フィンランドのプログレッシヴ・ロック・グループ「UZVA」。 94 年結成。作品は三枚。北欧ジャズの独自性を再認識できるユニークな、しかし暖かみある作風。TASAVALLAN PRESIDENTTI 直系。UZA じゃないよ。
Heikki Puska | guitar, accordion | Lari Latvala | violin |
Heikki Rita | clarinet | Pekko Sama | bass |
Olli Kari | drums, percussion | Lauri Kajander | guitar |
guest: | |||
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Kalle Hassinen | french horn | Marko Manninen | cello |
Teemu Maenpaa | steel pan | Rasmus Pailos | steel pan, acidbox |
Erno Haukkala | trombone, flute |
2000 年発表のアルバム「Tammikuinen Tammela」
内容は、たそがれ感たっぷりの北欧らしいチェンバー・ミュージック風ジャズロック。
ジャズ、室内楽を取り入れたバンド演奏をトラッド調のテーマが貫く作風であり、独特のペーソスが最大の特徴だろう(このペーソスは北欧のグループに特徴的であり、KORNET のようにテクニカルなジャズロックにすら作風として現れる)。
同じく北欧の RAGNAROK や KEBNEKAISE、はたまたベルギーの JULVERNE といったグループすら連想させるところのある音である。
そして、この哀愁を基調にした楽曲がじつに自然な変化と起伏に富んでいる。
ゆったりとしたギターのアルペジオに支えられるようにクラリネットとヴァイオリンがもの寂しげな歌をささやくかと思えば、ヴァイオリンが悲鳴のように高鳴り、ギターの小刻みなストローク、音数多いリズム・セクションとともに走り出す。
しかし、さまざまに変転を連ねる演奏には、往年の英国ロックやイタリアン・ロックの破格さとは異なり、オーソドックスなスタンスがある。
おそらく、スコアをじっくり練る際にも演奏する際にも、身についたクラシックやジャズの基本的な起承転結をきちんと使っているのだろう。
メンバーは、音楽学校でともに学んだ仲間なのではないだろうか。
楽曲のすみずみまでに秋から初冬にかけて乾いた空気の香りがあり、子供の頃の夕暮れ、誰がいうともなく遊びが引けて夕日に追われるように家路をたどるときの、寂しいとも切ないともつかない気持ちがありありと甦ってくる。
または、楽しい日曜日のお出かけから帰ってきた時、やるせない気持ちを抱えていると、夜半のラジオから流れてきたのはこういう音ではなかっただろうか。
エレキベース、エレキギター、ドラムスもしっかりと働いているが、全体としてはアコースティックなサウンドであり、クラリネットやアコーディオンのまろやかな音が、感傷的な調べを奏でる主役になっている。
芸術作品を自分の感情を表現する手法として捉えた場合、特に現代においては、先達を意識すればするほど膨大な情報量に圧倒されがちだと思う。
このミュージシャン達も、現代に活きるアーティストとして、緊張した研鑚の日々を過ごしたに違いない。
しかし、その結実として生まれた音が、こののんびり感とペーソスあふれるものである、というところが何とも不思議である。
確かに、訓練の労苦の果てに技を極めて初めて自己の郷愁の懐へと戻ることができる、という芸術主義的な正論もあるだろう。
しかしながら、私のような安易なロマンチシズムにひたった素人は、北欧という土地には煩雑な文化継承手順重視の発想や強引な創造性発揮の足枷がなく、好きだからやってみようという姿勢を、ごく素朴に、かつ誰に喧伝するでもなくおとなしく取り続けているだけなのかもしれない、という思いを捨てきれない。
同じようなスタンスでも、米国人の場合はその追求の仕方があまりに熱気と独善性にまみれているために、傍で見ていてウンザリするが、このミュージシャン達にはそういう暑苦しさや押しつけがましさはまったくない。
要は、根っからのヒッピーが似合う人達だ、ということです。
さすがに TASAVALLAN PRESIDENTTI の「Timberland」を大のお気に入りとして挙げるだけのことはある。
ひょっとすると、ジャケットに描かれた柳のような細々とした樹は、無闇な風に巻かれながらも繊細にしてしなやかで逞しい思想を貫きとおす自らを象徴しているのかもしれない。
タイトルは、本作を録音した南フィンランドの村 Tammela から取った「タメラの一月」ということらしい。
3 曲目「V」は、胸に迫る夜更けのもの思いを透き通る秋風が癒すような名曲。
最終曲「X」は、スチール・ドラムスを使ったエキゾチックな演出もあるオムニバス形式の作品。他の作品と異なり、即興性や稠密なアンサンブルも加味しており、ジャズロックという表現が合う。
「Intro」(3:08)
「T」(3:14)
「U」(10:58)
「V」(9:23)
「W」(5:16)
「X」(15:01)
(YMCD 1)
Heikki Puska | guitar, piano, percussion | Olli Kari | drums, percussion, vibraphone, marimba |
Lassi Kari | bass, double bass | Lauri Kajander | guitar |
Tuure Paalanen | cello | Hanne Eronen | flute |
Inka Eerola | violin | ||
guest: | |||
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Heikki Rita | clarinet | Kimmo Pohjonen | accordion |
2002 年発表のアルバム「Niittoaika」。
基本的な色調は前作の哀愁路線だが、本作品ではタイトなジャズロック調が強まり(第一曲のタイトルなんて、もうそのものだし)、スリリングな表現とともに明るく華やいだ調子も目立つ。
ヴァイオリニストやベーシストのスタイルも若干ジャジーでこなれたものになっていて、場面によっては、70 年代に流行り始めた頃のフュージョン・ミュージックといっていいところもある。
もっとも、決して欧米のメイン・ストリームのフュージョンではなく、ファンク、ブルーズ色が皆無で、その代わりにひなびていながら妙に活気のあるローカル色のあるものである。
ナチュラル・トーンのギターなんて、時にハワイアンのようなニュアンスすらある。
そして、こういった微妙な時代の音をマニアックに目指す辺りが、非常に現代的だと思う。
また、スローなパートでも、ファンタジックな美しさをストレートに訴える表現が主となり、ほのかにユーモラスだったサロン/チェンバー調は相対的に引っ込んでいる。
そういう意味でもジャズロック化といってよく、マリンバやヴァイブを加えたアンサンブルが現れると、 ISILDURS BANE や TRIBUTE に近くなる。
第三曲のように豪快なまでにシンフォニックな展開もあり、前作では主として「薄い音」を巧みに使っていたが、本作品では「厚みある音」も使いこなしているといった感じだ。
HAIKARA をうまくしたようなジャケットは、サイケデリックな時代への憧れか。
「Soft Machine」(16:33)ジャン・リュック・ポンティ・グループばりのヴァイオリン・ジャズロック。
「Afrodite」(12:50)
「Drontti」(17:13)ISILDURS BANE を連想させるシンフォニック巨編。珍しく邪悪な表情も。ALGARNAS TRADGARD の第二作のようなクラシカルな展開もたっぷりある。エンディングの盛り上がりがすごい。
(SLC 011)
Ville Vaatainen | drums | Heikki Puska | guitar, piano on 6, bass on 6,9 |
Lauri Kajander | guitar | Olli Kari | percussion, vibraphone, marimba |
Heikki Rita | clarinet | Antti Lauronen | sax, flutes |
Veikka Pohto | bass | ||
guest: | |||
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Inka Eerola | violin | Lari Latvala | violin |
Tuure Paalanen | cello | Saara Rautio | harp |
Timo Kortesmaki | bassoon | Aarne Riikonen | drums on 1,6,9 |
2006 年発表のアルバム「Uoma」
内容は、哀愁の黄昏感あふれるノスタルジックな北欧サイケ・ジャズロック。
ラウンジ・ジャズ、ジャズロック、サロン・ミュージック、室内楽、交響楽、トラッド、エスニックといった往年のプログレッシヴ(今やオルタナティヴというべきか)なファクターを、無造作だが丹念にまとめた、愛すべき音である。
ベースやギターはエレクトリックだが、アコースティックな音の印象が主である。
これらのファクターから明らかなように 70 年代の北欧の名グループの影響下であることは間違いなく、そこへさらに現代のグループらしく北欧トラッドやジャズ、クラシックなどの要素が、よりアカデミックに整理された形で付与されている。
第一作と比べると格段にテクニカルなジャズロックらしい音作りになっているが、黄昏哀愁色はそのままである。
また、前作で試みたシンフォニックな音作りも、この色調の一つであるペーソスにしっかりと根付いた感じだ。
さて、こういうアプローチの作品では、「ロック」な要素がすでに希薄になっていることも多いが、この作品では、ユーモアやルーズさ、意表を突きたがるところ、見得を切りたがるところなど、間違いなくロックなカッコよさを求めているところがたくさんある。
「いろいろと取り混ぜてしまったけれど、最後はテンパったまま突っ走るぜ」的な潔さが感じられる。
デジタルなプロダクションでこぎれいにパッケージされる「ロック」が多い現代、きれいになり過ぎて伝わらなくなってしまったヴァイヴレーションやメッセージも、こういう音からなら、まだ伝わってくるだろう。
この生っぽい作りは、ジャズやトラッドに根ざした美意識なのかもしれないが、それ以上にロックな反骨精神の直接的な現れのようだ。
本作では、新しい垢抜けた試みもある。
まず、サックス奏者の参加によって、ストレートにジャジーでブルージーな表現も取り入れられ、演奏のパワーが増し、ひなびた枯れ系の表情との対比もうまくできている。
ハープによる印象派風のアクセントも、嫌味がなく、いい感じでエキゾティックでファンタジックな味付けをしていると思う。
また、ノスタルジックな表現の取り扱いもずいぶん手馴れたようで、トーレ・ヨハンソン(すみません、好きなんです)やジョン・マッケンタイアばりの汎ポップ・テイストを使いこなしている。
こうなると、ポスト・ロック派からも目を付けられてもまったく不思議はない。
7 曲目「Arabian Ran-Ta」は、セルジオ・メンデスばりのイケイケ・ラテン・ポップ風味に陶酔できる傑作。
「Vesikko」の終章 10 曲目のハイ・テンションは、KING CRIMSON の名曲「Red」に匹敵。
(SLC 028)