menestrello」(5:10)タイトルは「吟遊詩人」の意。 ヴァイオリン、アコースティック・ギター伴奏の哀しくも美しいバラード。 中盤、泣きのギターとともに大いに盛り上がるが、ここでもギターに応じるシンセサイザーが効果的。 終盤のエレクトリック・ピアノによるジャジーなソロが鮮やかなアクセントになっている。

  「Opera 21」(5:03)ベートーベンのアレンジ。 テーマ部はクラシカルだが、展開部では幻想的で自由な広がりを見せる。 TRACE 風のイージー・リスニング調アレンジが冴える、クラシカルかつジャジーなインストゥルメンタルだ。 ストリングス系の音を中心に華やかなシンセサイザーが大活躍。

  「Pavana」(23:45)小気味いいビート感とジャズ、クラシカル・タッチがうまくブレンドしたキーボード・シンフォニック・ロックの佳品。 ファンタジーとしても極上。 この作品にのみ旧メンバーのオリヴィエロ・ラカニーナが参加しているらしい。

(SUBTERANEA RECORDS SUB 01)

 Marco Polo - Sogni E Viaggi
 
Marcello Giancarlo Dellacasa classic & electric & acoustic guitar, vocals
Oliviero Lacagnina piano, keyboards
Alfio Vitanza drums, vocals
Massimo Gori bass, vocals

  2009 年発表の第四作「Marco Polo - Sogni E Viaggi」。 第一/ニ作でのメンバーに専任ベーシスト(キーボーディスト、マウリツィオ・サルヴィの UT NEW TROLLS プロジェクトのメンバー)を加えたラインナップによる復活スタジオ・アルバム。 タイトル通り、マルコ・ポーロの生涯を描いた「トータル・アルバム」である。 内容は、管弦楽を巻き込んだクラシカルでロマンティックなシンフォニック・ロック。 つまり、王道のイタリアン・ロックであり、ハードロックのような「走り」とアコースティック・ピアノの珠の転がるような調べがシームレスにつながり、弦楽奏のたおやかな響きに若々しい歌唱と朗々たるエレクトリック・ギターの旋律が重なってゆく、音楽的奇跡の世界である。 たおやかなヴォーカルによる田園風味、厳かなクラシカル・タッチ、バンドらしい呼吸のよさと重み、エレクトリックなサウンドとアコースティックなサウンドのブレンド、などなど、近年のイタリアン・ロック・シーンを代表する名作になっていると思う。 復活 NEW TROLLS もそうだが、管弦楽とのコンビネーションが抜群にいい。 バンド表現における器楽要素の一つとして完璧に使いこなしているし、厳かな表現や美しくロマンティックな表現に加えて、へヴィな表現やコミカルな表現(後半の中華風のアンサンブルはほとんどバルトークである)においても管弦楽がバンドと一体化している。 これはもはや、オペラに通じる総合芸術である。 ノスタルジックなハモンド・オルガンの響き、武骨だが胸に刺さる味わい深いフレーズを紡ぐギター、熱っぽいヴォーカル、すべてはオールド・ロックの最良のエッセンスであり、昨今のデジタルな音響処理に疑問符を投げかけている筋金入りのロック・ファンにはゼッタイのお薦め。 12 曲目「La Prigione」は B.G.M として流していても耳が釘付けになる名曲。ここからエンディングまでは、つかの間時が経つのを忘れさせてくれます。
   日本盤はボーナス・トラック 「Lacrime D'Argento」1 曲付き。

(MICP-10888)


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